執筆場所と失われた四季/須賀ケイ

文字数 2,348文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2019年4月号に掲載された須賀ケイさんのエッセイをお届けします!

執筆場所と失われた四季



 小説を書くうえで〝場所〟は重要だ。


 川端康成は静岡県伊豆市湯ケ島にある湯本館で『伊豆の踊子』を執筆した。露天風呂から手が届きそうな距離にある狩野川の移ろう四季を感じながら、静かな宿の一室で筆を執る。川のせせらぎ、小鳥の囀り、青葉に紅葉に雪景色、自然と情緒をかきたてるような執筆場所はいかにも当時の文豪らしい。


 というか羨ましい。


 ぼくの執筆場所には四季がないのだ。


 なぜ四季がないのか、の前にまずは執筆場所とスタイルに触れておくと、ふだんはカフェか自宅で小説を書いている。会社員なので、カフェスペースはそういった平日の仕事終わり、帰宅する前に立ち寄って利用する。最近でこそ土日は自宅にこもって書くようになったが、これまでは(投稿時代も含めて)休日もカフェへでかけて行くことが多かった。


 その理由は単純で、自宅は誘惑が多い場所であるからだ。テレビ(はあまり観ないけど)、漫画、ネット、ベッド(すぐ寝られる)、菓子も酒も……とにかく自分を甘やかす環境が充実している。


 だけど公共の場ではそうはいかない。カフェにはテレビも漫画もなく、スマホはさておき、PCなどのネット環境は無料のWi-Fiにパスワードを入れて接続するひと手間がいるし、だるくなってもダイブできるベッドなどなく、基本的に食べ物の持ち込みは禁止。


「さあ書け、いまおまえに許されたただひとつの営みは小説を書くことだ!」という環境が整っている。


 個人差はあるだろうけれど、ぼくはある程度の相互監視が成立していて、適度な雑音がある場所が最も集中できる。相互監視とは他人の目で、つまり公共の場で人が最低限保たなければいけないモラルとか体裁のことだ。他人のまなざしがアンニュイの化身となりたがる自堕落な己に背骨を入れてくれる。


 後者の適度な雑音とは、うるさくも静かすぎることもないBGMのこと。店舗内の有線放送であれ、お客さんの会話であれ、ボリュームのつまみを捻り違えている場合は主張が強すぎる。かといって、衣擦れや鼻を啜る音も目立つような無音はかえって集中できない。理想は音楽とお客さん同士の会話が渾然一体となって相互に打ち消し合い、歌詞や会話の内容はわからないが、何やらザワザワと背景音が漂っているような場所なのだ。


 そんな環境を求めているうちにコーヒーチェーン店「D」に行き着いた。まだ作家になる前、大学生の頃だ。適度な相互監視と雑音、それに駅前という便利な立地も手伝って、レポートの課題が出るたびに利用した。そのうち暇さえあれば文庫本を持って入り浸るようになった。ドリンク一杯で数時間もの長居をするのはさすがに気が引けるので、いつも「ロイヤルミルクティー」と「ミラノサンドA」を注文することにしていた。足繁く通ううち、いつしか注文が「いつもの」で通るようになった。ただこれは自分で「いつもの」というのではなく、古株の店員さんが「いつものでよろしいですか?」と訊いてくる状況に至ったという意味だ。その後、新入りのバイトくんが古株に倣うまでにそう長くはかからなかった。一日数百人が利用するであろうチェーン店で、ぼくは「はい」しかいわなくなっていた。


 こんなことがあった。店の前に原付を止める際に少し手こずってからレジの前に立つと、「ミルクティー」と「Aサンド」が出てきた。まだ「はい」もいっていなかった。


 こんなこともあった。店が混雑している日、待機列の最後尾に並んだぼくの、まだ注文していない「Aサンド」が、前のお客さんをごぼう抜きにしてフードコーナーから供された。当然、順番抜かしをされた方々は「なんで?」と困惑した顔をこちらに向けた。


 こんなことまであった。先に席を確保してレジに向かおうとしたとき、二階から古株の店員さんが降りてきたのだが、ぼくの顔を見るなり「Aサンド入りま~す」とちっちゃい声でつぶやいたのだ。パンチが来たら避ける、くらいの反射神経が身についているようだった。たぶん「Aサンド野郎」くらいのあだ名はつけられていると思う。顔から火が出るほど恥ずかしかった。


 同店では毎月、あるいはシーズン毎に旬の食材をつかった新作が発売される。いま考えると、風光明媚な川端の執筆場所と違って、ただでさえ殺風景な駅前のビルを選んでいるのだから、せめてメニューだけでも四季を感じられるように配慮すべきだった。けれどぼくは店側の善意によって、新作を注文する権利を失効し、同時に四季を失ったのだ。当然、そもそもはじめに同じものばかり頼むのがいけなかったのだけれども。ただいちど、「いつもの」じゃないオーダーをしたことがあった。そのときカウンターの陰で待ち構えていた「Aサンド」は、店員さんの「おい、マジか」という顔とともにゴミ箱へ棄てられた。相手の手間と食材を無駄にした罪悪感&トラウマから、その日はあまり原稿がすすまなかった。苦い記憶だけがいつまでも口のなかに残るようだった。


 川端に場所だけでも対抗するなら、山村美紗の作品で舞台にもなった地元の錦水亭(明治一四年創業)で筍料理に舌鼓を打ち、八条ヶ池とつつじを眺めながら書くのがおつだが、毎回ベストセラーを出さないとその執筆場所を確保するのは難しいだろう。


 さて、春が目前に迫ってきた。最近はもっぱら、誰も傷つけずに新作を注文する方法を模索している。失われた四季をとりもどすために。

須賀ケイ(すが・けい)

作家、1990年生まれ。近刊に『わるもん』。

2022年11月号「群像」に、中篇「蝶を追う」が掲載されています。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色