鬼才が放つクライムノベルの新次元 『テスカトリポカ』 評・西上心太

文字数 1,025文字

(*小説宝石2021年4月号掲載)

『テスカトリポカ』佐藤 究(KADOKAWA)

 麻薬カルテルに支配されたメキシコ北西部の街クリアカン。その地で育った少女ルシアは南のアカプルコに流れ日本に。やがて川崎でヤクザの土方と結婚し、一子コシモを産む。羽振りのよかった土方は凋落し、ルシアは忌避していた麻薬に溺れる。ネグレクトされながらも、コシモは並外れた身体を持つ少年に育っていくが、ある事件を起こす。


 一方、メキシコ北東部の街ヌエボ・ラレドを牛耳っていた四兄弟による麻薬カルテル、ロス・カサソラスは、新興のドゴ・カルテルによって壊滅。唯一生き残った三男のバルミロは逃亡に成功し、ジャカルタに流れ着く。


 少年と麻薬王の転変する半生をストレートに描くのではなく、コシモの母をはじめ、バルミロの成長に多大な影響を与えた、古代アステカの神々を信仰する祖母のエピソードなどがたっぷりと挿入される。過去と現在を自由に行き来するマジックリアリズム的な手法によって、中心となる二人のキャラクターが、より鮮明に浮かび上がってくるのだ。この第一章を読むだけで、この先に展開される物語への期待感で一杯になってしまうだろう。


 バルミロはジャカルタである男と出会ったことをきっかけに、麻薬帝国復活の第一歩となる新たなビジネスのために日本へ渡り、少年院を退院した十七歳のコシモの人生と交錯していく。


〈血の資本主義〉を標榜すると同時に、古代アステカの神々を信奉するバルミロ。彼に感化される純粋で孤独な青年コシモ。煙を吐く鏡を意味するテスカトリポカたる青年は、悪魔的なビジネスを構築するための圧倒的な暴力の世界で、どのような役割を果たすのか。佐藤究の作品世界は指数関数的に大きく広がっていく。いやはや凄いものを読んだ。

本格ミステリ大賞受賞作の前日譚

『雨と短銃』伊吹亜門(東京創元社)

 禁門の変の敗北から一年。長州藩の命運は旦夕に迫っていた。坂本龍馬と中岡慎太郎は京に上り、薩摩と長州の斡旋に動く。だがその最中、桂小五郎の名代・小此木鶴羽が稲荷神社内で斬られ、血まみれ姿の薩摩藩渉外役・菊水簾吾郎が、現場に来た龍馬の追跡を逃れ姿を消す。


 デビュー作『刀と傘』の前日譚にあたる長編だ。佐幕・尊皇入り交じる幕末の不穏な空気の中で、動機不明の凶行という〈社会派〉の謎と、不可能趣味あふれる事件に、尾張藩公用人鹿野師光が挑む。西郷、土方など幕末オールスターも重要な役割をはたす歴史ミステリーの佳品。

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