『その裁きは死』A・ホロヴィッツ/新しい酒を注いだ古い酒瓶で殴る(千葉集)

文字数 1,699文字

年の瀬に読書はいかがでしょうか?

次に読む本を教えてくれる、『読書標識』。木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

今回は前回に引き続きアンソニー・ホロヴィッツ、『その裁きは死』。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

前回に引きつづき、〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズを扱います。


第二作は『その裁きは死』。2021年度、すなわち今年のミステリ系ランキングの翻訳作品部門を独占した一冊です。


まず、離婚専門弁護士として名をはせていたリチャード・プライスが自宅で殺されます。ワインボトルによって殴られたあと割れたボトルの破片でめった刺し、手口としては単純です。


しかし、残された状況にいくつか不可解な点がありました。


第一に、現場の壁には「182」という謎の数字がペンキで大書されていました。


第二に、被害者は厳格な禁酒主義者だったにもかかわらず、凶器に使われたのはワインボトルです。


第三に、被害者は殺害直前に恋人と電話で話していたのですが、そのときに訪問者が訪れたようで、「もう遅いのに」と言って電話を切り、それが最期の言葉となりました。「もう遅いのに」。日曜の夜八時ごろに知り合いらしき人間を迎えるには、奇妙なセリフでは?


目下のところ、最有力容疑者は有名女性作家のアキラ・アンノ。彼女は事件直前に被害者を「ワインボトルで殴って殺す」と公共の場で脅していました。アキラは離婚を裁判で争っている最中で、敵となる夫側の弁護士がリチャードだったのです。


この事件が二冊目のホーソーン本のネタになると踏んだ名探偵ホーソーンは、作家ホロヴィッツを引きつれ事件の捜査へ向かいます。


さりげなくも大胆な伏線の仕込みと、怒涛の解決編は本格ミステリの本懐といったところ。一方で終盤の解決編までの三百ページ超を読ませる物語もなかなか骨太です。


たとえば、(作中キャラの)ホロヴィッツに対してアキラ・アンノというカズオ・イシグロの女性版のような作家が置かれているのですが、この彼女とホロヴィッツの対立がなかなか興味深い。


文学作家として数々の賞を受賞したアキラ・アンノはエンタメ作家のホロヴィッツを蔑んで嫌っており、ホロヴィッツもホロヴィッツでアキラのことを鼻持ちならないやつだと感じています。ホロヴィッツの反感は文章中でも巧妙に隠そうとしながらもどうにも隠しきれない形で投影されており、こうした人間としての小ささの機微は読んでいて愉しい。


主義信条の点でも業界的な立ち位置の点でも水と油のような二人ですが、実のところ抱えている昏い部分はよく似ています。自在に世界を描くフィクション作家であるはずが、本人はなりたい自分と現実の自分で苦しんでいる。その情けなさをホロヴィッツは容赦なく暴きます。


自意識のジレンマはまわりまわって、ホロヴィッツと探偵ホーソーンの関係にもひびを入れることになるのですがーーまあどのように亀裂がはしって修繕されるかは読んでのお楽しみということで。


他にも注目していただきたいのは、シャーロック・ホームズに対するオマージュ。コナン・ドイル財団公式のホームズ”続編”『絹の家』(角川文庫)を執筆したホロヴィッツだけに、もとからホームズへのリスペクト的な側面が強いシリーズです。


今作では『緋色の研究』を意識しているようで、ホーソーンのご近所さんの『緋色の研究』読書会にホロヴィッツがゲストとして参加する(羽目になる)ほか、事件そのものにもオマージュが織り込まれています。


そのうえ、物語面でもホームズ読者でも賛否の分かれる『緋色の研究』の”あの”大胆な構成が消化しやすい形で取り入れられていて、そういうミステリファンへの目配せも心憎い。


第一作に続き、いたれりつくせりのエンターテインメントにしあがった一冊です。

『その裁きは死』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭 訳(東京創元社)

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