『ものがたりの賊』評・三浦天紗子

文字数 1,032文字

近代文学へのオマージュとパロディが炸裂
(*小説宝石2022年1・2月合併号掲載)

『ものがたりの賊』真藤順丈(文藝春秋)

 物語は、関東大震災に見舞われた東京の悲劇から始まる。朝鮮人が井戸に毒を入れた、あちこちで放火しているとの流言蜚語に煽られた群衆が暴徒化しているのを、親譲りの無鉄砲がしみついた〈坊っちゃん〉は我慢できない。孤軍奮闘で抵抗しているところにやってきたのは、坊っちゃんに、かつて〈血の恩寵〉を授けてくれた翁こと〈竹取の翁〉。その翁をリーダーとする七名は〈血の恩寵〉を持つ一党で、『高野聖』の聖や『伊豆の踊り子』の薫、『山月記』の李徴など。それぞれが不老の力を与えられる、触れるだけで傷を癒やせるなど特殊能力を備えている。


 折しも、帝国主義的野心を拡大させていたこの国には、厄災を利用して一気に社会運動の活動家たちや無政府主義者たちを根こそぎにしようという軍部の動きがあった。さらには、猟奇の化身を城主にする纐纈城を拠点に、参謀本部は〈不死鳥計画〉なる謎の作戦を推し進めている。その国家の変質にいち早く気づいたのが、翁や実在のアナーキスト・大杉栄だ。翁は、情報提供するなど大杉と通じていた陸軍軍人の木村兵太郎から九州帝大の実験を聞かされ、〈不死鳥計画〉一端を知る。そこにバイオテロまで加わって……、二転三転しながら読者をニヤリとさせるラストへ連れて行く。


 歴史の有名人と小説の有名人が入り乱れ、開戦前の昭和初期までを映し出す冒険活劇だ。荒唐無稽な設定も、大杉栄の粛清や九州帝大の生体解剖、『青鞜』の刊行など史実を忠実に織り込むことで、パロディ炸裂の壮大なif(イフ)の物語に仕上げた。物語を書き付けていく男とその物語を読む男が出会う奇妙な味わいの『地図男』でデビューした著者らしい、風刺とアイデアが詰まった長編だ。

ほんの少し歪な家族が織りなす赦しの物語
『君の名前の横顔』河野裕(ポプラ社)
シングルマザーの愛、愛の死んだ夫の連れ子で大学生の楓、HSC(ハイリーセンシティブチャイルド、繊細過ぎる子ども)の性質を持つ小学生の冬明の三人家族。冬明が恐れる〈ジャバウォック〉を、家族は一過性の空想と考えていたが、楓が初恋相手の有住からその怪物に〈名前を盗まれた〉と意味深な言葉を聞かされて……。誘われた記憶の冒険は、建築家の父の死の真相を暴く。彼らはジャバウォックの「世界を改変する力」を使い、こうあるべきという賢しらな常識を、優しく作り替えることはできるのか。

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