『幻の旗の下に』評・縄田一男

文字数 956文字

堂場瞬一の傑作に涙
(*小説宝石2021年12月号掲載)

『幻の旗の下に』堂場瞬一(集英社)

 これまでさまざまなスポーツ小説を書いてきた堂場瞬一の作品が、このような堂々たる大作に結実した事を、まずは喜びたい。


 扱われているのは、日中戦争の拡大を受け、返上が決まった東京オリンピックに代わって、一九四〇年六月に行われた東亜競技大会である。


 こうした史実への着目は、戦争とコロナとの差こそあれ、一年延期となった今回の東京オリンピック・パラリンピックを歴史の中に二重写しにする構成を持っている。


 主な軸となる人物は二人。体協(大日本体育協会)の理事長・末広の秘書を務める石崎と、彼と旧知の間柄にあるハワイの日系人野球チーム「ハワイ朝日」のマネージャー・澤山。


 体協幹部や陸軍等、本来は何者の影響も受けない、スポーツにのしかかる様々な圧力をはらいのけ、何とか五輪に代わる平和の象徴としての大会開催をとりつけた石崎は、野球のハワイ代表として、澤山を呼んだのである。


 本書の帯には〝圧巻の交渉小説!〟という文字が躍るが、石崎の交渉には、水面下や謀略的なものは一切ない。むしろ正面から官僚・政治家・陸軍の喰えない面々に体当たりして切り抜けていく。


 それが、本書の向日性の所以だろう。しかしこの一巻はこの大会の影の部分も描いている。石崎は、かつて高校球児だったが、当時のエース立花は、中国戦線で膝を負傷。二度と野球の出来ない身体になっていた。


 競技大会で野球が行われる事を望む立花は、それが石崎の大会だからだと作者は書く。


 私はこの場面で思わず涙を流した。細部まで何と心憎い作品だろう。傑作である。

柳生シリーズ名手の逝去に合掌
『柳生神妙剣』長谷川卓(祥伝社文庫)

 本書の作者、長谷川卓は二〇二〇年十一月に死去した。長谷川は『柳生七星剣』から始まる槇十四郎シリーズを改稿し、第三巻にあたる本書においてもそれを行うつもりであったが叶わず、夫人が代わりにこれを行った。

 さて、このシリーズの主人公は剣客・槇十四郎だが、柳生のシリーズで十四郎などと言うと、東映の「柳生武芸帳」で十兵衛を演じた近衛十四郎が思い浮かび、双方の豪剣が一つになり、嬉しくなる事もしばしば。

 いずれにせよ様々なシリーズで私たちを喜ばせてくれた作者はもういない。合掌。

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