『現代詩人探偵』紅玉いづき/生きて書け(岩倉文也)

文字数 2,295文字

書評『読書標識』、月曜日更新担当は詩人の岩倉文也さんです。

紅玉いづき『現代詩人探偵』(東京創元社)について語ってくれました。

書き手:岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。

Twitter:@fumiya_iwakura

ぼくが詩人になっていちばん驚いたことと言えば、見て感じている世界が、詩を書く以前とまったく変わっていないことだった。


ぼくは漠然と、詩人になれば世界の見え方が変わるものだと思っていた。しかしいくら詩を書いても、詩集を出しても、まわりから詩人と呼ばれるようになってさえ、ぼくは相変わらず、以前のぼくのままだった。


そしてあるとき気づいたのだ。詩人とは生き方ではなく、状態であると。


朝家を出て、ふと、輝く世界の明晰さに胸を打たれる。そのとき人は「詩人」である。夕暮れ、空を覆う朱色の雲に目を奪われる。そのとき人は「詩人」である。どのような状況でもいい。日々訪れる空白に身をゆだねるとき、人は「詩人」になる。


詩人と呼ばれる者、呼ばれぬ者の相違とは、そうした瞬間に「詩」を書くか否かという点にしか存しない。最も抽象的に詩人について考えるとき、ぼくはそのように結論する。


詩人は生きているほとんどの時間「詩人」ではない。このことは詩人を徒に不安にし、焦燥させるが、さりとてどう仕様もあるまい。


思うに、詩人とは狙撃手のようなものだ。照準器が獲物を捉えるまでは、ただひたすらに待つほかはない。ひと月でも、半年でも、一年でも。そしていざ獲物を見つけたとき、見事射とめることができるかは、狙撃手としての技量と天分にかかっている。


さてぼくは以上のような詩人観をもっているわけだが、『現代詩人探偵』が描き出すのは、死と不幸とに彩られた、さしずめ絶望の詩人観だ。


SNSコミュティ「現代詩人卵の会」のオフ会がとある地方都市で開かれた。参加した九人のメンバーは十年後の再開を誓い合い、その場を後にする。しかし十年後、再び開かれたオフ会に集まったのは主人公を含め五人だけ。残りの四人はみな自殺など不審な死を遂げていた。それを知った主人公は自ら探偵役となり、彼らの死の謎を探りはじめる……。


こう書くといかにもミステリー小説のあらすじだが、本作はむしろ謎解きよりも

死んだ詩人が。

どんな風に、生きて、死んだのか。

死ぬしかなかったのか。

死ななければ詩人じゃないのか。

という、主人公のひたむきな問いによって成立している。主人公は、一人一人の死者の来歴を調べ、遺族を訪ね、地道に情報を集めていく。そこには劇的な推理もなければ、意外な犯人も登場しない。ただ厳然たる「死」を前にして、主人公は苦悩し、疲労し、それでも少しずつ、詩人という存在についての理解を深めていく。


本作では詩人と死が分かちがたいものとして描かれており、ぼくは最初、こうした前提に疑問を抱いた。しかし読み進めていくにつれ、その疑問は氷解していった。


なぜ本作の主人公や他の登場人物たちが、そのような極端な思考を抱くに至ったのか。それはひとえに、彼らの多くが詩人としてはいまだ駆け出しの状態にあるからだ。


詩人は絶えず自己定義を迫られる。自分は詩人なのかそうでないのか。詩人なのだとしたら、一体なにをもって詩人なのか。詩集を出していれば詩人なのか、賞を取っていれば詩人なのか、詩を書いていれば詩人なのか。あるいは、文学史に名を連ねる有名な詩人たちのように、死ねば詩人なのだろうか? 


本作の登場人物たちが、こうした自己定義の末、詩人と死とを結びつけたのだろうことは想像に難くない。たとえば二十五歳でフリーターをしている主人公は、十年間詩作を続けているが、詩誌の投稿欄にはかすりもせず、さりとて詩を捨て去ることもできないというジレンマを抱え鬱屈している。そんな中、かつての詩人仲間の半数が自殺していたと伝えられるのだ。


詩誌の投稿欄に詩を投稿しているときに気分と言うのは、これはもう、滅茶苦茶である。入選しようが、しまいが、滅茶苦茶である。


ぼくはあまりに詩人という立場に固執して本作を読み過ぎたのかもしれない。だが本作は詩を離れ、プロになる力はないが創作を諦めることのできない者が、創作仲間の死を通して己を見つめ直し成長する、そんな普遍的な構造をもった小説としても読み得るはずだ。


とは言え、ぼくにはただただ辛い部分も多かった。この小説でいちばん応えたのは、本当の意味で詩の才能をもった人物が作中に登場しないことだ。一人でも優れた詩を残して死んだ者がいたのであれば救いもあるが、本作はそんな生易しい造りにはなっていない。


ひたすらに打ちのめされる。打ちのめされる。打ちのめされる。そうして最後、ほんのわずかにではあるが、光が灯される。


詩人とは何であろうか? それは信仰である。狂気のすれすれで、別の道へと逸れること。詩と追いかけっこを続けること。あさっての方向を見つめ、くしゃみすること。自分が詩人であるなどとは決して考えないこと。よく笑うこと。食べること。眠ること。

「生きて書け。それだけで、お前の勝ちだ」
『現代詩人探偵』紅玉いづき(東京創元社)
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