五月☆日

文字数 6,322文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら

五月☆日

 俄かにイベントの機運が盛り上がっている。早川書房の日本SF大賞トークイベントから間を置かずに、次は『ミステリー小説集 脱出』のトークイベントがある。六月の末には星海社主催のミステリカーニバルもある。こうして色々なイベントが催されるのを見ると、文芸の世界も盛り上がっているなあと思う。


 こうしたイベントの時は、大抵待機時間が発生する。待機時間を見定めて、ジャストで読み切れる本を持っていくのがコツだ。早めに読み終わってしまうと消化不良で終わってしまう。とはいえ、スマホにもタブレットにも電子書籍が大量に入っているので、読むものがなくて困るというのはあまりないのだが。


 ミネット・ウォルターズの『女彫刻家』を読む。これは「東京創元社創立70周年記念企画 ミステリ・セレクションベスト1」だそうで、読む前からこのお祭りの雰囲気が楽しくてならなかった。こういうめでたい契機に名作ミステリの復刊がある世界。嬉しい。


 ミネット・ウォルターズといえば、狭い団地での二千人規模の暴動を描いた狂乱のサスペンス『遮断地区』のイメージが強く、当時読んだ時は加速度的に悪化していく疑心暗鬼と排斥の熱に慄いていた。(団地に小児性愛者が住んでいるらしいという噂から、転がるように魔女裁判と私刑へ繋がっていく様が、団地の息苦しい描写と相まって本当に苦しかった)本作『女彫刻家』も、そういった人間の思い込みの熱のようなものが渦巻いており、なんというか息苦しい作品である。それでもグイグイ読ませてしまうリーダビリティの高さがすごい!

 

 主人公はフリーライターのロズ。仕事の無い彼女は、ベストセラー間違い無しの取材対象として無期懲役囚のオリーヴ・マーティンを紹介される。オリーヴは母親と妹を切り刻むという残酷な犯行を行いながらも、自らのことについて何も語らずに過ごしていた。謎めいた彼女は、余暇に彫刻を嗜むことから彫刻家と呼ばれていた──。果たして彼女の身に一体何が起きたのだろうか?


 殺人犯に話を聞きに行くタイプの物語は多くあり、そのどれもが面白い。解説で触れられていたのはトマス・ハリスの『羊たちの沈黙』だが、私は柚木麻子の『BUTTER』を連想した。(実際にオリーヴ・マーティンの底知れない魅力には梶井真奈子を思わせるところがある)あるいは櫛木理宇『死刑に至る病』だとか。貫井徳郎の『微笑む人』も「本が増えて家が狭くなったから妻子を殺した」と供述する殺人犯の素顔に迫る物語だし、漫画だと『夏目アラタの結婚』は連続殺人鬼の女の内心に迫るために獄中結婚までしようとする物語だし、人が何を考えて人を殺したかは人の興味を引く題材なのだなと改めて思う。


 そんな物語の中でも、オリーヴはかなりの曲者だと思う。本心はまるで語られず、逆鱗に触れられたとなればすぐに面会は打ち切られる。ロズは仕方なく、オリーヴを逮捕した警官にあたったり、オリーヴをよく知る人物達を探ることで彼女の内面に近づいていこうとする。合間にはオリーヴの不穏な動きも描写され、更に疑念は深まっていく。オリーヴの犯行とするには不可解なのに、当の彼女が物凄く怪しくて怖い。


 ここまで内心を悟らせない「殺人犯」も珍しく、彼女の事件はあくまで外側から検証されていく。父親の遺言やら立退きの問題やらと、ロズを巡る周りの状況も目まぐるしく動くのがトリッキーである。そうして辿り着いた真実には、大きく感情を動かされた。ミネット・ウォルターズの味ってこういうことなんだろうな……としみじみ思わされてしまうほどに。


 これを機に読み損ねていた『病める狐』も読んでしまいたいのだが、多分ミネット・ウォルターズ作品は全部ヘビー級なんだろうな……



五月/日

 中央公論新社から出た『ミステリー小説集 脱出』という「脱出」をテーマにしたアンソロジーに「鳥の密室」という短編で参加している。これは魔女狩りの横行する時代を舞台にした物語で、修道女のベネデッタと魔女として審問を受ける少女マリアとの間に結ばれた奇妙な友情と、二人の脱出がテーマの作品である。脱出というからには一番苦しいところからの脱出にしようと思い、一番恐ろしい場所を設定した。


 さて、このアンソロジーだが、少々変わった経緯があって編まれたものである。というのも、この企画には裏テーマがあるのだ。なんとこのアンソロジーは「斜線堂有紀が執筆者を選んで依頼したアンソロジー」なのである。いわば斜線堂有紀のお友達アンソロジーだ。


 どうしてこうなったのかの経緯は少々難しい……というか、気づいたらそうなっていた。担当さんに「今回の執筆者は斜線堂さんに選んで依頼してもらって、テーマも決めていただければと」と打診され、ええーっ⁉︎ と思っている間に全てが進んでいた。断らなかったのは「ここで無理ですって言ったら、友達が少ない人間だと思われてしまう……」と焦ったからである。100%の見栄


 そうして土下座する覚悟でお願いしたのが、このアンソロジーの執筆メンバーである。


 一人目が冬の寒すぎる屋上に閉じ込められた天文部員達の脱出を描いた「屋上からの脱出」(今青春ミステリを書かせたら右に出るものがいないのではないかと思うほどの名手。学生時代に一人は出くわす「クラスのめちゃくちゃ魅力的なやつ」と「周りを翻弄するマドンナ」を書くのが上手い)の阿津川辰海先生。この企画を聞いた時に、一番最初に浮かんだ相手だ。本気でお願いしたら阿津川先生なら助けてくれるだろうと思ったのでお願いした。阿津川辰海の短編が載っているアンソロジーであれば、素晴らしいものになるに違いない。


 そしてデビューしたての頃からお世話になっている織守きょうや先生。何を書いても面白い方だし、本気でお願いしたら助けてくれるだろうと思ったのでお願いした。織守先生の書かれた「名とりの森」は、ミステリとホラーの良いとこどりな物語。名前に対する呪術的な印象を上手く扱っていて、切なくもしっかり怖い。


 今年話題の短編集『感傷ファンタスマゴリィ』(全ての短編が高クオリティかつ重量級な怪奇幻想小説集。連帯によって理不尽に抗う現代の寓話「ウィッチクラフト≠マレフィキウム」が特にすごい。現代社会への強いメッセージを物語の形で叩きつけられる)を上梓し、ありとあらゆるところで激賞されている空木春宵先生には、殆どダメ元でお願いした。とにかく空木春宵の脱出が見たい! いつも異形コレクションで鎬を削っている仲であるし、対談もしたことがあるし、TwitterことXでも相互フォロワーだし……と、お願いさせて頂いた。


 アンソロジーに収録されている「罪喰の巫女」は、まさに空木春宵作品といった一作で、最初の一行から最後の一行まで凄まじい。自身の作風をこれだけ確立している作家もいないだろう。


 最後の井上真偽先生は『ムシカ 鎮虫譜』刊行の際に対談させて頂いた大先輩だ。この時にはもう「自分が好きな小説家を集めた最強のアンソロジーを作るぞ!」という意識があり、先述の『ムシカ』が恐ろしい島でのサバイバルを描いたものだったことからお願いさせて頂いた。


 トリを飾る「サマリア人の血潮」は、「飲みたがり」達がひしめく怪しい研究所で記憶を失った少年が脱出するという王道かつトリッキーな物語。ムシカと同じく緊張感のある脱出もので、明かされていく真実や研究所の謎にそういうことかと膝を打った。トリに相応しい壮大さのある短編である。


 どうなることかと思ったが、こうして見るとても良い豪華なアンソロジーに仕上がっているような気がする。五者五様の脱出が描かれた一冊、是非とも手に取っていただきたい。


 あと、テーマは別に私が決めたわけではなく、脱出はどうですかと言われ「いいですねえ」と言って決まった。本当は「巨大感情ミステリアンソロジー」か「バウムクーヘンエンドミステリアンソロジー」を提案しようとしていたのだが、例として出されたテーマが真面目過ぎて言い出せなくなってしまった。他にも「カードゲームミステリアンソロジー」などもあった。全部不採用になりそうだ。これ、どこかの出版社が実現してくれないだろうか?


 ちなみに、こうして実現した斜線堂有紀のお願いアンソロジーだが、参加してくださった皆さんは誰一人このアンソロジーが私の指名制であることを知らなかった。どうやら、担当さんはそのことを伏せて依頼していたらしい。本当にただ指名しただけ!


 そのことを知らず、先日阿津川先生にお会いした時に「流石は阿津川先生、トークイベントにまで出てくれるなんてありがとうございます! 嬉しいなあ」と言ったら、何の話……? という反応になった。ええ、じゃあみんながイベントにまで参加してくれるのは私の顔を立ててくれたからじゃないんだ……!

 最初から最後まで一人相撲のような話である。これからトークイベントをやります。頑張ります。



五月○日

 前回の『恐るべき緑』からモキュメンタリー小説が読みたくなり、ジム・シェパードの『わかっていただけますかねえ』を探しに行ったところ、ハン・ガンの『回復する人間』を見つけ、一緒に手に取って先に読んでしまった。この短編集は〈傷と回復〉がテーマとなっていて、人生で負ってしまった傷とどうやって向き合うかに主軸が置かれている。


 表題作の「回復する人間」は疎遠のまま姉と死に別れてしまった女性の傷の物語である。姉と分かり合えないまま死に別れた経験が彼女の人生に傷を負わせ、それと呼応するように踵に出来た傷が膿んで細菌感染を起こしてしまう。もういない姉に答えの無い問いを投げかけながら、眼に見える傷を彼女は、奇妙なことにそれによって安らぎを覚えているようにすら思えるのだ。人生の傷がそれと目に見える形で存在してくれるのは、救いなのかもしれない。


 そして何にも増して読んでほしいのが「火とかげ」で、これはしばらく忘れられない一編になったというか──私が偏愛短編集を編むならこれを入れたい! と思うような物語であった。


 主人公の「私」は新進気鋭の画家として活躍していたが、ある日事故を起こして左手が使えなくなってしまう。彼女は使えなくなった手をカバーしようとして右手を酷使、結果的に両の手が駄目になってしまうのだ。


 絵の才能によって人生の全てを賄っていた彼女は、それ以来夫とも上手くいかなくなり、金に困ってアトリエすら解約することになってしまう。何も出来ず、何もする気になれない無気力な日々を過ごす彼女は、古い友人からの連絡で自分の昔の写真が写真館に飾られていることを知るのだが──。

 

”絵なくして存在のバランスを保つことがどんなに難しいか、以前の私はついぞ知らなかった。私のすべてのエネルギーは絵のために人生から留保され、蓄えられたものだ。ただ絵を描く作業のためにのみ、すべてが猶予された状態、それが私の自然体だった。言い換えれば、私は生きたことがない。生き方を知らない。”


 これは作中の文章の引用である。


 静かな筆致で語られる「傷」と、それが及ぼしてしまう影響について、こんなに真摯に向き合っている小説もない。最初は以前と変わらなかった夫は、絵を失って塞ぎ込む「私」を見て、静かにゆっくりと摩耗していく。気遣ってくれる相手が段々と呆れ、冷たくなっていくことを理解していながら、失ったものと傷から一歩踏みだすことが出来ない。絵の才能というフィルターを失って世界と触れ合うことは難しく、彼女はまるで「生き方を知らない」のである


 この途方も無い寄るべのなさ、知らないところにぽんと放り出されたような不安を書き切るハン・ガンの筆力に戦かされると共に、私が自らのよすがとしている「小説」を失った時にどう立ち直っていくのかについてどうしても考えてしまう


 どれだけ大事なものを失っても、人生は続いていくし、傷と折り合いをつけて生きていかなくてはいけない。「私」がどうやって立ち直って、真に生きていくのかは実際に読んでほしい


 私が見事なまでに一芸人間なのは自覚があるところなので、余計に刺さるところがあるのかもしれない。丁度、Audibleでウォルター・アイザックソン『イーロン・マスク』上巻を聴き終えたところで、才能によって牽引される人生というものについて考えさせられた。これは今一番有名な大富豪かつ実業家、テスラとTwitter (現X)を牛耳るイーロン・マスクの半世記だ。


 これを読んで、あまりにイーロンが悪し様に……というか、事実を列挙されているだけから、わざわざ悪し様に書かれているわけではないのだが──書かれていることに驚いた。人に対して冷たく、すぐ癇癪を起こし、周りに当たり散らす。かつての仲間と敵対し、クビにする。


 でもイーロンがやっていけるのはその行動力と才覚が凄まじいからだ。誰も注目していないところに注目し、世界に変革を巻き起こす天才だから、彼は人生を渡っていけるのである。これを読むと、イーロンは動き続けることで傷を乗り越えている節があって、その無限のエネルギーで傷を忘れようとしている様にも人間の美しさがあるな……と思う。とはいえ、SNSをやることに、ましてやそれを運営することにこんなに向いていない人間もいない。適材適所という言葉が考えさせられる……。


 いずれにせよ、自分の中にある何か一つに向き合いたい人、その先も続いていく人生にピンとくる方は「火とかげ」を読んでみてほしい。



五月◉日

 かねてからお世話になっている紅玉いづき先生から合同誌『波の花風吹く』を買わせて頂いた。これは上田聡子先生、編乃肌先生、紅たまいづき先生という石川県在住のお三方による能登半島地震義援チャリティー同人誌である。収益金は石川県に寄付されることになっている


 能登半島地震を受けて、私も定期的に寄付が行われるよう申し込んだりはしたのだが、こういった形の支援を、当地に住んでいらっしゃる先輩方がこういった取り組みで支援されているのを見ると、そこに込められた祈りの重さに感じ入るところがある


 収録された三本はどれも石川を舞台にした物語だ。地元の祭りをテーマに扱ったもの、図書室での交流、そして復興そのものについての物語。小説の後には能登半島地震についてのエッセイが載っている。


 もし興味を持たれた方は、こちらを是非お手にとって頂きたい。小説の力が誰かの力になりますように。

 https://booth.pm/ja/items/5758878

 


『波の花 風吹く 令和6年能登半島地震チャリティー同人誌』


次回の更新は、6月17日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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