第48回/「暴」の選択肢

文字数 1,692文字

こちらはインターネットに生息するふしぎないきもの・にゃるらがインターネットと独り暮らしとそれ以外について深夜に執筆している画像付きエッセイです。→@nyalra


第1回はこちらから

 前回のコラムで「僕は計画殺人をすることがない」と書いた。現実的ではないからです。よくよく考えると、その理屈と同じく僕は「暴力を振らない」とも言える気がする。まあ計画殺人よりは可能性がありますが。


 まず、第一の理由として、これは善悪や倫理観の問題でなく、シンプルに「暴力の方法を知らないので効果的にダメージを与えられない」から。暴力を振るうということは、力を持って相手を従わせたいわけだ。つまり、ちゃんと相手が対抗できないよう確実に上に立たなければならない。そう考えると、そもそも殴ったり叩いたりしても大してダメージを与えられない僕はだいぶ不利である。


 なので、自分としても「暴力」の選択肢がない。怒りや憎しみに「力」が直結していない。計画殺人もできないわけだから、もし誰かに復讐や攻撃をするとなれば、もっとロジカルな方法を選ぶこととなる。それをするかはともかくとして、急に殴ったりはしてこないだけマシなヤツな筈だ。世の中には、驚くことに急に「暴」を駆使する者がいる。シェアハウスに居た頃、一度だけブチギレて他人を殴る人間を見た。本当に居るんだな〜って思った。


 やるなら効果がないとダメだろう。その場で「殴る・蹴る」なる日常にない選択肢を見せることで場を支配し、(その瞬間に置いては)自身を有利な立場にもっていく。ならば、僕が怒りに身を任せて「えいや!」とパンチをかましたとて、相手としては「え? 蚊でも止まったか?」となるだけで、空気がめちゃくちゃ気まずくなるだろう。理性を失うほど怒っているのに、そこでの行動がザコすぎるのだ。さっと止められて場は収まるだろうし、「キレて止められた」結果だけが残るので、その場での僕の立場は最も低くなる。たとえ正当な意見を通すための攻撃だったとしても。本末転倒だ。


 といった思考回路から、僕はつねに「殴る・蹴る」なんて選択肢が存在せず、中高時代の馴れ合いレベル(肩パン耐久戦とか)くらいでしか、本能に身を任せて相手を傷つけたことはない。もちろん、素人の肩パンなんかに意味はなく、やられた相手も余裕そうにしていた。どちらかと言えば殴った僕の拳の方が痛かったと思う。なんかおかしいと思ったのでその場で聞いたら、そもそも拳の握り方が変だった。骨の出っ張りで殴っていないのであまり痛みを与えられてないらしい。出っ張っているところで殴る練習を何度かしてみたものの、どうしても面で殴ってしまう。次第に友達も指導を諦めた。


 が、最近は週3でジムに通い、その結果それなりに筋力がついた。おそらくジムに通っていない同年代よりは筋肉量はある方でしょう。そりゃ鍛えているんだから理屈でそうである。なので、相手が格闘技を習っていない限り、素人同士の殴り合いでは、筋肉量の分僕が勝つ可能性がある。もちろんそれは数字上の話で、相手が想像以上に怒り狂って突進してきたらもはや無意味だろう。喧嘩って「感情」がだいぶバフになるでしょうし。こちらは相手へ恨みがない状態で突然飛び膝蹴りなんてできない。


 けれども、以前よりは勝てる可能性があるわけだし、選択肢として「暴力」が浮かぶ可能性はある。なんなら格闘技を習ったっていいのだ。得た筋力を効果的に使用する方法を学ぶことは悪いことではないから。


 「暴力」が基本よくないことだよって綺麗事さえ置いておけば、いざという時の解決手段が増えたこと自体は面白いかもしれない。できれば、この拳を永久に封印したままで生涯を終えたいですけど。

悪魔城ドラキュラX月下の夜想曲のポスター


かっこいい。美しい。もうそれ以外言うことがない。イラストにも額縁があるのに、実物の額縁にも入れているので荘厳すぎる。

発売日とか書いてあって、あくまで「当時の宣伝ポスター」なのがいいよねぇ。ちなみに当時品なので激レアです。マジのレアモノ。

来週も月曜深夜に更新予定です。それでは、おやすみなさい。

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