『シカゴ・ブルース【新訳版】』F・ブラウン/父という名のミステリー(千葉集)

文字数 1,640文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

新訳が出版されたフレデリック・ブラウン『シカゴ・ブルース』について語っていただきました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

ミステリや探偵小説とは失われてしまったものを追想するための喪の文学である、と、いまさら言ってしまうと気恥ずかしいのですが、『シカゴ・ブルース』を読むとそう吹かしたくもなる。本作で悼まれる対象は父親です。


シカゴで植字工見習いをしている少年エドは、ある日、父親が路上で何者かに襲われて横死したと警察から報されます。おそらくは行きずり強盗の仕業。犯罪都市シカゴではよくあることで、犯人は不明。


すでに実の母親とも死別していたエドは父親さえも失ってしまって意気消沈しつつも、伯父であるアンブローズのもとに向かい父の死を報告します。訃報を聞かされたアンブローズおじさんはエドをなぐさめつつ、ある提案を行います。――自分たちふたりで犯人を捕まえよう、と。


犯人探しの物語である以上、そこに謎があり謎解きがあるわけですが、ではエドたちが追っているのは心底本当に父親に手を下した人物なのかといえばそうではない。むしろ物語を通じて浮かび上がってくるのは、エドの父親であったウォリーの新しい側面です。


植字工として淡々と働いてた父親。エドは彼が亡くなって初めて、一緒に暮らしていたはずの父親について何も知らなかった事実に思い至り、激しい後悔と孤独に襲われます。


そこに現れるのがアンブローズおじさんです。おじさんは捜査の途中で、エドの父親の若者時代のエピソードをエドに話してきかせます。そこで明かされるのは、それまでエドが父親に対して抱いていた寡黙な酒飲みのイメージとはまったく正反対、メキシコを股にかけて波乱万丈の冒険を繰り広げる青年ウォリーのはつらつとした姿です。


ここのあたり、ほぼ証言者がアンブローズおじさんしかおらず、しかも一部の経験談は「アンブローズおじさんがウォリーから聞かされた」という形式をとるのでちょっとうさんくさくもあります。しかし、どうあれ、アンブローズおじさんのあたたかい思い出語りによって切れてしまったエドと父親のつながりが手繰り寄せられ、エドは救われていくのです。


エドもアンブローズおじさんにあえて乗っていってるところもあって、アンブローズおじさんは探偵行為にしろメンターとしての存在感にしろ、ほとんど完璧超人に近い。本作は語り手であるエドから見た物語ですから、アンブローズおじさんに理想の父親像を半分投影しているのでしょう。


シカゴという大都市において、エドの父親はかぎりなく希薄な存在でした。その不幸な死すらも新聞では無視されます。エドはシカゴを憎みます。「何杯かの酒を腹に収めた男がたかだか数ドルのために帰宅途中に殺されるような街」を憎みます。街の巨大さを憎みます。

この街がほかより悪いのは、単にほかより大きいからかもしれない。

(p.23)

アメリカにおける20世紀の最初の40年は、都市に人口が集中して大都市を成していった時期でもあります。その大きさに、多さに、人間は希釈されてしまう。本来もっとも濃く繋がるべき人間の面影さえ、おぼろにしてしまいます。


だからこそ、探偵しなければならない。ただおじさんから語り聞かせてもらうだけではなく、都市を渉猟し、若い頃の父親のように冒険を遂げなければいけないのです。そうやって、ようやく追いつける。


父親という存在が、探求するに値した時代のお話です。

『シカゴ・ブルース【新訳版】』フレドリック・ブラウン/高山真由美 訳(東京創元社)
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