五月!日

文字数 6,471文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら

五月!日

 またまた久しぶりの読書日記になってしまった。読書日記が更新されないことへの心配の声を寄せてくださった読者の皆さんには感謝しかない。本当にありがとうございます。皆さんあってのオールナイトです。


 というわけでしばらくお休みしていた読書日記を再開するにあたって、一つ、読書日記にまつわる興味深くて面白い話というか気づきを書いておきたい


 元々、読書日記は余裕が無い時はおやすみをしていいという約束の下で始めたものだった。読書日記に追われて他の仕事に支障が出てはいけないという担当さんの配慮である。というわけで、私はしばらく仕事の余裕が無いことを理由に読書日記を書かなかった。今までの休みと違うのは、もう読書日記を書かないぞ! という心構えがあったことだ


 するとどうなったか?


 一冊も本を読まない期間が発生したのである


 こんなことはこの十数年で初めてだった。読書の習慣は食事と同じように当たり前のものとしてそこにあったのに……。空いた時間で何をしていたのかは思い出せない。何かをしていたのだろう。一日一冊本を読む時間が空いたら、結構なことがこなせそうなのに。まるで思い出せない。


 そこで私が思い出したのはアンダーマイニング効果についての実験である。子供が自発的にやっていたゲームのプレイに対し、人がご褒美の飴を与えるようにする。それをしばらく続けた後、突然飴を与えるのを辞める。すると、子供は元々無報酬でやっていたゲームを飴が貰えないなら、と言ってやめてしまうという実験だ。


 私は心理学の専門家ではないので、このような経験をした人間の心にどんな変化が起こっているのかを、ちゃんと把握しているわけではない。ただ、この実験を知った子供の頃の私は「怖い話だ……」と震えたものだった。つまり私は飴を与えられて、自発的な動機を失ってしまったのか? そんな……


 ということを意識して、意図的に一日二〜三冊読むようにしたら徐々にこの読書イップスは収まった。あのまま本を読まなくなっていたら、自分はどうなっていたんだろう……と思うが、あまりに未知の世界過ぎて何も思い浮かばない。


 読書のリハビリをしていた時に思ったのは、選書の方法も変わるということだ。誰かに紹介する為に面白そうな本を探しに行く、というモチベーションが無いので、真に趣味に基づく内向きな読書になるのだ。これはこれで楽しいけれど、自分が色々と手に取れていたのは読書日記のお陰なのだなあとも。そう思うと、やっぱり私の作家として、というよりは個人の人生として、読書日記は重要なのかもしれない。


 ちなみにリハビリ期間に自分の趣味に基づいて読んだのはベンハミン・ラバトゥッツの『恐るべき緑』だ。これはかの有名な毒ガスや青酸カリを生み出してしまったフリッツ・ハーパーや、量子力学の権威であるハイゼンベルグやシュレディンガーなど、名前だけは聞いたことのある科学者達の奇妙な評伝──と見せかけたモキュメンタリー短編集である。実は前知識無く読み始めたのだが、二編目の『核心中の核心』という日本の数学者・望月新一と数学の天才にして隠遁者グロタンティークの知られざる交流を描いた短編にいたく感動し、この時の事件が深く知りたいな……とインターネットで調べてようやくこれが史実を元に着想した大胆不敵なフィクションだと知ったのである。私が感動したあの逸話は!? あの出会いは!? そう思わせてくれるのがラバトゥッツの素晴らしさなのだろうが、ほぼ別人レベルまで脚色されている望月新一氏がまだ存命なのもあって、色々と驚いた一作。そこからはこの人物像からこんな物語を紡いだのだなという面白味も合わせてすごく豊かな読書体験を得られた。一方で、科学者を通して世界の危うさや人類への警鐘を鳴らしていく作風は、今の時代にしっかりと共鳴していくものであるとも思う。総じて今年の衝撃作の一つだな……と感動した。帯の「この素晴らしい地獄は、あなた方のおかげでないとしたら、いったい誰のおかげでしょうか?」という文に胸が酷くざわつかされる。


 考えたこともなかったことに気付かされ、周りの人に薦めたのがケイト・モーガン『殺人者たちの「罪」と「罰」:イギリスにおける人殺しと裁判の歴史』だ。これは殺人罪に対して一律の罰を与えていた法律黎明期から、実際にそれを運用していくにあたって「もしかしてこの『殺人』っていうものにはかなり様々な種類があるな。これって同じ罰を与えていてはいけないんじゃないの?」と気づき始めた人間達が悪戦苦闘しながら裁判を行なっていく過程を描いた司法の成長記録なのだ。(あくまでイギリスのものに限られるのだが)


 具体的に例を挙げると、正当防衛という概念が無いところに「正当防衛」が生まれる瞬間なんかが取り上げられている。今だと当たり前の概念としてある「正当防衛」や「心神喪失」あるいはDVを受けていた妻を救う「情状酌量」に、難破する船でのカニバリズムを巡る「緊急避難」など。それらが成立するにあたってはきっかけの事件やそれへの世論が深く関わっていたのである。これがまあ法律に関することなので、決まるまでの年数が長い。その間も同じ事例が起こったり、それによって人々の意見が変わったりと、法律が生き物と言われる所以がわかるような興味深い歴史が綴られている。


 この本ではほんの五十年前の事例も取り上げられていて、まさに法律の問題は終わることなく時代と共に変化していくのだ……としみじみ思っていたら、内容が企業が起こした死亡事故についてのもの(運行していたフェリーの沈没による数百人単位の死亡事故など)があるので、そこってまだ議論されていなかったんだ? という驚きを感じたのだった。総じて、人間が作り人間が運用していくものがどのように育つのかを目の当たりに出来る、極めて重要な成長譚だと思う


 あとは、話題になっていたダン・マクドーマン『ポケミス読者よ信ずるなかれ』というハヤカワ・ポケットミステリ作品も読んだ。挑発的過ぎるタイトル、いかにも読者を食ってやろうという感じ! まんまと釣られて読んでみた。開始数ページから読者を煽る為の『文体練習』(レーモン・クノーの作品。同じ場面を九十九個の文体を使って書いた意欲作。いずれ同じことを別のアプローチでやりたい)なんじゃないかという語り手の語りっぷり。ここまで語りかけてくる語り手、最近はなかなか見ないな……と懐かしさを覚えるほど。語りの最中で別のメタ的な会話を始めるやつ、正直なところ嫌いじゃないんだよな……。このタイトルでまんまと釣られる私のような人間には絶対に満足のいく問題作なので、これらにピンとくる好事家はどっぷりハマって頂きたい。


 そういうわけで、読書日記を書いていたら徐々にあれも読みたいこれも読みたい、あの本の話をしたいの気持ちが戻ってきた。嬉しいことだ。私はまだまだ読める。世の中には面白い本が沢山あって、私はそれを探しに行ける。この感覚を忘れないで、ちゃんと読書日記が書けたらいいなあと思う次第だ。



五月×日

 坂崎かおる『嘘つき姫』は、かねてから出版を心待ちにしていた短編集だった。私は『百合小説コレクションwiz』でご一緒してから坂崎かおる作品の虜なのである。そうしていたら、なんと帯まで書かせて頂けることになった。実際の帯文がどんなものになっているかは実際のものを見て頂くとして、この本の話をしたい。どの作品も粒揃いで、根底に人間への深い洞察があるところがたまらない。どこか遠い異国の物語のような雰囲気が漂っているのは、作品に優れた異化効果があるからだろうか。


 奇想を売りにしている作家としてやっぱり「これ思いつきたかったなあ」と思うのは「電信柱より」だ。これは電信柱に恋に落ちた女性の物語であるのだが、彼女の一見奇妙な愛情を追っていると、そもそも人間がなんとなく実在を信じている愛というものの奇妙さに気付かされる。愛のルーツを探す物語はミステリ的だな、というのがこの短編集を通して読んで思ったことだ。愛を巡る謎の物語として『私のつまと、私のはは』も素晴らしい。これは極めてリアルな子育て体験キット<ひよひよ>を用いて育児の擬似体験を行う同性カップルの物語である。あくまで機械である/目の前にいるのはそれでも自分達の子供である、の狭間で翻弄される二人は、愛の取り扱いに惑っているのかそれとも道具の取り扱いにすれ違っているのか。最終盤の展開にはゾッとする思いと共に、一種の救いも感じられた。それは私が<ひよひよ>に抱く思いが故だろう。これは色々な人の感想を知りたい一作。


 けれど、こうして思い返してみて、個人的に深く刺さったのは『あーちゃんはかあいそうでかあいい』だ。どこがどんな風に刺さったのかを語るには、些かパーソナルなところに踏み込み過ぎてしまうので、読んでからそういうことかと思ってほしい。色んな人が、この短編に様々なものを見出すのではないかと思う。


 改めて一冊読み通してみて、すさまじい短編集だなと嘆息してしまう。坂崎かおる作品はこれからもっと注目されていくだろう。次はどんな一冊になるのか楽しみでならない


 この本と一緒に読んだのが宮内悠介『国家を作った男』だ。宮内先生が様々なところに書いた短編を一ところに集めた宝箱のような短編集である


 いくつか共通する概念が存在している。国家、ゲーム、ゲーム音楽、認知症への恐れなど、そういった作者の興味関心のようなものがグラデーションとして滲み出てくる感じが短編集の醍醐味で面白い。(宮内先生が解題するところによると、本短編集のテーマは「海外」「テクノロジー」「ノスタルジー」であるようなのだが)


 収録されているものの中では、アンソロジー『ifの世界線 改変歴史SFアンソロジー』でご一緒させて頂いた時から、その発想に感嘆した「パニック ── 一九六五年のSNS」と「最後の役」が好きだ。これは、折に触れて麻雀の役が口から飛び出す男の一人語りで、くすりと笑わされる中に人生というか人の芯を食ったような文章が展開される。しかもあとがきを読むと更に驚かされると言う二段構えだ。


 少し変わった面白味を覚えたのが「囲いを越えろ」で、これは百年後に読むのと今読むのとではまるで意味合いが変わるだろう掌編だ。百年後に読んだ人の感想が知りたいけれど、恐らく注釈が入るんではないだろうか。初出を見て、そういえばこれはあの企画の……と気づいたり。


 やっぱり私は短編集が好きだ。物語の美味しいところがぎゅっと詰まっている気がする。今年の目標として、斜線堂有紀版の『小川洋子の偏愛短篇箱』の企画を立ち上げるがあったのだけれど、2024年も半分が見えてきたところで何にも出来ていない。こうして人生は瞬く間に過ぎていくのだなあ。



五月☆日

 企画でスティーヴン・キング『ビリー・サマーズ』のプルーフを頂いたのだ。それ関連でとあるお仕事にも呼んで頂き、嬉しい限りである。(同時期にプルーフの話題を出していたので、誰が同じ仕事を受けたのかが推察出来るかもしれない)好きなものを好きだと言っていたら、いいことがあるものなのだなあ……。


 さて、そのお仕事自体は後々明らかになるとして、まずは『ビリー・サマーズ』の話をしたい。最初に言っておくと、これは斜線堂有紀に非常に刺さる物語であり、小説を書こうとする全ての人間に刺さる“小説家小説”なのだ


 主人公のビリー・サマーズは長いキャリアのある凄腕の殺し屋。引退を控えた彼に最後に舞い込んだ依頼は、しばらくとある街に滞在して行う長尺の仕事。待機の間彼が扮するように言われたのはエージェントとの契約を済ませた小説家だった。この依頼に、ビリーは微かに胸を躍らせる。何故なら彼は無類の読書家で、いつか小説を書いてみたいと思っていたからだ──。


 この入りだけで、小説家に刺さる理由がひしひしと伝わってくるだろう。間抜けだが仕事は出来る阿呆な殺し屋を演じながらも、常に本を持ち歩き、読書を趣味にしている自分を少し誇らしくも思っていそうな──それを自我の深いところに据えているような男が、小説家の振りをしろと言われた時の内心の高揚! 仕事の一環だからまあ小説を書く振りはしとかないとな……と言いつつ「何書こうかな」とウキウキしているその様! 初めて自分が小説を書こうとした時のことを思い出す……。カモフラージュの小説を書く為に支給されたパソコンを眺めている時のビリーの感じが、完全に新しいノートを使い始める時のようですごく良い。


 そうしてビリーが題材に取ったのは、他ならぬビリー自身の物語だった。殺し屋が殺し屋になるまでの物語がつまらないはずがないので、当然それは面白い。読者はビリーという人間を、ビリーの文章を通して知ることとなる。監視の目を恐れて最初はたどたどしい文体で書かれていたビリー・サマーズの物語は、段々と気持ちが先行し、本来のビリーの言葉になっていく。ここは翻訳の白石朗さんの手腕が出ているところなのだが、文章のこなれ方で「ああ、今ビリーは書くことだけに没頭しているのだ……」とひしひし感じる。そうして綴られていくビリーの痛みに満ちた人生に、読者は二重に引き込まれていくのだ。


 スティーヴン・キングは自分の実体験を小説にする、ということに躊躇いの無い作家である。キングが自宅近くで暴走する車に跳ね飛ばされ、全身の骨をバキバキにした後、あまりの痛みからモルヒネ中毒になったのは有名だが、キングはこの痛みの記憶を度々引っ張り出しては作品に応用し、中毒者となった時の経験を『トミー・ノッカーズ』や『ドクター・スリープ』に生かしている。(この事故については『書くことについて』に詳しいので、興味がある方は読んでみてほしい)


 私も──というか、作家はみんな自分の経験の元を取ろうと思うのかもしれない。私も自分の経験や記憶をそのまま材料に使ったりしている。そうすることで、過去に意味を与えられるような気がするのだ。そこでふと、ビリーは自分の辛い過去を小説にすることで鎮めているのかもしれない、とも思った。小説は読者を必要とするものであるが、その読者が自分であってもいい、ただ自分を救う為の小説があってもいい。そんなことを思いながら、小説の持つ力について考えさせられた


 とはいえビリーは自分以外の読者をどうしても求めてしまい──この気持ちもわかる。誰かに読ませたいに決まっている。読んでもらうだけじゃなく、感想もほしい!──そこから思いがけない展開に繋がっていく。最初から最後まで、キングは小説というものが好きで仕方がないんだなあと思わされる。そうじゃなくちゃこれだけ長いこと小説なんかに付き合っていられないのかもしれない。また来月には新刊が出る。果てしないぞ、キング。

 

 

”世の中には面白い本が沢山あって、私はそれを探しに行ける”


次回の更新は、6月3日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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