『マリーナの三十番目の恋』U・ソローキン/愛にできることがありすぎる(千葉集)
文字数 2,188文字
次に読む本を教えてくれる、『読書標識』。木曜更新担当は作家の千葉集さんです。
今回はウラジミール・ソローキンの『マリーナの三十番目の恋』について語ってくれました。
作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。
一九八〇年代初頭のソビエト。音楽教師マリーナは政権への反感から反体制派運動に関わりつつ、少年少女へのピアノのてほどきで生計を立てていました。
物語前半はソ連末期の混沌で揺れやすい魂が愛を求めて彷徨うビルトゥングス・ロマンのようです。女性にしか恋愛感情を抱かない傾向がありながら男性とも肉体関係を持つ彼女の遍歴が、回想を交えながら語られます。
ほとんど間断なく(ときに不道徳な)濡れ場が挿入され、ピアノ演奏やボートを漕ぐ描写でさえ官能的で、性描写と地続きです。
そうして十五歳で初恋を知ってから三十歳に至るまで二十八人の恋人たちをとっかえひっかえしていた彼女は、サーシャという女性と知り合い、情熱的な二十九番目の恋に落ちます。
ここまでなら、耽美で興味深い細部を含んではいるものの、まぁありそうなエロティック小説です。
しかし、あるときマリーナが奇妙な夢を見る。そこから物語のギアが大きく変わります。
その夢で彼女は「レズビアン」という言葉の語源になったレスボス島で歴代の元恋人たちから歓待を受けます。
しかしそこに、彼女が恋い焦がれるある有名作家にそっくりな風貌の彼が現れます。
なぜか凄まじい勢いでキレている。
彼は絶叫します。
「これは皆、お前の恋人たちだ!!! 全部で二十九人!!! 二十九人!!!」
「そして愛したものは皆無だ!!! 皆無だ!!!」
「お前は誰も一度も愛したことがない!!! 誰も!!! 一度も!!!」
さらに「愛なくして生きることは不可能だ、マリーナ! 愛せ!」と説き、彼は去っていきます。
目覚めたマリーナはサーシャに嫌悪をおぼえるようになり、一方的に絶縁を突きつけます。しかも「別れるなら貸したカネを返せ」と要求するサーシャに暴行を加えて部屋から叩きだす。
マリーナは酒に溺れ、かつての恋も反体制運動も自分自身もむなしくなってしまいます。そこに、工場のあたらしい党書紀であり、共産主義の熱烈な信奉者、セルゲイ・ニコラーイチ(ルミャンツェフ)を紹介され、彼によく似たその男性とベッドを共にします。
そしてまた夢を見る。波打ち際で彼女はこんな喜悦に溢れた合唱を聴く。
自由なる共和国の揺るぎない同盟を、偉大なるルーシは永遠に結びつけた! 人民の意思により創られた単一の強大なソヴィエト同盟万歳!
その歌にマリーナは泣き、彼女の胸は説明できない新たな感情に張り裂けそうになり、本作の物語と文体は読者もマリーナも予想しなかった”三十番目の恋”へと走り出します。
愛とはひとつに溶けあって自他の境界がなくなる状態だと昔の人は言いました。その定義は人によってさまざまでしょうけれど、作中ではある人物が「愛とは何よりまず犠牲であり」「すべてを捧げ、全てを燃やす」ことだと主張している。
と、すれば、それは何も個人間だけに許された秘儀ではありません。全体主義とは国家や社会に、宗教とは神や教祖に、それぞれ「すべてを捧げ、すべてを燃や」させる技術です。
個人間の愛は双方向的であるがゆえにディスコミュニケーションがつきまといがちですが、理想化された人格のない対象はただ一方的に愛を注ぐためだけにあるので破綻しにくい。自分が自分でいることに耐えられないがために他者へすべてを投げ出したい人にとって、これほど相応しい「恋人」はいません。
著者ソローキンはというと、本作についてこんなことを述べています。
全体主義社会において個人化というのは恐ろしい障碍です。反体制派の悲劇というのは、むろん、彼らがコンミューン的なソビエトの身体から切り離されたじつに個性豊かな人たちであったことです。ですから小説のフィナーレでマリーナは個性というものから〈解き放たれ〉、無個性の〈集団〉へと溶け合っていくのです。恐ろしいことですが、それは救いなのです。
(「麻薬としてのテキスト」亀山郁夫・訳)
そうした”救い”を描く上でソローキンは自らの出自でもある現代アートの手法を応用します。他者への同化とは、つまり、今あるスタイルから別のスタイルへと溶け込んでいくことです。それをソローキンは文字で、文学でやる。魔法めいたその高揚を、ぜひご覧頂きたい。こうした作品がソ連政権下で書かれた(ロシア国内での出版はソ連崩壊後)事実そのものもまた一つのマジックでしょう。
とんでもなく前衛的な作風な知られるウラジーミル・ソローキン。その初期作にして比較的(あくまで比較的に)読みやすい長編ですが、試みのハードコアさはけして近作にもひけをとりません。