サーモンフライ/小池水音

文字数 2,165文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2022年2月号に掲載された小池水音さんのエッセイをお届けします!

サーモンフライ


 家族の危篤を知ったとき、フィンランド北部のロヴァニエミにいた。サンタクロース村が近くにあり、オーロラ観賞に訪れる観光客も多い。第二次世界大戦によってほとんどの建物が焼失した町で、その後に建てられたアルヴァ・アアルトの作品群でも知られている。訪れたのはちょうど十年前、二十歳になったばかりの十二月のことだった。


 マクドナルドで昼食をとった帰り、モーテルに戻ってWi-Fiを繫げたとき、数時間前に届いていた母親からのメールをようやく開いた。友人との二人旅だったため、申し訳ないけれど帰国しなければならなくなったと、そのことを自分がどんな風に伝えたものかは、もう覚えていない。けれど、それを伝えたときの相手の表情は記憶にある。彼の痛ましい顔つきを見てようやく、それまで呆然として固まるばかりだった内心が、少し動いた。


 最短で帰国できる便を、ロシア語のサイトをGoogle翻訳しつつ探したこと。翌朝五時にタクシーを呼んでほしいと、モーテルのスタッフにつたない英語で頼みこんだこと。ひと晩を過ごし、きちんと手配できているものかいぶかしみつつ外に出ると、朝とは言いがたい闇のなかに、二メートル近い身長の男が、タクシーを背に待っていたこと。


 二十時間以上をかけて帰国するまでのそうした出来事について誰かに話したことは、この十年なかった。ロヴァニエミ空港を発ち、ヘルシンキ・ヴァンター空港で乗り継ぐ際、預けた荷物をうまく受け取ることができず、あちこちへと駆けた。さらに経由したシャルル・ド・ゴール空港では折悪くストが行われていて、チェックインを待つ客の大行列に並びながら、いったいどう事情を伝えれば優先的に搭乗できるものか思案した。マイ・シスター・イズ・ダイイング。もっと適した表現があるとわかりつつ、真っ先によぎったその一文が頭を離れなかった。


 二〇二〇年に「わからないままで」という小説で新人賞を受賞した。はじめがあり終わりがある、初めて書いた小説だった。けれど記憶を探ってみると、たしか七、八年ほど前、文学賞に応募しようとは考えたこともなかった時期に、先のような帰国の顚末を書いてみたことがあった。


 文章は、パリから東京へと向かう機内にいて、眠ることも、文庫本の文字を追うこともままならずに、ひとから借り受けていた一眼レフをひたすら眼下の雲に向けた時間を少しばかり描写して、途切れた。書くことが苦しいというわけではなかった。ただ、この断片は文字通りどこにもたどり着かないものであると、そう感じた。同様に、周囲の誰かに話して伝えようという気も、この十年起きなかった。沈黙を守ることは、痛みのぶんだけ甘やかでもあった。青々とした海水が手で掬うと澄んで透けてしまうように、言葉にしないあいだだけ感じられる、色やにおいがあると思えた。


 旅客機は成田空港の滑走路に着陸し、それから記憶が抜け落ちている二時間ほどを隔てて、母親の運転する車の助手席についていた。回復の見込みは限りなく低いのだと、メールで知らされていた事実をあらためて聞かされながら、車は大学病院の奥の敷地、救急救命棟の駐車場に停まった。


 目を閉じ、多くの管につながれた家族の横たわるベッドのそばにいて、遠くから賛美歌が聞こえたことを覚えている。やがて白衣を着た看護学生の集団がロウソクを手に病室へとやってきて、《荒野の果てに》の続きをうたった。なにか作り物めいた状況に鼻白みつつ、それでも涙が流れた。それから十三日間、家族は意識を失ったまま心臓を打ち続けて、そうして心臓を止めた。


 旅が遠いものになったこの二年で、かつてフィンランドで過ごした時間のことを、よく思うようになった。深い夜がいつまでも明けず、すこし明るくなったと思えば、数時間でまたすぐに暗くなる。はっきりとしない味つけが多く、思い出に残るような食事はほとんどない(レストランの下調べが足りなかっただけかもしれない)。旅をするならば夏の白夜の時期にするべきだと、そう教えてくれた人も多くいる。それでも、やはり自分は、もう一度冬に訪れたいと思う。


 十年前、メールを受け取ったあの日に行く予定だった、アアルトによる市立図書館、サンタクロース村。あるいは、晩に予定していたオーロラツアー。それらの旅程を辿り直すまえに自分は、似たような建物が並ぶ住宅街で、かつて泊まったモーテルを探すのだと思う。あの大男のタクシー運転手が立っていた、銀色の細い街灯の下に立つのだと思う。そうして、北に延びる、空港へと続く道路の先をしばらく眺める。マクドナルドにまだサーモンフライのメニューが残っているのならば、それを選んで食べるのだと思う。

 いつか断片にしかならなかった文章はそのようにして、もう一度ロヴァニエミを訪れることができたのちにまた、新たに連なっていくような気がしている。それは来年であるかもしれない。五年後であるかも、十年後であるかもしれない。青々と広がる深い沈黙のような小説のイメージが、ぼんやりと頭のなかにある。

小池水音(こいけ・みずね)

作家。1991年生まれ。

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