『ゴシック文学神髄』東雅夫/もう”ネヴァーモア”とは言わせない(千葉集)

文字数 2,421文字

次に読む本を教えてくれる、『読書標識』。木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

『ゴシック文学神髄』(筑摩書房)について語ってくれました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

「ぼくは古典主義者なんだ」若者は片手をさしのべて、古典文学が並ぶ本棚を示した。『ユドルフォ城の秘密』、『オトラントの城』、『サラゴサ手稿』、『マンク』といった作品が並んでいる。「これらの古典こそ文学だ」

「もはやそうではない(ネヴァーモア)」大ガラスはいった。


ニール・ゲイマン「顔なき奴隷の禁断の花嫁が、恐ろしい欲望の夜の秘密の館で」(角川文庫、金原瑞人・野沢佳織訳)

「オトラント城奇譚」を読んで驚きました。こんなに軽妙で愉快な小説だったのか、と。


舞台はイタリア半島南端、オトラント城。城主マンフレッドの嫡子コンラッドと美姫イザベラの結婚が執り行われんとしていたそのとき、コンラッドが巨大な兜に圧し潰され死亡する悲劇に見舞われます。


唯一の男子を失ったマンフレッドの脳裏に浮かんだのは、遠い昔に下された予言でした。「オトラントの城およびその主権は、”まことの城主”成人して入城の時節到来しなば、当主一門よりこれを返上すべし」


彼の一族には、城を正統な後継者から奪った後ろ暗い過去があったのです。


世子なしでは、予言どおりに城主の座を追われてしまいます。そこで新たに子をなそうと、妻ヒッポリテとの離縁を勝手に決め、若いイザベラに再婚を迫ります。


イザベラはといえば、そんなキモいおっさんと結婚したくありません。マンフレッドの娘マチルダ、ヒッポリテ、城お抱えのお坊さん、そして謎の美青年セオドラの助けを借り、幽霊や怪現象のはびこる城からの脱出を試みます。


「オトラント城奇譚」はゴシック小説の嚆矢とされています。


ゴシック小説とはなにか。『ゴシック文学真髄』の姉妹論集である『ゴシック文学入門』に収録されている紀田順一郎「ゴシックの炎」によれば、幽霊、魔女や妖術師、人に化けた悪魔、錬金術・催眠術・占星術などといった超自然科学などの出てくる、超常的でおどろどろしい怪奇に彩られた小説のこと。


十八世紀末に興ったムーブメントで、歴史(時代)小説、ホラー・怪奇小説、スリラー、サスペンス、幻想文学、そしてミステリやSFの先祖とも言われます。


あらゆるジャンルの先立つ存在とは、つまり、古いってことです。


蔦の生い茂った古城や廃墟然とした荒涼さを纏っていて、怪奇幻想趣味以外の読者にはとっつきづらい印象がある。


そりゃ文学史的には超重要なのだろうけど、あらすじを見ても新味に欠ける(当たり前)し、あとなんか怖そうだし……といったところで個人的にも積ん読山脈の最下層に埋めていました。


それが今回『ゴシック文学神髄』が出たというので「オトラント城奇譚」を読んでみたら、めっぽうおもしろい。


まず、キャラが立っている。


悪役である城主、マンフレッドは権力や欲望をふりかざす暴君なのですが、彼は暴力より口のほうが達者です。ヒッポリテと離縁してイザベラを娶ろうとするのに反対する僧侶と数ページに渡って激論を繰り広げる場面で、神の道を説く僧侶に対して巧みに話をすりかえいつのまにか「いや俺の方が神の御心に沿っている」と強引に理を通してしまいます。


先祖が押領した領地を正統な領主に返せ、と主張する使者がやってくると、そこでも長広舌で屁理屈をこね、またも言いくるめたか……とおもわれたタイミングで僧侶が乱入して場を乱し、わちゃわちゃしていく。頭でっかちな僧侶と、暴君のくせに妙なところで理屈を立てようとする城主の掛け合いは、真剣なのにどこか笑劇めいています。


他のキャラたちも魅力的で、義侠心に富んだマチルダと薄幸のヒッポリテと芯のあるイザベラの女性陣は手をたずさえ、凶悪な家父長制の権化であるマンフレッドを陰に陽にかわしますし、ヒーロー格であるセオドアは農家育ちということもあってかなぜか一人称「おいら」な蓮っ葉な田舎者口調。


豊かな世界をいっそう際立たせているのが、平井呈一の訳文です。「ソレソレ」「ごさんすぞえ」「シェー」と、オフビートな戯作調というか狂言調。鬼面人を威す恐怖や怪奇を期待すると肩透かしかもしれませんが、逆に怖がりな読者でも大丈夫。幽霊も「入道」と表現されていて、どことなくユーモラスです。

 

本書の収録作は他に、「百合小説の古典」(亜紀書房版の紹介文句より)として知られ、吸血鬼百合SFとして昨年話題になった伴名練「彼岸花」(『アステリズムに花束を』ハヤカワ文庫JA)の元ネタでもあるレ・ファニュの「死妖姫」(野町二・訳)や、澁澤龍彦に「真にロマン主義を生きようと欲した」作家と評された伊達男ベックフォードによるオリエンタルな大伽藍「ヴァテック」(矢野目源一・訳)、本邦におけるゴシック文学紹介の泰斗、日夏耿之介訳のエドガー・アラン・ポオ「大鴉」「アッシャア屋形崩るるの記」。どれも正攻法でありつつも、その中に現代のわれわれからするとある種の奇が凝らされているように見える。


だいたいが百五十年から二百年前の作品です。古めかしい景色を、五十年前七十年前の翻訳という、これまたアンティークなレンズを通して視る。それがなんとも新鮮に映ります。


われわれ怠惰な読者がゴシック古典を敬遠してきた理由について、本書は最高の言い訳を提供してくれました。まさしく、「この訳で読むためだった」と。事実上の再録が多いですが、そこはそれ。またとはなけめ(ネヴァーモア)。

『ゴシック文学神髄』東雅夫編(筑摩書房)

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