六月◎日

文字数 6,199文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら


六月◎日

 ジュンク堂書店池袋本店は最近特に海外文学に力を入れていて、週一で行っても欲しい本がわんさか出てくる。ピックアップされる本にも知らないものが多く、案内人としての役割をしてもらえるのが嬉しい。きっと海外文学を好きな店員さんがいらっしゃるのだろうな……と、選んだ誰かの顔が透けるのも嬉しい。これが書店の醍醐味だろう。


 というわけで、さっそくフアン・パブロ・ビジャロボス『巣窟の祭典』を読む。元々は『ラテンアメリカ文学の出版文化史』を読むぞーと思っていたのだが、そもそも自分は最近ラテンアメリカ文学を読んでいないのでは? と思い、ここ数年で話題になったものを一気に攫うことにしたのだ。


 金箔押しの表紙が綺麗でかっこいいこの本は、ビジャロボスのデビュー作と第二作目がセットになっている特別仕様なのだ。ありがたい。


 表題作の「巣窟の祭典」は、メキシコでも有数の麻薬密売組織で生まれた少年・トチトゥリが、宮殿と呼ばれる豪華な屋敷に暮らしながら日々を綴る小説だ。麻薬組織に生まれた少年なので、彼は生まれてから十数人の人間にしか会ったことがないが、その分まるで一国の王子のように悠々自適の暮らしをしている。差別的で視野が狭く、とても無邪気だ。


 トチトゥリは色んなもの──普通では欲しがることの出来ないコビトカバなんかを欲しがってはそれを与えられてきたが、メキシコでこんな振る舞いが出来る子供とは即ち麻薬密売組織の子供くらいでしかありえないのだ、と解説でも指摘されている。


 さて、この作品では徹底して少年の目から見た日常だけが綴られている。周りではいとも容易く人が殺されたり、テレビでは麻薬抗争による凄惨な死や政治の腐敗についてが報道されているものの、それらはトチトゥリに直接的な影響を及ぼさない。彼はその歳にしては大人びていて聡明な少年として設定されているので、読み手の側からは何が起こっているのかが察せられてしまう。けれど、あくまでトチトゥリにとっては自分の手の届く世界の方が大事なのである。


「これは大局をとらえ損なうことがテーマとなった小説だ」という書評の通り、徹底した事態の不明瞭さ、子供が何に巻き込まれているかもわからないまま暴力の渦の中で暮らす恐ろしさがこの小説の肝だ。作中でトチトゥリはしばしば腹痛に見舞われるが、その原因が恐らくこの環境下におけるストレスであることも、トチトゥリは自覚出来ない。あるいは自覚することを拒んでいる。


 だからこそ漏れ出てくる薄気味悪さや不穏さがすごい。事態が知らず知らずのうちにどんどん悪くなっていることを、読み手の側だからこそ把握出来てしまう


 対する『フツーの町で暮らしていたら』の語り手・オレステスは自分の置かれた状況に自覚的であるし、最早俯瞰的ですらある。極貧の大家族に生まれ、明日食べるものにすら難儀している。とっくに崩壊しているような生活の中で、あくまで「中流家庭」を自称しつつ、オレステスはその中で藻掻いていく。隣の裕福な家庭との対比や、まるでよくならない日々に翻弄され、物語は徐々にマジックリアリスム的になっていく。これもまた、背後に巧妙に隠されているものを強調する役割になっている。


 どちらも社会の暗部をその地に住まう子供の目線で描き、全容を明らかにしないことでむしろ鮮明に問題を描き出している作品だ。ラテンアメリカ文学に多く見られる世界を侵食する非日常の筆致が好みなので、なおのこと大好きな一冊になった。


 ちなみにこの作品ではところどころに日本に触れる箇所が出てくる。「巣窟の祭典」のはトチトゥリは家庭教師の影響から日本が大好きで、サムライ映画に強い影響を受けるのだ。最終的に彼はサムライそのものになろうとする。誰からの保護も必要とせず、誇りが脅かされる時にのみ守ってもらう行為を許す。そんなサムライに


 作者のビジャロボスは麻薬犯罪の暴力とサムライという他文化の暴力と対比して位置づける目的で描写したと語っている。そう考えると、トチトゥリはやはり自分の置かれた状況をほんの少しずつ理解してきていて、暴力にせめてもの意味を求めようとしていたのかもしれない。



六月☆日

 マイケル・フィンケル『美術泥棒』が物凄く面白かった三〇〇〇億円分の美術品を盗んで屋根裏部屋に隠していた稀代の窃盗狂を追ったノンフィクションで、なんと既に映画化が決まっているそうだ。彼の名前はブライトヴィーザー、間違いなく美術泥棒として一番名の知れた人間である。


 私は結構、窃盗をテーマにしたクライムフィクションが好きである。元々探偵よりも怪盗派でもあるくらいなので、何より注目していたのはブライトヴィーザーの窃盗手口だった。何百個ものの美術品を盗み出した手練手管とは一体どのようなものなのか?


 しかし、私の期待とは裏腹に、ブライトヴィーザーの手口は全部同一かつシンプルなものだった。人が見ていない隙を見計らい、監視カメラに気をつけながらケースのネジを素早く外して逃亡するのである。


 こんな簡単な手口で成功するなんて、という気持ちと共に「これほど簡単だからこそ、誰もブライトヴィーザーの犯行を止められなかったのだ」とも思った。対策はケースのネジを多く留めるくらいしかない。パートナーであり共犯者であったアンヌ=カトリーヌが出入り口を見張って危ない時は警告してくれるので、理論上はミスをすることがなく、現に盗みは成功し続ける。


 ライターの書き方が特徴的で、章ごとのクリフハンガーがとても強いのも面白い。世にも奇怪な泥棒の奇妙な冒険がとても魅力的に描かれている。集めた美術品はブライトヴィーザーの暮らす家の屋根裏部屋に隙間無く飾られ、彼とアンヌは中央のベッドでそれを鑑賞する。美術泥棒の大半は盗品を売り払ってしまう為、彼のように個人の鑑賞の為に盗むというのは稀に見ないものなのだそうだ。


 だからなのか、ブライトヴィーザーおよび周りの人間の内面は、最後まで読み通しても複雑怪奇だ。どうして彼はそこまで美術品に執着するのか、彼が執着しているのは盗むことそのものなのか、どうしてリスクを理解しているのに手を出してしまうのか。屋根裏部屋の存在を薄々知りながらも沈黙した末に驚きの行動に出る母親、ブライトヴィーザーの盗みにおいて多大な貢献をしたアンヌ──。美術品に人を狂わせる魔力があるのか、それともブライトヴィーザーの精神が歪なものだったのか、読み通しても謎が深まる一流のノンフィクションである。やっぱり怪盗っていうのは赤い夢の住人じゃなくちゃいけないんだよな……



七月/日

 スティーヴン・キングが五十周年を迎え、ますます精力的に作品を発表している。この間『ビリー・サマーズ』が日本で刊行されたばかりだというのに! ちなみに、斜線堂有紀は『このホラーがすごい! 2024年版』にて翻訳者の白石朗先生と作家の阿津川辰海先生と共にキング五十周年記念鼎談をしている。同誌では『本の背骨が最後に残る』がランキング第四位として紹介されているので、合わせて是非お手に取って頂きたい。


 というわけでキングの文庫オリジナル新作『死者は嘘をつかない』を読む。これは死者が見える少年・ジェイミーが奇妙な事態に巻き込まれていくという王道のホラーストーリーなのだが、一点特筆すべきは、ジェイミーが会話する死者達は嘘をつくことが出来ないというところ。この縛りがものすごく恐ろしい効果を生み出すのがキングの上手いところだと思う。何故なら、この縛りのせいで死者の言うことは否応なしに避けようのない真実として確定されてしまうからだ。


 キングの恐怖にはいくつかタイプがあるのだが、実はこの『死者は嘘をつかない』は私が一番怖いタイプの恐怖を扱っている。先に待っている、逃れようのない恐怖だ。人間が未だ死を克服していない以上、死というファクターを真正面から扱われること事態恐ろしいのだが……。


 さておき、キングは今回編集エージェントをテーマに扱うと宣言していたのだが、まさかその要素が序盤で存分に使われるとは思ってもいなかった。実を言うと主人公であるジェイミーの母親が編集エージェントなのだ。


 向こうの編集エージェントは日本の編集者とはかなり違った形態で、作家と編集は経済的にも一心同体担当のベストセラー作家がシリーズ完結を前に突然の死を迎えてしまう困窮した家庭を救うため、ジェイミーは死んだ作家からプロットを聞き取り、作品を完成させるのだ


 これは、死者と会話出来る能力で一番良い使い方だよなあと思う。頭の中にしか無かった遺作を完成させられるのは、読書家の最も憧れる使い方だ。やっぱり、読めなかったら悲しい。この展開を見せてくれただけで、小説好きにはカタルシスがある。


 物語がこれで終われば幸せだったのだが、この出来事をきっかけに、ジェイミーの人生は思いもよらない方向へと転がってしまう。近年のキングは物語をツイストさせる腕が特に神懸っているのだが、ここからそんな展開になっていくのか! という驚きに満ちていて楽しい


 だが、恐怖とスリルだけではなく、死者を巡るドラマの切なさもたっぷりあるのがキング流だ。死にゆく者が最後に何を語り、何を残すのかがじんわりと胸に染み渡る。


 この波に乗ってキングの未邦訳短編集なども邦訳してほしい! 新刊を出来れば発売とほぼ同時に読みたい! と思ってしまう。キングと同時代に生まれることが出来て本当に良かったなぁと噛み締める五十周年だ


 

六月*日

 なんだか寒いなと思っていたら、いきなり熱が上がって倒れてしまった。今年に入ってから味わったことのない三十九度台の世界に慄き、急いで病院に行くと、すぐさま新型コロナ陽性の告知を受けた


 正直ショックだった。コロナ禍が始まってから四年余り、色々と気をつけて感染を避け、ここに至っても感染していないことをちょっとした幸運として誇っていたというのに……!


 解熱剤を貰って帰宅し、これじゃあ仕事も出来ないし、二日くらいは大人しく療養し、打ち合わせなどはリモートに切り替えてもらおう。そうだ、今個人的に松本清張を全読みする企画を立てていたんだった。折角だから病院に持って行った『なぜ「星図」が開いていたか―初期ミステリ傑作集―』を読み切ろう……。


 そんなことを考えているうちに意識を失い、そこから目を醒ましたのは十五時間以上経ってからだった。


 そこからしばらくは、辛かったというよりも何がなんだかという感じだ。身体が辛すぎてまともに起きられず、そもそも意識のある時間が殆ど無いので食事をして薬を飲むということがまず出来ない。お粥やスープは味覚の異常により塩辛すぎて食べられず、お湯で薄めてなんとか飲めるくらいだった。完全に悪手だと分かってはいても、寒すぎて眠れないので湯船に浸かるのがやめられない。シーツが洗濯機の中で回っているのを見ながら床で昏倒していた


 熱に浮かされながら、何故かレイモンド・カーヴァーの夢を見た。レイモンド・カーヴァーは昔から大好きな作家で、高校生の時に村上春樹翻訳ライブラリーから手に取るようになった。レイモンド・カーヴァー関連のテキストで一番好きなのは、彼の親友であり作家のリチャード・フォードが書いた「グッド・レイモンド」だ(『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』所収)。レイは人間的にも癖があり、かつ魅力的なやつであったと、優れた書き手の目線から綴っていく。


「僕はこれからしばらく良い短篇をいくつか書こうと思っている。それから大きな家にふんぞり返って、女中を雇うような生活をする。そのあいだに君が良い小説を書けばいいんだ。これなら公平だろう。そう思わないか」


 これは私の一番好きなレイモンド・カーヴァーの言葉。格好いい! 作家同士の交流録の中で一番イカしている。


 とはいえ、レイモンド・カーヴァーの書く小説自体はなんとも言えない読み味のものが多く、本人のようなカラッとした印象のものは少ない。一番有名な『愛について語るときに我々の語ること』を筆頭に、上手くいかない人間関係をこねくり回すようなものが多いのだ。しかし、文体と台詞のセンスが抜群に決まっているので、それだけで読ませてしまうのがカーヴァーである……と今までは思っていた


 だが、四十度近い熱を出して寝込んだ見た夢の中の私は、何故か、カーヴァーの短編の良さってこういうことなんだよな〜と、全く別の解釈をしていた。新型コロナウイルスは思いがけない症状を引き起こすというけれど、私は何故かカーヴァーの話をする夢と悪夢を交互に見た。


 熱は五日以上下がらず、その間意識のあった時間はほんの少しだった。何かの啓示かと思ってカーヴァーの短編集を枕元に置いてみたが、別に症状が和らぐことはなく、症状がようやくマシになったのは発症から一週間が経った頃だった。


 まともに活字が追えるようになって、読みかけの『なぜ「星図」が開いていたか―初期ミステリ傑作集―』を読んだ時の嬉しさは筆舌に尽くしがたかった。タイトルに強烈なフックがある表題作に、シンプルで切れ味のいい「共犯者」など、病み上がりの身体に染み渡るようだった。


 実を言うとここから本調子に戻るまでは更に一週間がかかるのだが、それでも本が読めたことの嬉しさは忘れないだろうと思う。お医者さん曰く、私は軽症の中の重症という少し珍しいパターンを引いたようなのだが、正直もう二度とかかりたくない。症状が治ってからは全くカーヴァーの夢は見なくなった。


 けれど、折角なので次回の読書日記ではレイモンド・カーヴァーの「必要になったら電話をかけて」(『必要になったら電話をかけて』収録)を既読前提で語りたい。よかったら、皆さんにもこの短編を読んで備えて頂けると嬉しい。


 それにしても、私の脳内のカーヴァーは一体何を伝えたかったのだろうか? 暢気に病気にかかって良い短編の一つも書けなかった私を笑っていたのかもしれないなあ、と今になって思う。


 


次回は、特別編!

実験的に、

レイモンド・カーヴァー「必要になったら電話をかけて」(『必要になったら電話をかけて』収録)を読んだ人向けの読書日記、の収録を予定しています。


悪夢に出てきたレイモンド・カーヴァーにリスペクトを捧げて。


次回の更新は、7月15日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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