『金箔のコウモリ』エドワード・ゴーリー/我が良きコウモリ(千葉集)

文字数 1,472文字

次に読む本を教えてくれる、『読書標識』。木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

今回はエドワード・ゴーリーの『金箔のコウモリ』について語ってくれました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

エドワード・ゴーリーの最高傑作はなにか。


そう問われれば、わたしはいくつかのタイトルのあいだでしばらく悩むでしょう。


しかし、いちばん好きなゴーリーは? と問われたならば、迷いなく本作をあげます。



絵本『金箔のコウモリ』で主題に据えられるのは、ゴーリーがこよなく愛したバレエです。


メランコリックな雰囲気の少女モーディ・スプレイトウは五歳のとき、元アッソルータ(最高位のバレリーナ)の女性に才を見いだされ、バレエ学校に入学します。やがて実力派のバレリーナとして頭角を表すと、ヨーロッパ随一のバレエ団に引き抜かれ、演目『金箔のコウモリ』の成功により「時代を代表するバレリーナ」にまで上り詰めます。


舞台でのモーディは華やかです。


蝶や鴉、蝙蝠などに身をやつし、衣装面でもアクション面でも飛翔のモチーフが強調されます。舞台の外でも大衆やマスコミの前ではヒラヒラときらびやかな衣服を纏い、軽やかで魔性めいた印象をふりまきます。


対象的に、プライベートでの彼女は非常に地味。装いも生活も質素で、挿絵でも文字通り地に足がついた姿が描かれます。


鳥のよう舞い踊るモーディと、茫洋とした面持ちで堅実にトレーニングを重ねるモーディ。どちらが彼女の本性であるかは読者にも秘されています。あるいはコウモリのように地を這う哺乳類でありながら、同時に飛行もできる両義性こそが彼女の定義なのかも。


しかし、人々が彼女についてイメージするのは常に華麗に羽ばたく姿です。モーディの運命もバレリーナ兼セレブリティとしての彼女に決定づけられていきます。

 


芸術的成功に絡め取られて、人ひとりの人生が狂っていく。本作の筋はそのようにも要約できるでしょう。ところが、いかにもゴーリー的”悲劇”であるはずの本作のラスト(といえば大体のオチは知れてしまいますが)には、切なさのなかに一抹の解放感も漂います。


ゴーリーの伝記作者であるマーク・デリーが指摘しているように、本作のプロットやアイデアは映画『赤い靴』(マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督)から強い影響を受けているようにおもわれます。ですが、『赤い靴』がまさに「人としての幸福よりも芸術的成功を選んだアーティストの末路」を映しているのに対し、『金箔のコウモリ』では芸術に対比される「人としての幸福」がない。


彼女の内面はいっさい吐露されず、ただひたすら舞台で飛ぶための準備が重ねられていきます。


その努力の結果として、彼女は天に届くのです。地上の誰にも追いつけない存在となるのです。そこには芸術と人生の区別などなく、彼女が彼女として在る。


だからこそラストシーンに救済のような、祝祭のような清々しさが宿るのでしょう。



手品のようにあざやかなストーリーテリングと、わたしたちの憂鬱によりそってくれる陰翳の効いたイラストレーション。ゴーリー円熟期の逸品です。

『金箔のコウモリ』エドワード・ゴーリー/柴田元幸 訳(河出書房新社)
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