エロくない方の人形の話/菊地浩平

文字数 2,284文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2022年5月号に掲載された菊地浩平さんのエッセイをお届けします!

エロくない方の人形の話


 アベンジャーズに誘われたことがある。


 もちろん大人気ヒーロー映画への出演依頼とかそういう話ではなく、数年ほど前、とある学術系シンポジウム後の打ち上げで、上等そうなスーツを着た、相槌がほぼ全部「シブいっすね」の男にこう言われたのだ。


「ジャンルを超えたチームを作りたいんすよ、アベンジャーズ的な。で、人形みたいな怪しくてエロい研究してる菊地さんにも参加して欲しくって」


 当然断ったし、以来そのアベンジャーズの活動はどこでも耳にしていない。ただ、このエピソードが忘れがたいのは、わたしの職業の誤解されやすさを象徴するような出来事だったからに他ならない。


 わたしは人形文化の研究者だ。人形文化といえば江戸川乱歩が『人でなしの恋』で書いたような、または澁澤龍彥が『人形愛序説』で論じたような、あ~男性がエロティックに人形を愛するアレですね、と思う方も少なくないだろう。しかしわたしは、主にテレビ/舞台の人形劇、ぬいぐるみ、着せ替え人形、着ぐるみといった多様で大衆的な人形を研究対象としていて、言ってみれば澁澤が見向きもしなかったような、怪しくもエロくもない方の人形文化について日夜考えている。


 すると人形文化研究者の絶対数が少ないこともあってか、年に数回、新聞や雑誌の取材を受けることがある。その際、必ずと言っていいほど、持っている人形の数と特にお気に入りのものがあれば教えてほしいと頼まれる。この質問の背後にあるのは、たくさんの人形と暮らし、暇さえあれば喋りかけ、何ならエロい関係を結んでるんじゃなかろうかこの人は、という「期待」だ。


 しかし残念ながらというべきか、わたしはコレクターではないし、人形と話さないし、彼らと特別な関係を持ったこともない。教材用に数体は持っているが、あくまでもビジネス上のパートナーと呼ぶにふさわしいドライな間柄である。


 そう答えると、インタビュアーのテンションが目に見えて下がる。おびただしい数の人形に囲まれた変わり種研究者、というキャッチーな写真の一枚でも撮りたい、という気持ちだったんだろう。それも分かるし、人形文化研究を生業にするのであれば、そうしたキャラ付けが必要なのかもしれない……と悩んだこともある。


 そういえば、某週刊誌の取材を受けた時には、糸の切れた操り人形に扮してくれと言われたこともあった。床に座り込み、手をぶらんとさせて小首をかしげ、うつろな表情でカメラの方を見るようにとの指示を受け、言われるがままにやった。間抜けだ。結局その写真はボツになったが、それもこれも人形文化研究者への「期待」のなせるわざである。


 しかし、人形と人間はもっと複雑で、多様な関係を結んできたはずだ。バカげた「期待」に翻弄されている場合ではない。


 わたしがそう強く思う根っこには、講義の受講者に人形を持参してもらう企画(人形参観と呼んでいる)を通じ、様々な語りを耳にしてきた経験がある。


 例えばとある社会人向け単発講座を担当した時のことだ。七十代くらいの女性が目鼻口の付いていない十センチほどの人型ぬいぐるみを持参した。聞けばその女性はかねてからアーミッシュに強い興味があり、数十年前にふと思い立ちアメリカのオハイオ州まで出向き、現地で記念に買ってきた代物だという。受講をきっかけにその過去を思い出し、押し入れの奥から引っ張り出してきたんだと嬉しそうに語ってくれた。


 また別日の講座では、人形を連れて来られなかったという女性がいた。聞けば家族会議の結果、そう決めたという。実は講座が終わる頃に分かったのだが、その家族会議とは、彼女と夫の人間チームと数十体の人形チームによって構成されていて、誰か一体だけを特別扱いして連れて行くと今後の家族関係に支障をきたす可能性があるため、彼女だけが教室に来ることになったとのことだった。


 わたしが超一流のインタビュアーだったとしても、初対面の彼らから短時間でこんなエピソードを引き出すことは出来ないだろう。人形を媒介することで、会って間もない人の人生の一端に触れられてしまうというわけだ。


 一方、大学の講義には、実家の犬と同じ犬種のぬいぐるみを持参した学生がいた。聞けば、実家の犬そっくりのぬいぐるみを数十万円かけてオーダーメイド中で、持参したそれはあくまでもつなぎに過ぎず、ほとんど思い入れはないのだという。


 また、恋人と喧嘩になった時に双方の怒りをぶつけるために使う、プーさんの巨大ぬいぐるみを持参した者もいた。彼らはそのぬいぐるみのことをイケニエさんと呼んでいるそうで、何度も殴られ蹴られしたからか、全身のそこかしこがかなり傷んで変色していた。


 この濃淡こそが人形とのリアルな間柄だと思う。皆さんのなかには、つなぎだのイケニエさんだのとその扱いの悪さに怒る方もいるかもしれない。しかしこのいい加減さ、乱暴さも、多様な人形文化の大事な一側面だ。


 最後に肝に銘じておきたいことがひとつ。毎年、様々な場所で数々の人形にまつわる話を聞いているので、全く記憶に残らないほど些末なエピソードもたくさんある。だがここに紹介できないような凡庸さもまた人形文化の間口の広さなので、どんな話も有難く伺おうと決めている。何かあれば、いつでもお聞かせいただきたい。

菊地浩平(きくち・こうへい)

人形文化研究者。1983年生まれ。近刊に『人形メディア学講義』

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