八月!日

文字数 9,011文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

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八月!日

 夏休みが一番休めないのが小説家という職業である。なんなら、お盆の前にある程度の仕事をこなさなければならない、いわゆる「お盆進行」があるので、通常よりも忙しいのが小説家の八月だ。なんなら、取引先が別にお盆休みを取っていないという理由から、通常通り仕事がある始末である。休みなどない!


 だが、今年の夏は二回ほど遠出をした。文学フリマに参加する予定を立て、更に地方への取材を伴う仕事を引き受けた。こうでもしなければ、私は外に出られないからだ。


 仕事への負担もあるし、何より身体的にもキツいことが多いので遠出は避けていたものの、今年はこういう外向きの用事を入れることで自分を追い込んでいる。


 丁度、Audibleで金原ひとみ『ナチュラルボーンチキン』という小説を聞いていたのもあるだろう。これは、ルーティーンに支配された波風の立たない生活を送っている会社員・文乃は、ある日仕事の一環として楽しいことに全振り人生エンジョイ勢の後輩・平木直理と出会い、彼女と共に日常の楽しいことをこなしていった結果、全てが──本当に文字通り全てが最高になるというアッパーな小説である


 文乃が心を殺したルーティーン生活に入るきっかけとなった出来事が徐々に明かされ、それに心が痛むことはあれど、直理という圧倒的な「光」によって全てが切り開かれていくので、聞いている間は私もなんだか全てがうっすら楽しいモードに入っていた。映画の『イエスマン』や『アイ・フィール・プリティ!』を観た時に近い。


 要するに、やりたいことがあるならどんなことでもやらなくちゃな、という気持ちになっていたのだ


 というわけで、まずは香川で開催される文学フリマに向かった。かつて四国に住んでいるという読者の方が「東京のサイン会は遠すぎて行けない」と言っていたのを思い出したからだ。都内以外でサイン会を開かせて頂けるほどの人気作家ではないかもしれないが、自分で行くことは出来る


 長時間の移動の時は本を読むしかないので、私はいつも大量の本を持ち込んで旅行に出る。荷物にはなるものの、帰りは段ボールに詰めて家に郵送すればいいという気持ちで強気に持って行く。


 香川に持って行ったうちの一冊である『これが最後の仕事になる』は、以前私が参加させて頂いた「全員が同じ書き出しで始める」ショートショート集『黒猫を飼い始めた』(私は「Buried with my CAAAAAT.」という短編を寄せた)のシリーズ第三弾だ。こういう短い物語が沢山詰まっているタイプの本は、移動による中断のストレスが少なくていい。同じ書き出しという制限もそうなのだが、このシリーズは何よりこのシビアな枚数制限が特徴的だ。「この枚数でオチをつけるのが一番しんどいんだよなあ……」と書き手側の気持ちで読んでしまう。


 そんな中で面白いなあと思ったのは、読めば凄さが分かる呉勝浩「半分では足りない」に、こんな風に話が展開されていくと誰が想像出来るだろう? と思わされるような方丈貴恵「ハイリスク・ハイリターン」。そして、言われてみれば! というまさかの視点に驚かされ、この枚数できっちりと驚かされる高田崇史「天岩戸の真実」の三本。こういう作品を読むと、自分がこの依頼を受けていたら……と焦りを覚えてしまう。勿論収録されているものは全編「このアイデアをここで惜しげもなく使っていいのだろうか?」と思ってしまうような贅沢なものばかりだ。短い時間でがっつりとした満足感を得られる一冊で、どうにか飛行機を乗り切った。その他にも二、三冊読むことが出来たのだが、こちらの詳細は来月の小説すばるでの「読書日録」というコーナーで語っているのでチェックしていただきたい。


 そうして着いた香川は、海の匂いがする素敵な場所だった。アートに力を入れた香川県は、フェリーで行ける島に名だたる美術館を擁する夢のようなアートリゾートなのである。疲れも忘れて歩き回り、初めての香川──および四国を堪能した。私は四国に本籍地があるのだが、複雑な一族の事情があって四国に足を踏み入れたことがない為、なかなか感慨深かった。(本籍地を動かすことも出来ないので、未だにかなりの不便を強いられている)


 予約していた夕飯を取る前に、チャールズ・ブコウスキーの書簡集『書こうとするな、ただ書け』を読んだ。書簡集も中断するのに優しい本だと思ったからだ。


 これは詩と小説のフィールドで活躍し、今では半ばカルト的な人気を誇っているブコウスキーという作家の手紙を並べている代物である。偉大な作家かつ筆まめということになると、こんな風にイカした手紙まで印刷して晒されていくのが恐ろしい


 ブコウスキーはタフだけれど私には感性が合わないところもあり、旧時代の人間であるからこその旧時代性が鼻につくところもある作家だ。だけれど、ブコウスキーにしか書けないものが確かにあり、それがぎゅっと詰まっているのがこの本だ。


 ”酒をお代わり。さあ、両手をこすって、自分がまだ生きていることを確かめる。真面目さなんて何の足しにもならない。床の上を歩き回れ。これは贈り物。これは天賦の才能……

 紛れもなく死ぬことの魅惑は、失われるものは何もないという真実の中に宿っている。”


 旅行先でブコウスキーを読めるんだから、飛行機なんてこの世で一番恐ろしいものに乗る価値はあるのだ



八月○日

 さて、香川から帰ると息もつかぬ間に長崎へ飛ぶことになった。これは取材の一環としてである。長崎は何度か行ったことがあるものの、小説に書けるほどちゃんと意識して見て回ったのは初めてだった。


 旅行に付き纏う恐ろしい代物、フィクションでのトラブル遭遇率があまりにも高い飛行機に乗るために、また何冊か旅のお供兼心の支えを見繕った。


 リリア・アセンヌ『透明都市』は、発売前から楽しみにしていたユートピアSFミステリである。なぜなら、私が前に暮らしていた部屋と表紙に載っている家があまりにも似ていたからだ。


 2029年、パリでは生活を一変させる大革命が起きた。人々は治安の良い理想都市を求め、住居を全てガラス張りにし、相互監視を行うことに決めた。二十四時間三百六十五日、お互いの生活を監視し合う生活の結果、犯罪は激減。みんなが穏やかで幸せな生活を送るようになった。しかしある日、そんな理想都市の中で裕福な三人家族の失踪が起こる……。という、まるでミエヴィルのようなあらすじが躍る本作。


 これがSFとしてもミステリとしても面白かった。家が全面ガラス張りになったらどうなるの? という空想が生き生きと描写されており、読んでいると「意外とこの生活は良いんじゃないか」と思わされるのだ。私のように他人に見られていた方がてきぱき過ごせる人間にとってはメリットしかない。


 一方で「他人に生活が見られっぱなしで居心地が悪い」以外のデメリットも、意外な方向から書かれているのが面白い。完全に秘密がなく、幸せなはずの都市であるからこそ起こっていく一連の出来事は、ワイダニットミステリとしても巧みだと思う。この世界では起こりえないことが、ここでは起こる。最後の「ああ〜そういうことになるんだ……」の感覚がたまらなかった一冊。こういうのを読むと、自分でも都市SFが書きたくなる。


 深水黎一郎の『真贋』も飛行機のお供だった。長崎に行くからには、あの巨大な橋のような形の長崎県美術館に行きたかったからである。丁度この時は、ミステリ小説の装画をよく担当されているjunaidaさんの個展「IMAGINARIUM」も開催されていて、タイムスケジュールとにらみ合っていた時だった。


 美術ミステリの名手である深水先生の新作は、贋作をテーマに扱っているミステリである。時価数百億円にもなる私的美術品コレクションを所有する鷲ノ宮家。それがある日、その全てのコレクションが偽物であると鑑定される。果たして、美術品は本当に偽物なのか? それとも、これは莫大な相続税を誤魔化す為の壮大な茶番劇なのか? 事の真偽を見定める為に、美術犯罪課の刑事と「美術探偵」が事件に挑むという物語。謎の景気が良くていい。


 深水作品全てに共通して言えることだが、事件と謎を追っている内に初心者にもわかりやすく美術知識が入ってくるのが特徴である。今回は特に各国の面白い贋作事件を知ることが出来る。恐らくは贋作界一番の有名人であるメーヘレンだけでなく、多種多様な贋作者達や彼らの手法が紹介されている。これを見るに、贋作というものすらも一種の芸術なのではないか……と思わされるのだが、作中で美術探偵である神泉寺が語ることを読むと、当然ながら真作と贋作の間に横たわる圧倒的に深い溝について知らしめられる。


 この本を読むと、ミステリへのモチベーションだけでなく美術へのモチベーションも大きく高められるに違いない。


 長崎についた直後から、ひたすら取材に向かう。体力がついたと思い込んでいたが、正直全くそんなことはなく、メモや写真を撮りながら哀れなくらいぐったりしていた。真夏の取材はひたすらに気力と体力の勝負である。限界まで全てを詰め込んで仕事をし、長崎県美術館についた時には半ば呆然としていた。美術館で飲んだマンゴージュースの味は一生忘れないだろう



八月△日

 長崎から家に帰ると、桜庭一樹『名探偵の有害性』のプルーフが届いていて飛び上がりたくなるほど嬉しくなった。疲れていたのでそのまま読み始めた。雑誌「紙魚の手帖」で連載していた時から好きだった小説なので、本の形で読みたかったのだ。


 あらすじを説明すると、かつて一世を風靡した名探偵・五狐焚風の助手だった鳴宮夕暮。二人はシャーロック・ホームズとワトソンのような男女コンビとして颯爽と事件を解決。鳴宮は風の活躍を小説にして出版し、世に名探偵ブームを巻き起こした。


 そして三十年後──二人はかつての輝きが見る影もない冴えない五十代になっていた。探偵の実質引退後は自然と疎遠になり、それぞれが上手くいかない日常を送っている。そんな五狐焚風を今になって「#名探偵の有害性」というタグと共に糾弾する配信者が現れる。汚名を晴らす為に、二人は改めてかつての事件の検証に向かう──


 名探偵の意義とは何か? というのは、新本格最盛期にも問われていたものであるが、この物語は社会派後期クイーン問題というべきものを提示し、探偵というものを問うことで今の世界の有様や、表に出る人間とその影に隠れる人間の関係性、それにより覆い隠され黙殺されてきたものを描き出す。読んでいて胸が苦しくなるくらい切実で、痛みを伴う物語だ


 過去の風と「鳴くん」を描いたパートは華やかで楽しく、名探偵というエンターテインメントを体現した『五狐焚風』が描かれる。彼は私達がまさしく求めてきた名探偵であり、ショービズの星のような存在だ。だが、現代からそれを問い直す段になると──そのエンターテインメント性の影にあったものや、その中で見過ごされてきたものに光が当てられるようになる。その様は、まるで刃を喉元に突きつけられているようですらある。


 一方で、過去の間違いに光が当たること、その時の空気のせいで無かったことにされてきたものを掬い上げてくれることは、明確に救いでもあった。近年になってようやく価値観のアップデートというものが奇異の目で見られなくなってきはじめた(あくまで奇異の目で見られなくなって「きはじめた」だけなのだが)こともあり、この問い直しの過程は今もなお傷ついている人にとっての光になるのではないかと思った。


 その意味で、この小説はエッジが利いている令和のミステリであり、今まで光の当たっていなかった傷に光を当てることで読んだ人を癒やす「エイドノベル」として機能するのではないかと思った


 桜庭先生とは以前競作企画をやらせて頂いて(文藝に載った「あの春に用がある」だ)、何度か打ち合わせをさせていただくにつれ、ますます眩しく感じている。桜庭先生がこうした小説を書いてくださっていることに、一読者として感謝の念を禁じ得ない



八月×日

 最近は、怒濤の勢いで刊行されるシリーズで一年の経過を感じるようになってしまった。今まで読書日記で取り上げてこなかったのでここで紹介すると、ワシントン・ポーシリーズは、その名の通りポー部長刑事を主人公にした刑事もののシリーズで、数々の猟奇殺人事件をポーが解決するという王道の英国ミステリである。第一作の『ストーンサークルの殺人』から昨年の第四作『グレイラットの殺人』までがみんな高い評価を受けており、安定感のあるシリーズだ。ドラマ化の話があったはずなのに全く続報がないシリーズでもあるのだが、本当にドラマになったら映える話でもあると思う。


 なんといってもポーの相棒であるティリー・ブラッドショーがいい。コミュニケーション能力には難があるものの、ネットの世界でありとあらゆることを実現するITの天才。ギーグでキュートな彼女を好きにならずにはいられない。どんな事件を前にしてもマイペースなブラッドショーに会う度に、嬉しくてたまらなくなる。


 そんなワシントン・ポーシリーズも早くも五作目。いいことなのに涙が出そうになる。時間の経過があまりにも速い。こんな風にコンスタントに新刊が出せたらなあ!


 さておきこのシリーズの特徴として、大体ポーがめちゃくちゃな窮地に追い込まれているところから始まる(過去作では容疑者だったり、家を追われそうになっていたり、犯人に名指しされていたりする)というのがあるのだが、今回はポーではなくポーの戦友とも言うべき病理学者のエステル・ドイルが父親を殺害した容疑で勾留されているところから始まる。


 しかも、事件はみんなが大好きな雪密室だ! 雪の上に足跡が残されていない以上、犯人はドイルでしかありえない……そんな不可能状況をどうにかすべく、ポーが奔走する。ドイルの事件でてんやわんやなところに、劇場型連続殺人犯「ボタニスト」まで現れるという二段構えが嬉しい。流石上下巻、気合いが入っている。


 この「ボタニスト」の造形がかなり今っぽく、ターゲットにされるのが女性蔑視の激しい著名人や、ヘイトを煽るインフルエンサーなど、そういったみんなが憎んでいる人間がターゲットになるのだ。そうなると当然のように「ボタニスト」側を応援する世間の空気なども出来てきてしまう。大衆の怒りと憎しみをコントロールしながら、ボタニストは厳重な警備をされたターゲット達を毒殺していくのだ……。


 個人的には、傑作である『キュレーターの殺人』(※三作目)に匹敵する面白さがあり、今シリーズに入ってここまで追いつくのが一番いいのではないか思っている。みんなもワシントン・ポーで一年の流れを感じよう。



八月◎日

 八月はミステリの話題作が狙い澄ましたように大量に出る。何故ならランキングシーズンだからである。九月までに刊行された作品が投票対象となるので、みんな力作を刊行するのである。読者にとっては嬉しい時期である。私もこの時期に合わせて勝負作を出していない限りは嬉しい季節だ。出していると一年で一番恐ろしい気持ちになる季節である。


 というわけで、今のところ読んだ注目作達を一気に紹介していく



 まず、これは触れておかなければならないと思ったのが新名智『雷龍楼の殺人』である。なんとこのミステリは「完全な密室」を謳っているかなり挑戦的な作りをしていて、なおかつ物語の冒頭にあらかじめ外狩詩子という犯人の名前、彼女には協力者がいないこと、これは叙述トリックでもなく、本当に真相であることが明記されている。惚れ惚れするほど好戦的だ。そんなこと言ってもいいのかな? と読者は構えた状態で読むことになるのだから……。


 物語は、霞という名の少女が何者かに誘拐されることから始まる。霞を誘拐した犯人は、彼女を返してほしければ、とある島に建つ雷龍楼に向かえと要求する。妹のように可愛がっていた霞を救うべく、穂継は指示通りに雷龍楼に向かうのだが──そこでは破る方法が一切存在しない完全な密室状態における殺人事件が起こるのだ!


 ……けれど、先述の通り、犯人はもう既にわかっているのである。犯人は外狩詩子で、それは揺らがない。でもトリックはわからない。果たして穂継はこの完全な密室を暴き、霞を取り戻すことが出来るのだろうか?


 この小説はフェアプレイを謳っていて、アンフェアなところはたしかになかった。密室も完全な密室だった。これ以上「完全な密室」は存在しないかもしれない。本当に、それだけしか言えない。にくい伏線がいくつも敷いてある、まさしく私達のようなマニアへのミステリだと思う。いやあ、面白い……。


 もしかするとこの本を読んだ方は、とある一冊を思い出すかもしれない。私はその本を思い出し、少しほくそ笑んだ。


 間違いなくこの小説は色んなところで話題になるだろう。というか、話題になってくれたら嬉しい本なので、よければ是非とも「完全な密室」に挑戦してほしい。

 


 上條一輝『深淵のテレパス』も面白かった


 怪談会で怪談を聞いてから、家の中で水音が落ちる音が聞こえるようになるという嫌な呪いを描いた新感覚ホラーである。対処方法は「光を絶やさない」ことであり、呪いに掛けられた人間は、明るい部屋の中で謎の存在と対峙していく。


 昨今のホラーブームでよく見られる、理不尽で太刀打ちが出来ない怪異も恐ろしくれ好きだけれど、本作の怪異はロジカルに解き明かしその正体に迫っていけるものでもある。ホラーとミステリのいいとこ取りなのだ。被害者達を繋ぐミッシングリンクと呪いの発動条件がわかった時、得も言われぬ気持ちよさがある。この味を食べてから「ああ、これ読みたかったんだった」と思わせてくれるとても良いホラーだ。そして、水に誘われ水に取り込まれていく恐怖がしっかり怖くてそこもいい。



 この新刊ラッシュの中で既に大きな話題になっているのが櫻田智也『六色の蛹』だろう。昆虫大好き青年・魞沢泉が自然にまつわる事件を解決するシリーズの第三弾であるが、今回もやはりよかった。今回は泉と、その狩猟の師匠に関わる事件が肝になっており、最初と最後でかなり驚かされた。この作品はなんといっても人間の細やかな機微と、それに寄り添う自然のコントラストがたまらず、切ないのに優しい読書経験をさせてくれる。謎を解くことについてこういう角度から光を当ててくれる小説はなかなか無いのではないだろうか。


 その中でもお気に入りなのは「黒いレプリカ」だ。古代の埋蔵物と、その出土偽装を行ったと疑われている職員。人間の思惑が交差して謎が深まる展開は勿論、出土物や発掘についての知識が自然にミステリへと組み込まれているのが面白い。そこに描かれている全ての感情に納得がいく、という一編。



 そしてなんといっても阿津川辰海『バーニング・ダンサー』もあった。表紙がものすごく格好良いこの新作は、能力者VS能力者を描いた警察小説である。こういう能力者ものは、能力の設定やネーミングに書き手の趣味やセンスが現れるので、まずそこからわくわくする。本作の能力者達は「燃やす」「入れ替える」などの動詞縛りで構成された能力・コトダマを用いる。この能力の良いところは、使い方がイメージしやすくて自由度が高いので、読者の想像を搔き立てやすいところだと思う。なおかつ、思いも寄らない使い方でこちらの裏を掻いてくれるのも醍醐味。ここを、阿津川辰海はしっかりやってくれる。


 主人公であり「入れ替える」の能力を持つ刑事永嶺は、残虐な連続殺人事件を起こしている「燃やす」のコトダマ遣い・ホムラを捕まえるためにSWORDと呼ばれる捜査部隊を結成する。メンバー全員が能力者であるこのチームで、永嶺は犯人を追い詰めていく。


 能力バトルを読み合いに昇華させるのは、全てのコトダマに何らかの条件がついているところだ。たとえば、永嶺が「入れ替える」能力を使う時は、指を鳴らさなければならない。従って、別の能力者と対峙する際は、相手の条件は何かを探ることが重要になってくる。本作でも、複雑な条件の読み合い──あるいは、読まれることを想定しての読み合いが繰り広げられる。これが能力バトルの良さだ……。


 おまけに、阿津川辰海特有の派手などんでん返しもあり、てんこ盛りで贅沢、あらすじを読んで惹かれた人は絶対に好きだろうものが読める一作。私はやっぱり、SWORD結成の立役者、飄々としている女課長の三笠が好きだ。みんな好きだと思う。是非とも続編を読みたい……。


 最後になるが、先日催されたサイン会で何人もの読者の方に読書日記を楽しみにしていると言って頂いた。この日記によって、読む本を決めているとも。ありがたい話である。夏休みを終えてもちゃんと更新出来るよう、本を読んだら一冊ずつ日記をこまめに書いていけば楽なのかもしれない。けれど私は夏休みの宿題も最終日に──というか、まともにやっていたかも怪しい人間なのだ。毎日コツコツが出来る勤勉な人間に、新学期は生まれ変われるだろうか?

 


今回はミステリシーズンにつきロングバージョン!です。


次回の更新は、9月16日(月)17時を予定しています。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

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