『フラッシュ 或る伝記』V・ウルフ/或る犬の一生。(千葉集)

文字数 1,751文字

今週の『読書標識』、木曜更新担当はライターの千葉集さんです。

ヴァージニア・ウルフ『フラッシュ 或る伝記』(白水社)について語ってくれました。

千葉集

ライター。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。

あまねくイヌの一生は一本の伝記を草するに値するのですが、不幸にもイヌたちは文字を記すための手をもちあわせていません。日記や手紙を遺すこともできず、常にヒト側から見た不当で雑な印象から「あれはああいうイヌだった」だの「これはこういうイヌだった」だの論評されてしまう。


そうした屈辱に比べれば、ヴァージニア・ウルフの『フラッシュ 或る伝記』はいくらか倫理的な態度をとっているといえるでしょう。本作は十九世紀の英国の詩人であるエリザベス・バレット・ブラウニングの残した大量の手紙類から、彼女の愛犬であったフラッシュという名のスパニエルについての記述を拾い、それを伝統的な伝記のスタイルで書き起こしたものです。


当時の社会的抑圧をフラッシュに投影させていた人間本位的な面はあるにしろ、なるべくイヌの感覚によりそいつつ、イヌと自分とのあいだに一線を引くウルフのバランスは伝記作者にふさわしい。


だいたいの流れはこうです。ミットフォードというバレットの親友の家に生まれたフラッシュがバレットに引き取られます。バレットとの蜜月を謳歌するフラッシュでしたが、そこにロバート・ブラウニングなるいけ好かない男が出現。反感を抱いたフラッシュは牙を剥いてロバートにおそいかかりますが、バレットから厳しい罰を課されてシュンとします。それからフラッシュは身代金目的で誘拐される災難に遭うものの、なんやかんやでバレットのもとに戻り、最終的にはバレットとロバートの駆け落ち先であるイタリアに腰を落ち着けて短い一生を終えます。


つづめると、誘拐劇を挿むとはいえジャック・ロンドンばりのスペクタクルもない平坦な物語ですが、そこに作者の流れるような筆致とフラッシュ自身のアイデンティティという主題が読書に心地よいリズムを招じ入れます。


フラッシュは「イヌの紳士」たるスパニエル(イヌにも階級があるのです!)として生まれますが、バレットと過ごすうちに「感受性にみがきがかきられ、その結果男性的な性格がそこなわれ」、「吠えたり噛みついたりするのが嫌いにな」り、「犬のたくましさより、猫のひっそりとした静けさ」や「人間のおもいやり」を好むようになります。


バレットは仔犬のフラッシュを鏡の前に立たせ、自分自身と向き合わせます。

でも「おまえ自身」って、どういうことだろう、それは人に見えるものなんだろうか、それとも自分の中にあるものなのかな、そこでフラッシュは、その問題もよく考えてみた。が、実在についての問題は解くことができず、バレット嬢に身をすり寄せ、「思い入れたっぷりに」彼女にキスをした。とにかく、これだけは、ほんとさ、というわけだ。


(『フラッシュ 或る伝記』p.57)

愛が彼を規定する。飼い主のバレットとの関係性の変化に伴って彼自身の心理やキャラクターも移ろいでいきます。彼にとってそれは愛情に満ちた心地よい道程であるとともに、鎖につながれた不自由な道行きでもあります。


最終的に彼は終の棲家となるイタリアでもう一度、鏡に相対して自分自身とは何かを問いかけます。本書はそこで得られる悟りを通じて、ようやく「詩人エリザベス・バレット・ブラウニングの飼い犬フラッシュの伝記」ではなく、「スパニエル犬フラッシュの伝記」になるのです。


ルーマニアの伝承によれば、イヌは本来四十年あった寿命の半分をヒトに分け与えてあげたそうです。その余分な二十年で、ヒトはイヌの一生を見送れるほどに長生きできるようになった。イヌの伝記を書くのは人間に課せられた義務なのかもしれません。ヴァージニア・ウルフをそのことを心得ていた数少ない作家でした。

『フラッシュ 或る伝記』ヴァージニア・ウルフ/出淵敬子 訳(白水社)
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