『旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。』萬屋直人/「果て」の在り処(岩倉文也)

文字数 2,380文字

「次に読む本へのみちしるべ」というコンセプトで連載を続けてきた『読書標識』。1年間にわたり毎週2本更新でお送りしてきましたが、今回で最後となります。

今回の書き手は、作家の岩倉文也さん。ご紹介していただくのは、萬屋直人『旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。』(電撃文庫)です。

書き手:岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。

Twitter:@fumiya_iwakura

なぜ人は世界の果てを目指すのだろう。ぼくはよく疑問に思う。


当然、世界に果てなどないはずだ。なぜなら地球は丸いのだから。


それでも人は世界の果てを目指した。世界の果てを目指す数多の少年少女たちを物語に描き続けた。しかし彼らが世界の果てに辿り着いたことなど、一度でもあっただろうか?


重ねて思う。なぜ人は世界の終わりを願うのだろう。


ぼくらは世界が、そうやすやすとは終わらないことを知っている。


それでも人は世界の終わりを願った。終末を生きる数多の少年少女たちを物語に描き続けた。しかし彼らが世界の終わりに立ち会ったことなど、一度でもあっただろうか?


萬屋直人の『旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。』はタイトル通り、「世界の果て」と「世界の終わり」、その両方のモチーフを全面に押し出して書かれた、異色のライトノベル作品だ。


本作の特徴は、何よりもまず研ぎ澄まされた世界設定にある。


徐々に名前や色彩が失われてゆき、最後には自身の存在すら失われてしまう「喪失症」という現象が蔓延する世界。ほとんどの人類はこの「喪失症」によって消滅してしまい、生き残ったわずかな人々も、やがて訪れる存在の喪失を待つだけとなっていた。そんな世界にあって、名前を失った少年と少女が、「世界の果て」を目指してスーパーカブに乗り、ひたすらに北へ北へと旅してゆく──。


ある意味本作では、こうした世界設定の美しさ、完璧さが、作品それ自体の価値を上回っているとすら言い得るかもしれない。ぼくらは終わりゆく世界を旅する彼らの姿に、自らの願望の実現を見るのである。


世界の果ては、逃げ水のように遠ざかってゆく。というより原理上、そこは存在しないのであり、だれにも辿り着くことはできない。考えようによっては、天国や地獄といった他界すら霞むほどの、幻想の彼方に「果て」はある。

何か目的がある旅ではない。そんな苦労をしてどこへ行くのか、と訊かれることも多いが、そんな時はこう答えることにしている。

『世界の果てまで』

この旅に意義など求めていない。苦労など知ったことか。行き先なんて考えたこともない。

少女は読書をする趣味はなかったが、それなりに読書家な少年から教えられ、以来気に入っている言葉がある。

鏡の国で出会ったとある女王に、主人公の少女が言われるのだ。

『この場に留まりたければ走れ。前に進みたければもっと速く走れ』と。

少女は、少年と一緒に居るために、旅を続けているのだ。

少女のこの考えは示唆に富んでいる。世界の果てなど最初からないのであり、だから永遠に辿り着けない。しかし翻って言えば、そこを誰かと共に目指し続ける限り、その二人はずっと一緒にいられるのである。もちろんこれが唯一の答えではないが、「世界の果て」を目指す理由として、納得のいく回答のひとつではあるだろう。


たとえば詩人の寺山修司は、遺作である「懐かしのわが家」の中で

ぼくは

世界の涯てが

自分自身の夢のなかにしかないことを

知っていたのだ

と書いている。多くの著名人と交流し、膨大な創作を行ってきた詩人が最晩年に紡ぎ出した言葉として胸を打つが、こちらはより孤独の色彩が強い。世界の果ては自分の夢の中にしかなく、そこには誰も立ち入ることができない。


ぼくはずっと、世界の果てというと、この寺山修司の詩を思い浮かべてきた。しかしそう考えてゆくと、ぼくにとっての読書とは、まさに「世界の果て」を、より外へ外へと押しひろげてゆくための行為だったのかもしれない。世界の果てがもし自分の夢の中にしかないのだとすれば、それはいかようにでも作り替えられるはずだからである。


少年と少女は、お互い、世界の果てがあるなどとは信じていない。


世界の果てとは、ただ遥か彼方にある「未知」の異名なのだ。


そしてそれは、ぼくらが本を読む理由でもある。少年と少女は、終わりゆく世界を一台のスーパーカブに乗って駆け抜けてゆく。ぼくらはそれを見ている。ぼくらは彼らが一体どこへ行ってしまったのか、決して知り得ない。紡がれたすべての物語は、世界の果てを目前に消息を絶つ。


読書という営みの本質は、その「果て」の在り処を、想像することにこそあるのだ。


ぼくは果たして良き書評家足り得ていただろうか? ぼくはこれまで何を語ってきたのだろう。読書の世界に地図はなく、道がどこへ続いているのかなど誰にも分かりはしない。けれどひとつ言えることは、本に出会うための道は無数に用意されているということだ。ぼくはこの一年間、ただ自分の通ってきた道を指し示していたに過ぎない。


正直なところ、ぼくは決して本を愛してはいない。本を読むことで得られたものも多いが、同意に失ったものも多いからだ。しかしぼくは信じることができる。ぼくはきっと、死ぬまで本を手放すことはないだろう。そこに「未知」が、「世界の果て」があり続ける限り、人が旅への欲望を捨て去れないのと、同じように。

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