第22回/VSエコーチェンバー・フィルターバブル

文字数 1,576文字

こちらはインターネットに生息するふしぎないきもの・にゃるらがインターネットと独り暮らしとそれ以外について深夜に執筆している画像付きエッセイです。→@nyalra


第1回はこちらから

 インターネットに依存していると確実に視野が狭くなると感じます。これはもう確信している。まるで、ゲームをしている息子に「ゲーム脳になるよ!!!」と叱るお母さんのようですが、ネットは広いようで窮屈で、その狭いコミュニティのなかに居続けることでどんどん考えが凝り固まる。


 主にエコーチェンバー現象とフィルターバブルの組み合わせによるものです。エコーチェンバー……閉鎖空間にて壁に向かって話すことで自分の声が反響して返ってくるように、自分と似た興味関心を持つユーザーで集まっているコミュニティで発言することで、同じ意見が集まってしまい思考が凝り固まることですね。「やっぱりみんなこう思っているんだ!」と確信してしまう。自分が見ている場所は、世界のごく一部でしかないのに。


 そして、フィルターバブルは、アルゴリズムや閲覧履歴から、自分の関心のある情報が優先して表示されるようになることで、いつしか自身の価値観のバブルの中に閉じ込められてしまう現象。長らく現代でネットを見続けていく場合、よほど気をつけなければこの2つの現象に大なり小なり影響を受けていくはず。


 そうなると、いつの間にか自我がネットに呑まれてしまい、それが本当に自分の意見かネットの意見・感想でないかわからなくなる人も居るでしょう。僕はそれがすごく嫌なので、最近はSNSやブラウザを開こうとするたび一旦指を止めてKindleを開くようにしています。本の世界にはネットから隔絶された作者個人の考えや世界が展開されており、文字や絵を追っている間は、その箱庭の中だけに集中することができる。さらに、こうして自身が考えたことをコラム連載や毎日の日記連載で言語化することで、「その時の自分の思考」を記録もしている。後に僕がインターネットでバケモノになってしまったとしても、あのときに書き記した自我だけは文字として残り続けるから。


 が、ここまで書いておいてなんですが、そもそも「視野の狭さ」が必ずしも不幸であるわけでもないと思う。自分と似たような感性の人たちで集まり、自分が興味ある情報・広告が流れ続ける世界、間違いなく楽しい。人生はまず自分が楽しむことが重要であるとすれば、偏った視界で生きていくのも悪くない。そこから、なにかに特化しつづけることで拓ける道もあるでしょう。そもそも、スマートフォンひとつで全世界とアクセスできる現状が異常であるわけで、本来なら人間は地元で同じ生活レベルで同じ遊びを好む人間関係で社会を留めておくルートだって問題ないのですから。敢えて自分と異なる、興味関心の薄い……それどころか苛立ちすら覚える人たちまで視界に入れる必要だってない。イヤなものをブロック一つで遮断できるのも現代の利便性だ。


 結局は自身の幸福を追求することが大前提なので、ネットに自我を呑まれたくなければ適度にスマホを離せばいいし、仲良い人たちとコミュニティ内でわいわいすることが楽しいならそれでいい。もちろん、この2つを時と場合で使いこなせると一番いい。陰と陽を行き来できる者が一番強い。そういうことを考えながら、こんな余計なことに頭を使わずに生きていた方がいいに決まっているよな……とも思ったりする。

【ゴッホの『小説を読む人』をモチーフにした万年筆】


紹介した通り、ゴッホの絵を万年筆の形に落としたお気に入りアイテム。万年筆、最初は舐めていましたがビックリするくらい書き心地が良い。そして見た目がカッコいい。カッコいいことって重要だ。文字を書く時はつねに孤独なのだから、そのお供として綺麗な万年筆が傍に居てくれるのはたいへん心強い。

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