記憶は反復され、色濃くなる 『もう死んでいる十二人の女たちと』評・三浦天紗子

文字数 1,047文字

(*小説宝石2021年4月号掲載)

『もう死んでいる十二人の女たちと』パク・ソルメ著 斎藤真理子訳(白水社)

 韓国の民主化運動を軍が武力弾圧した光州事件や、福島第一原発の事故、あるいはフェミサイド(女性殺人)に触発されたという八編。韓国現代文学の重要作家のひとりだというパク・ソルメの作品群から編んだ日本版オリジナル短編集だ。語り手は事件の渦中にいたり同時代を生きていたりはしておらず、「その後」の物語として描かれる。過酷な出来事はどんなふうに波紋を広げていくのか。読者は現実と地続きにいるような人物を介し、彼らが感じる怒りや屈辱や虚しさを追体験する。


 表題作は、キム・サニという連続強姦殺人犯を、被害者たちが何度も殺す光景を、語り手の女性が語るところから始まる。キム・サニが殺した五人の被害者たちだけでなく、彼の事件に影響されたミソジニー殺人の被害者七人の分も合わせた憎しみ、さらにはそうした事件が絶えず繰り返されている世界に生きているすべての女性たちによる憎しみによって、キム・サニは何度でも殺される。彼の実際の死因は交通事故だが、それで何が終わったというのだろう。フェミサイドを考察し、空想の中でさまざまなやり方で復讐しても、女性が女性であるというだけで味わう理不尽な危険や恐怖は、相変わらず道を歩いているだけの女性にも降りかかる。


 語り手も読者も実際の事件とは遠い時空で生きているはずなのに、苦しみは再生産され、いまなお生きている人たちの記憶に留(とど)まり続けている。遠いからこそ、なすすべのなさが思い出され、重ね塗りされて色濃くなっていく。ちなみに装幀に使われているロドニー・ムーアの絵は、十七年もの歳月をかけて塗り重ねられたものだという。シックで寡黙にさえ見える模様が、読後、とても雄弁に見えてくる。

不可解な事件の背後にある見過ごされがちな悪
『悪の芽』貫井徳郎(KADOKAWA)

 ファンで賑わうアニメコンベンションで無差別大量殺人事件を起こし、焼身自殺した斎木均。その小学校時代の同級生で、斎木をいじめていた安達周は、自分たちの過去の行為が事件に影響していたのではないかという不安と自責の念に駆られ、斎木の動機を探り始める。一方、事件を撮影してネットにアップした亀谷壮弥はバズった高揚感からモラルを逸脱し始め、被害者遺族の江成厚子は亀谷の動画をきっかけに、安達へ正義の鉄槌を下そうとしていて……。小さなきっかけからどこまでも延焼していく己の悪意に、人は自らブレーキをかけられるか。

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