『言語の七番目の機能』ローラン・ビネ/彼が死んだその後に(千葉集)

文字数 1,889文字

今週の『読書標識』、木曜更新担当はライターの千葉集さんです。

『HHhH』で本屋大賞翻訳小説部門の1位にも輝いたローラン・ビネの新作『言語の七番目の機能』(東京創元社)について語ってくれました。

書き手:千葉集

ライター。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

人生は小説ではない。少なくとも、あなたはそうであってほしいと思っているだろう。

ローラン・ビネ『言語の七番目の機能』

「1980年に交通事故死した哲学者ロラン・バルトの死が実は殺人であり、それはヤコブソンの残した『言語の七番目の機能』に関する秘密のドキュメントを狙って起こされたものだった」という内容の記号学ミステリがあると聞いて、特に人文学に興味も知識もないくせして、よし、おもしろそうだな、買おう、と表明するようないけすかないスノッブとはお近づきになりたくないものですが、それが自分自身であった場合は? どうしようもないですね。末永く付き合っていきましょう。


とはいえ、本書を読むにあたってあなたはバルトと知り合いである必要もなければ、フーコーを、エーコを、デリダを、クリステヴァを、サルトルを、ソレルスを、アルチュセールを、モリス・ザップと親しい必要もそれほどありません。


なんだか晦渋なことを言ってるエキセントリックな人がいっぱい出てくるな、と人名をググりながら読みすすめていたら、いつのまにかカーチェイスあり、セックスあり、大統領選をめぐる陰謀あり、スパイあり、暗躍する謎の日本人コンビあり、ファイトクラブばりの地下弁論バトル大会あり、睾丸切断あり、イヌの襲撃あり、とパルプな世界に巻き込まれ、暗殺に次ぐ暗殺によって死体の山が築かれていきます。


陰謀スリラーの中心にあるのが、タイトルにもなっている「言語の七番目の機能」。言語学者のヤコブソンが提唱した六つの言語の役割、そこから外れた呪術的な”七番目”で、ものすごくヤバい代物らしい。弁舌に乗せて駆使すると、とんでもないパワーを発揮するとかしないとか。


この「言語の七番目の機能」の謎とそれをめぐる巨大な陰謀に、フランス総合情報局の警視ジャック・バイヤールは、大学で記号学を教えるシモン・エルゾグと共に立ち向かいます。このシモンのキャラがちょっとおもしろい。作者自身が明かしているようにシャーロック・ホームズと同じイニシャルを持っている青年学者は、バイヤールとの初対面時には彼をひと目見ただけで身なりや振る舞いに現れたしるしを”解釈”し、従軍歴や離婚歴、果ては選挙戦での投票行動といった過去の履歴をピタリピタリと言い当てます。


まさにシャーロック・ホームズが『緋色の研究』でワトスンに対して行った神業のパロディです。高度に発展した記号学者は名探偵と区別がつかないのです。


1980年前後のフランスの知識人界隈への毒気たっぷりな諷刺と、パルプなエスピオナージュとホームズとウンベルト・エーコへの目配せが交錯するマッシュアップ・メタフィクション。引用のスパゲティ。


そう聞くと、ふざけているのか、と思われそうですし、実際にローラン・ビネもふざけようとしてふざけている節があるのですが、そうしてふざければふざけるほど逆にビネの作家としての本性が浮き彫りになります。それは真実に対する真摯さであり、誠実さです。


ナチスの悪童ラインハルト・ハイドリヒ暗殺計画を題材にしたデビュー作『HHhH』において、歴史上の出来事や人生を小説としての語ることの不誠実さについて正面から向き合ったビネは、本作でも律儀なほどのリサーチを行う一方で、歴史改変的なシーン(たとえば実在の哲学者や小説家が悲惨な目に遭うくだり)ではあきらかにウソっぽい、ギャグめいてすらいる描き方を用います。


小説という形式にあらかじめ組み込まれた不実さにどこまで抗えるのか。人間の人生を小説の中に描くというのは、描かれるというのは、どういうことなのか。


ビネの奇妙な生真面目さは情熱に転化するとエモーションを生むものの、ジャンル的なものに向かうとテンプレートに忠実になりすぎてしまうきらいもありますが、ともかくも作家としての美徳には違いはなく、わたしたちを彼の新作へと向かわせます。

『言語の七番目の機能』ローラン・ビネ/高橋啓訳(東京創元社)
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