『獄中シェイクスピア劇団 』M・アトウッド/私を自由にしてください(千葉集)
文字数 1,950文字
次に読む本を教えてくれる、『読書標識』。木曜更新担当は作家の千葉集さんです。
アトウッドの新刊『語りなおしシェイクスピア 1 テンペスト 獄中シェイクスピア劇団』について語ってくれました。
作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。
ハムレット デンマークは牢獄だ。
ローゼンクランツ それでは、世界中が牢獄です。
『新訳 ハムレット』(河合祥一郎訳、角川文庫)
拘禁と解放、そして復讐と赦しを巡る物語です。そして復讐心というのは、一種の牢獄なのですよ。誰かに復讐心を抱くのは、地下牢の檻に入るということと同義です。
アトウッドのインタビューより。
フェリックスは、シェイクスピア劇で名を馳せた、カナダのベテラン舞台演出家だった。幼くして死んだ娘ミランダに未練を残し、彼女と同じ名前を持つ登場人物が出てくる『テンペスト』の準備に情熱を燃やしていた。しかし補佐役だったトニーと彼の協力者である民族遺産大臣サルの二人による策謀により、歴史ある劇場の芸術監督の座を追われてしまう。
彼は「デューク」という偽名を名乗り、町外れでみすぼらしいコテージを借りて世間から身を隠す。
十二年後、彼は囚人矯正施設で受刑者たちにシェイクスピア劇を指導していた。コテージでは十五歳になったミランダと過ごす。幻覚だ。彼はいつしか成長していく娘の幻を見るようになっていた。
ある日、矯正所に法務大臣と民族遺産大臣の視察が来るという報せを受ける。その法務大臣とはかつての民族遺産大臣のサル、そして民族遺産大臣は政治の世界に進出したトニーだ。フェリックスは十二年前に上演を阻止された『テンペスト』を通して復讐を成そうと企む……といった内容。
シェイクスピア劇には牢獄に囚われた人物がよく出てきます。実際の牢獄ではなく、復讐心や野心、狂気といった精神的な牢獄です。だからでしょうか、刑務所のイメージに合う。実際にアメリカやヨーロッパなどでは受刑者たちがシェイクスピア劇を演じるプログラムが盛んらしく(プラグラム参加者の出所後再犯率はそうでもない受刑者の十分の一というデータもあるとか)、その様子を追った『塀の中のジュリアス・シーザー』というドキュメンタリー映画も有名です。
一方、マーガレット・アトウッドも「つながれた」人々をよく描く作家です。声と尊厳を奪われた女性たちの物語『侍女の物語』、夭逝した妹の幻影に何十年にも渡って取り憑かれる『昏き眼の暗殺者』、愛憎入り交じる幼馴染との思い出が寄せては返す『キャッツ・アイ』……。なかには直接的に、犯罪者として矯正施設にぶちこまれた人間が主人公の『またの名はグレイス』もあります。
シェイクスピア作品の語り直しというプロジェクトに参加するにあたり、アトウッドはまっさきに『テンペスト』をチョイスしたそうですが、なるほど、アトウッドが復讐と解放の物語である『テンペスト』を選ぶのはしっくりくる。
シェイクスピア的な撞着語法が許されるならば、『テンペスト』は復讐譚であって復讐譚ではありません。むしろ最終的には自分や他人の運命を徹底的に支配しようとする主人公プロスペローがその執着を手放す、憑き物落としの儀式めいていく。
イアーゴー、マクベス、リチャード三世などなど、自分と他者の運命を恣にしようと企てて破滅していくシェイクスピア作品の男たち。そのなかでもプロスペローは邪悪ではないにしろ最も強大な力を有し、傲慢な演出家のごとく一から十まで自分の筋書き通りに物語を展開します。しかし、彼はイアーゴたちのような結末を迎えません。エピローグで、彼は魔法を放棄して観客という他者の助けを乞い、自由を得ます。
そんな『テンペスト』の物語をアトウッドは鋭い批評眼で二重三重になぞっていく。過去の枷から解き離れたれること。それ自体、アトウッド作品で追求されてきたテーマでもあります。コメディタッチで軽い読み口でありながらも、あとにしんみりとした切なさが残る、巨匠の手練が光る佳品です。
ひとつ注意があるとすれば……『テンペスト』は事前に読んでおくこと!
『語りなおしシェイクスピア 1 テンペスト 獄中シェイクスピア劇団』マーガレット・アトウッド/訳 鴻巣友季子(集英社)