第27話 他社で刊行した新刊でも、真剣に応援してくれる磯川に日向は――

文字数 3,005文字

「なに言ってるの? いまの俺があるのは、磯川さんのおかげだよ。もし、文芸第二部でデビューしてたら、ベストセラー作家どころか、ここまで作家を続けられたかどうかもわからない。磯川さんが俺の個性を殺さず、編集長や販売部と戦って日向節を守ってくれたからベストセラー作品を生み出せたんだ。磯川さんと二人三脚でやってきたからこそ、『美冬舎』に高く評価して貰える作家になれたのさ。だから、そんな水臭いこと言わないでよ」
 日向は磯川をみつめ、真剣な口調で言った。
 編集長や販売部に押し切られて、柔らかな表現とセリフに修正させられていたら、デビュー作の『阿鼻叫喚』は毒気を抜かれた作品になりベストセラーにはならなかっただろう。
 飛ぶ鳥を落とす勢いの「美冬舎」も日向に声をかけてこなかっただろうし、たとえかけてきたとしても今回の『無間煉獄』のように、一日で八百万円の朝刊紙の広告を六本も打つような高待遇はありえなかっただろう。
「ありがとうございます。僕はただサポートしただけで、ここまできたのは日向さんの実力です」
 磯川が顔の前で手を振り謙遜した。
 いや、磯川は本当にそう思ってくれているのだろう。
 売れれば自分の手柄、売れなければ作家の責任にする編集者が多い中で、磯川は地位や金よりワクワクする仕事を選ぶ稀有(けう)なタイプの男だ。
 改めて日向は、あのとき磯川の誘いに乗って文芸第三部でデビューしてよかったと思った。
「社長も感謝くらいはできるけん、チンパンジーより知能が上なのは認めてやるばい」
 椛が日向に顔を向け、ニッと歯を剝(む)き出した。
「まったく……お前は女優より毒舌芸人になったほうが成功するんじゃないか?」
 日向は椛に皮肉を返した。
 いや、皮肉ではない。
 女優が向いていないというよりも、頭の回転の速さ、空気を読む力、よく回る口……椛は芸人で成功する要素を備えていた。
「金髪ガングロ変態男に、そぎゃんこつ言われたく……」
「磯川さん、今夜、七時から二時間くらい空いてる?」
 日向は椛を遮り、磯川に訊ねた。
「空いてますが、なにか?」
「『美冬舎』の担当編集者と簡単な打ち上げをやることになってるから、磯川さんもおいでよ」
『無間煉獄』の初の一位を祝うという名目で君島(きみじま)という担当編集者と飲むのだが、磯川抜きでは気が進まなかった。
 刊行祝いということならば、二人で飲みに行っただろう。
 だが、日向作品初の一位を祝うということであれば、磯川の参加は不可欠だ。
『無間煉獄』が爆発的に売れたのは、もちろん多大な広告費をかけてくれた「美冬舎」と君島の編集者としての能力のおかげだ。
 だが、デビュー三作で日向誠の独特な世界観を確立していたからこそ……実績を残していたからこそ、「美冬舎」と仕事ができたのも事実だ。
「いやいや、他社の打ち上げに僕が参加するのはまずいですよ」
 磯川が驚いた顔で言った。
「打ち上げと言っても、担当編集者と二人で飲むだけだから大丈夫だよ」
「僕がよくても、他社の編集者がいい気持ちしませんって。誘ってくれた気持ちだけで十分です。今夜は、二人で祝杯をあげてきてください」
「磯川さんが実家なら、これから仕事をするほかの出版社は留学先だよ。俺にとってはどっちも大事な場所だけど、留学先でどれだけ大きくなっても最後に帰ってくるのは実家だからさ。俺の親代わりだと思って、一緒に祝ってよ。ね? パパ」
 日向はおどけながら、顔の前で手を合わせた。
「パパ!? 黒く脂ぎったおやじがキモ!」
 椛が舌を出し大袈裟に顔を顰(しか)めた。
「実家と留学先ですか。さすが作家さん、うまいこと言いますね。わかりました。パパとまで言われて、断るわけにはいきませんから。少しだけ顔を出して、ホームステイ先にご挨拶を済ませたら帰ります。それでよければ」
 ウイットに富んだジョークで磯川が切り返した。
「ありがとう! 場所はあとでメールするよ。俺はこれから、『週刊マダム』のインタビューだから」
「『無間煉獄』のインタビューで、『週刊マダム』ですか?」
 磯川が怪訝そうに訊ねてきた。
 たしかに、君島に「週刊マダム」からインタビューのオファーが入ったと聞いたときに日向は違和感を覚えた。
『無間煉獄』は、闇金融の伝説の取り立て屋とエステティックサロンのトップセールスマンの二人を軸に展開してゆく話だ。
 元ホストのトップセールスマンの藤城(ふじしろ)は、売り上げを伸ばすために女を性の奴隷にして高額のローンを組ませ、金が尽きたら切り捨てる卑劣な男だ。
 女性が読んだら、間違いなく嫌悪する内容になっている。
 男性誌ならわかるが、女性誌からのインタビューオファーとは驚きだった。
「不思議なこともあるよね」
 日向は他人事(ひとごと)のように言うと笑った。
「根拠はありませんが、なんだか嫌な予感がします」
 磯川が不安げな顔で言った。
「大丈夫だよ。物好きな女性誌もあるんじゃない? じゃあ、行ってくるよ」 
「私も……」
「お前は電車で帰れ」
「タレントば人込みに置き去りにするなんて、最低の社長ばい!」
 椛の声から逃げるように、日向は出口へとダッシュした。
                ☆
「本日は、よろしくお願いします。ライターの井澤涼子(いざわりょうこ)と申します。では、レコーダーを回させて頂きます」
 新宿「京王プラザホテル」のカフェラウンジ。ショートカットに黒いパンツスーツの女性……「週刊マダム」のライターが、ICレコーダーのスイッチを入れた。
 君島は、ほかの担当作家とのトラブルで日向に同行できなかった。
「日向先生の最新刊、『無間煉獄』は発売二週間で十五万部を突破するベストセラーになりました。デビュー四作目にして、ベストセラーランキング一位を獲得した感想をお願いします」
「率直に嬉しいです。昔から負けず嫌いで、なにをやるにも一位を取らなければ気が済まない性格をしていましたから。でも、満足はしていません。一位といっても、まだ二週間です。私は欲深いですから、三ヶ月はトップでいたいですね」
 日向は冗談めかして言ったが、本音だった。
 いや、本当は三ヶ月では足りない。
 最低、半年はトップの座を守りたかった。
「負けず嫌いですか? イメージ通り強気な方ですね。ほかのインタビューで、日向さんはデビュー作の『阿鼻叫喚』は実体験をベースに書いた物語だとおっしゃっていましたが、本作もやはり実体験が入っているのでしょうか?」
 ライターが、好奇の色の宿る眼で日向をみつめた。
「すべてというわけではありませんが、実体験を反映させている部分、実体験をデフォルメしている部分、まったくのフィクションの三つをブレンドしています。その比率は作品によってまちまちです」
 日向はすらすらと答えた。
 この質問は毎回必ず聞かれるので、マニュアルのような返答が出来上がっていた。
「では、本作に出てくる女性を喰い物にする街頭キャッチセールスマンの藤城というキャラクターは、日向さんの実体験を基にしているんですか? それとも、この卑劣なセールスマンのモデルがいるんですか?」
 気のせいか、ライターの言いかたに棘(とげ)があるように感じた。

(次回につづく)

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