『オクトローグ 酉島伝法作品集成』酉島伝法/果てへの旅、その前に。(千葉集)
文字数 1,656文字
本を読むことは旅することに似ています。
この「読書標識」は旅するアナタを迷わせないためにある書評です。
今回は千葉集さんが短編集『オクトローグ』(酉島伝法)について書いてくれました。
テレビゲームって操作やシステムがソフトごとに違うじゃないですか。あたらしいソフトを買うたびに、あたらしい操作をおぼえないといけなくなる。Aボタンを押せば攻撃で、Bボタンを押せばジャンプで、LボタンとAボタンの組み合わせで必殺技が出て……でも、ひとつ前に遊んでいた別のソフトではBボタンで攻撃して、Aボタンで防御だった、なんてことはよくあって……。
あたらしい作品に触れるたびにあたらしい様式をインストールしないといけない。そういう点では小説もゲームと似ているのかもしれません。紙の上で活字になっている物語でありさえすれば、まるで同一の宇宙で展開されているかのように認識してしまうけれど、ほんとうは作者あるいは作品ごとに宇宙の法則は違っていて、わたしたちは無意識にその空気に適応しながら読んでいるのかもしれません。一冊の本を通して身体が変化しているのです。
読む前と読み終わった後とで、わたしたちはちょっと違う生き物になっている。ですが、ときどき、あまりに読者を変貌させすぎてしまう、淘汰圧の高い宇宙を創る書き手もいます。酉島伝法です。
その個性は本を開けば一目瞭然でしょう。造語に次ぐ造語の数々。しかもその造語が「列這(れっしゃ)」だとか「万史螺(ましら)」だとか、ルビで二割くらいはぼんやりイメージできそうな気がするものの、やっぱりそれだけだと何がなんだかわからないものばかりです。
遠くへかっとばしてナンボなSFであろうと、尋常な作家は読者をいきなりよその惑星へ連れて行って置いてけぼりにはしません。でも、酉島伝法は平気でそういうことをする。やっちゃうんですよね。あなたが放り出された星には知的な原住生物がいるようで、もちろん言葉なんて通じませんが、ボディランゲージでかろうじてコミュニケーションを取れそうな感触があります。
徒手空拳で頑張ってかれらの言語を習得していくうち、かれらの文化や歴史に触れ、意味不明に思われた造語にも文脈や背景があるのを知り、またかれら自身もユーモアに溢れた愉快なやつらだと判明すると、いつのまにやらあなたはその星(『皆勤の徒』や『宿借りの星』と呼ばれています)に連れてきてくれた案内人にも感謝の念を抱くようになるはずです。
とはいっても、準備なしに太陽系外へ直行するのを躊躇する方もいるでしょう。せめて、火星あたりから始めたい。そこで紹介したいツアーがこちら、『オクトローグ』。著者初の短編集です。
最初に収録されている二編、囚人をミミズのような肉体に変えてしまう刑罰のある日本を舞台にした「環形錮」と、刷版工場に勤める主人公が謎の寄生虫によって現実ごと侵されていく「金星の蟲」には、虫っぽい肉体のイメージや非人間的な労働といった酉島作品に頻出のモチーフがエッセンシャルかつ比較的読みやすい形で語られていて、おおまかな作家像をつかむのに有用です。ウルトラマンや『BLAME!』のファンであれば、それらのトリビュート作品である「痕の祀り」や「堕天の塔」が入り口になり得るかもしれません。そうして徐々に身体を慣らしたところで「ブロッコリー神殿」や「クリプトプラズム」に挑んでみましょう。意外に呼吸ができることに気づくはずです。
人はまず音韻を理解し、語彙を収集して、文章を読解できるようになり、そして最後に社会や文化の文脈のなかでの規則を学ぶことで言語を得るといいます。そんな言語獲得プロセスを、ルビと造語と緻密な世界構築を駆使して圧縮するかのようなユニークな読書体験、それが八個分。そういえば、太陽系の惑星の数も同じ数でしたね。未知なる宇宙へ飛び出すには、いい足がかりではありませんか?
ライター。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。