第38話 売れっ子作家の東郷に目をつけられた日向だったが――

文字数 2,569文字


 編集者らしき男性が十人並んでいた。
 九人目の編集者の自己紹介が終わり、十人目の小柄な男性が歩み出てきた。
「はじめまして、私、東郷真一先生の担当編集をしている『英談社(えいだんしゃ)』の神田(かんだ)と申します。日向先生、大人気ですね。『願い雪』の大ヒットもおめでとうございます。よろしければ、ご挨拶がてら、あちらのテーブルで一緒に飲みませんか?」
 小柄な男性……神田が、名刺を差し出しながら視線を壇上近くのテーブルに移した。
 神田の視線を追った。
 モスグリーンのスリーピースのスーツに身を包んだオールバックの中年男性……東郷が、シャンパングラスを片手に和服を着た女性と談笑していた。
 東郷は日向より十歳上の四十五歳だが、テレビや雑誌で見たときの印象よりも若々しかった。
「ありがとうございます。でも、お邪魔になるので遠慮しておきます」
 日向はやんわりと断った。 
「いえいえ、東郷先生から日向先生を呼んできてほしいと言われましたので大丈夫です」
「東郷先生が、俺を呼んできてほしいと言ったんですか?」
 日向は訝(いぶか)しげに訊ねた。
「ええ。日向先生、東郷先生にご挨拶まだでしたよね?」
 神田の物言いに、日向は不愉快になった。
「まだですが、どうして俺が挨拶に行かなければならないんですか?」
 日向はムッとした口調で訊ね返した。
「どうしてって……それは、東郷先生は文壇の大先輩ですし……」
「この会場にいる作家さんは、ほとんど俺より目上の方ばかりです。全員のテーブルに挨拶に回れと言うんですか? 俺に話があるなら、東郷先生がこっちのテーブルにきたらいいでしょう」
 日向は神田を遮り、皮肉交じりに突き放した。
 昔から、不遜な態度でマウントを取ろうとする人種が大嫌いだった。
「磯川さんも、同じ考えですか?」
 神田が、日向の隣で苦笑していた磯川に視線を移した。
「日文社」と「英談社」は系列会社なので、二人が知り合いでも不思議ではなかった。
「その質問は、先輩作家のもとに挨拶に行くのを拒んだ後輩作家を説得しろという遠回しな恫喝(どうかつ)ですか?」
 磯川が、人を食ったような言いかたで質問を返した。
「わかりました。そのまま、東郷先生にお伝えします」
 神田は、顔を赤らめ震える声で捨て台詞を残し、テーブルをあとにした。
「なにあいつ? ムカつくな」
 日向は、遠ざかる神田の背中に吐き捨てた。
「どこにでもいる小判鮫ですよ」
 磯川の言い方で、彼も神田を快く思っていないことがわかった。
「小判鮫?」
「大物作家や役員にへばりついて、おべっかを使いながら出世を目指すヨイショ編集者の典型ですよ」
「なるほど。つまり、磯川さんとは正反対のタイプの編集者ということだね?」
 日向は笑いながら言った。
「日向さんも、人のことは言えませんよ。話があるならこっちにくればいいなんて、同じ会場にいる東郷さんに言うんですからね」
 磯川も笑いながら言った。
「でもさ、俺は作家だから睨(にら)まれても大丈夫だけど、磯川さんは編集者だからまずくない? 東郷さんって、『日文社』でも書いてるんでしょう? ごますり編集者が東郷さんにチクる……っていうか、もうチクってるし」
 五メートルほど離れた壇上近くのテーブル――神田が東郷に耳打ちしていた。
「たしかに、東郷さんはウチで十作以上出してますね。記憶では、すべてベストセラーになっているはずです。でも、僕は担当じゃないですから」
 涼しい顔で磯川が言った。
「担当じゃなくても、東郷さんから会社にクレーム入ったら上司に怒られるんじゃないの?」
「怒られるでしょうね」
 相変わらず、磯川は他人事(ひとごと)のように言った。
「まずいじゃん。何年か前も大物作家さんの原稿に赤入れまくって、編集長に怒られたことあったし。閑職に飛ばされたりしたらどうするの?」
 冗談ではなく、日向は本気で心配していた。
 磯川が編集部から追い出されるようなことになれば、日向にとっても一大事だった。
「僕が倉庫管理に飛ばされたら、日向さんが執筆できるように段ボール箱のデスクを用意しておきますよ」
 磯川が、笑えないジョークを口にした。
「ちょっと、縁起悪いこと言わないでよ」
「じゃあ、これから二人で挨拶に行きますか? 向こうも、待ってるみたいですし」
 磯川が、東郷のテーブルに視線を移した。
 東郷が、苦々しい顔で日向を見ていた。
「絶対に行かない」
 日向が即座に答えると、磯川が大笑いした。
「僕達は似た者同士ですね。それに、心配しないでください。結果を求めるために仕事をしていないだけで、きっちり結果は出していますから。編集長も、少々のことでは僕を編集部から追い出せませんよ。さ、改めて乾杯しましょう」
 磯川が言いながら、ビールのグラスを宙に掲げた。
「なにに乾杯?」
「長い物に巻かれない者同士の結束を誓って」
 磯川が悪戯(いたずら)っぽい顔で言った。
 日向は苦笑しながら、磯川のグラスにグラスを触れ合わせた。

「編集長は、どこに行くの?」
 日向は、赤坂の飲み屋街を速足で歩く羽田(はた)の背中に続きながら磯川に訊ねた。

 ――一時間ほど、お時間をください。是非、日向先生をお連れしたい店があるので。

「赤坂プレミアムホテル」で行われていたパーティーの終盤に合流した羽田の言葉が、日向の脳裏に蘇った。
「こっちの方向には、作家さんがよく利用するバーがありますけどね」
 磯川が言った。
「それって、もしかして文壇バーとかいうやつ?」
「銀座とかの本格的なクラブとは違いますが、似たような感じの店です」
「俺、文壇バーとか苦手なんだよね。それなら、キャバクラとかのほうが全然いいよ」
 日向は渋い表情で言った。
「僕も文壇バーの類は苦手ですね。キャバクラも苦手ですけど」
 磯川が苦笑した。
「こちらです」
 羽田が雑居ビルの看板の前で歩を止めた。
 
 CLUB「響」

「僕の予想が当たったようです」
 磯川が日向の耳元で囁(ささや)いた。
「ママが日向先生の大ファンなんですよ。さ、入りましょう」
 羽田が意気揚々とドアを開けた。

(次回につづく)

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