はじめて歴史小説の主役になった魅力的な男 『天を測る』評・縄田一男

文字数 1,036文字

(*小説宝石2021年3月号掲載)

『天を測る』今野敏(講談社)本体1700円+税

今野敏(こんのびん)には既に明治警察小説〈サーベル警視庁〉シリーズがあるが、本書のような幕末を舞台にした本格的な歴史小説ははじめてである。


 作者がこの一巻をものするために選んだ主人公は、小野友五郎(おのともごろう)。長崎海軍伝習所の一期生で、咸臨丸(かんりんまる)の測量方兼運用方である。彼は一代の快男児であることに間違いはないが、血刃をかいくぐるようなそれではなく、刀の代わりに手にするのは、六分儀―「世の理は、全て単純な数式で表せるのです」という。友五郎がアメリカの地を踏んでも、カルチャーショックに陥らないのは、技術は既に学んでいる、それをどう実践するかが大切なのだという明確な論理性があるからだ。異国の文化に目を奪われることなく、自国の文化を誇りに思う、それが友五郎の基本的な考えであり、日本古来の文化を切り捨てる必要はなく、異国の文化を取り入れる、すなわち、世はおしなべて足し算であるというのが彼の考えだ。


 従って日本に帰国し、江戸湾の警備や軍艦建造に情熱を燃やす友五郎の、西洋列強が日本を狙っているとき、内乱という引き算ばかり起こしている者たちへの憤りは深い。


 そして中浜万次郎(なかはままんじろう)との交誼、何ごとも厄介な、しかし友五郎にとっては軽くいなすことができる勝麟太郎(かつりんたろう)、あくまでも自己第一主義の福沢諭吉(ふくざわゆきち)ら、さまざまな歴史上の有名人に互して、はじめて歴史小説の主役となった友五郎はどこまでも魅力的だ。さらに勝が幕末維新期をうまく乗り切ろうとしている姿に感じる幻滅等々、作者が友五郎を見事に描き切っているので、今後、彼を主役とする作品はさぞ書きにくかろう、と思う。

血湧き肉躍る快作

『解放 ナンシーの闘い』イモジェン・キーリー、雨海弘美訳(集英社文庫)1200円+税

ハイヒールでパラシュート降下をしたことのある女性レジスタンス(後に英国特殊作戦執行部の大尉)の闘志ナンシー・ウェイクを主人公にした血湧き肉躍る快作である。実在のナンシーの事蹟とフィクションの部分については、巻末の著者あとがきに詳しいのでここでは触れない。が、小説としての面白さは、開巻、ナンシーが結婚式の当日、危ない橋をわたるところからはじまり、序盤、ナンシーの夫アンリがゲシュタポに捕われ、ナンシーとベーム少佐との駆け引きがはじまればあとは一気読みだ。面白さ満点の傑作だ。

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