ボスの影/メキシコで、銃以外の手段で大統領になることはできません

文字数 1,909文字

次に読む本を教えてくれる、『読書標識』。木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

今回は『ボスの影』について語ってくれました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

「いいか、正義を貫くなんて、他の国であならごくありふれたささやかな美徳で十分だが、メキシコでは英雄か殉教者になる覚悟が必要だ」

『ボスの影』p.152 

メキシコ人といわれると、陽気で情熱的なマリアッチたちの姿を思い浮かべ、なんとなくそういう国民性なのだろうと想像してしまう。


ところが、碩学オクタビオ・パスにいわせるとメキシコ人の陽気な微笑みとは仮面にすぎない。メキシコ人とは閉鎖的で他者に対する猜疑心や不信感が強く、ニヒリスティックで孤独な国民なのだそうだ。 


メキシコの近代史を眺めれば、その由来をすこしは掴めるかもしれない。


一八一〇年から百年以上ものあいだ、めまぐるしく政権が交代し、慢性的な政情不安に見舞われていた。特に一九一一年に起こったメキシコ革命では、独裁者ディアス打倒後、内ゲバや暗殺によって四年間で七人も大統領が暴力的に入れ替わる血なまぐさい時期が続いた。七人のなかには自分のボスの大統領就任をお膳立てするために、たった数十分間だけ大統領を務めてお払い箱にされた者すらいる。


昨日は独裁者打倒や民衆救済の大義をかかげて集った仲間たちが、今日は互いの命を狙う政敵となる――『ボスの影』はそんな時代のメキシコ政界のリアルを描いた政治劇だ。


主人公のイグナシオ・アギーレは革命政権で防衛大臣を務める若き政治家。彼は盟友アスカナーを始めとして急進派のグループから次の大統領に推されていた。


もっとも、アギーレ自身は大統領選の出馬に乗り気しない。”ボス”と呼ばれる現大統領を敬愛する彼は、”ボス”が子飼いである内務大臣ヒメネスを後継者にしようとしていると知り、支援者たちにもヒメネスを支持するように伝え、自分は選挙戦は降りようとする。  ところが、彼の心を周囲の誰も信じようとはしない。政局はどんどん「アギーレ対ヒメネス」の構図で盛り上がっていく。しびれを切らしたアギーレは”ボス”やヒメネスと直接面会し、自分の真意を解ってもらおうとするが、アギーレが野心を抱いているのではないかと疑心暗鬼に陥っている二人には一切通じない。そして、ある決定的な事件が起き、アギーレは”ボス”に反逆せざるを得なくなっていく。


買収、政治的取引、内輪もめ、裏切り、暗殺、白色テロ……と二五〇ページ強の紙幅にこれでもかと権力闘争の暗部が書き込まれている。英雄パンチョ・ビジャ(ビリャ)の懐刀として革命期の激動を経験したグスマンだけあって、描写にもクールな刺激がみなぎっている。


たとえば、こんなセリフがある。

「二人の男が銃を持って互いに相手の命を狙っていれば、結果はどうなりますか。先に撃ったほうが相手を仕留めるでしょう。メキシコの政治はピストルの政治、先んずること、それがすべてです」

『ボスの影』p.221-222

まるでマフィア映画のような冷たいロジック。そして、恐るべきことに「ピストルの政治」はこの時代、文字通りの意味を持っていた。革命家出身の政治家たちは武士が帯刀するかのように銃を常に身につけ、なんと議会にも持ち込んでいた。本作の劇中でも、政治家同士の銃撃戦や軍による議会への襲撃が描かれている。


まさに、取るか取られるか。


仁義なき陰謀の渦中に、清廉な理想主義者アギーレはからめとられていく。


支援者や友人からも”ボス”に対抗して先手を打つべき、とさんざん説かれるものの、彼はあくまで品性を保つべきだという立場を崩さない。


「暴力的闘争だけが本当の憲法」であるメキシコで、彼の高潔さはどこまでも不利に働く。仮面をつけることが常態化した政治の世界で人を信じ、素顔でいることは、むしろ純朴な魂を孤独にしていくのだ。そのアイロニーが本作の悲劇を苛烈なまでに高めていく。


メキシコ文学史上の古典とされ、フエンテスの『アルテミオ・クルスの死』やバルガス・ジョサの『ラ・カテドラルでの対話』にも影響を与えた『ボスの影』。


メキシコの隣の国で大統領選挙が行われ、日本でもトップが交代した本年をしめくくるのには、うってつけの一冊になるはずだ。

『ボスの影』マルティン・ルイス・グスマン/訳 寺尾隆吉(幻戯書房)
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