第48話 初の映像化作品『僕がママを探す旅』が劇場公開に

文字数 2,340文字

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「映宝シネマ日比谷」の舞台袖――列の最後尾に並んだ日向は、深呼吸を繰り返した。
 珍しく日向は、緊張していた。
 今日は、日向にとって初の映画化作品となった『僕がママを探す旅』の舞台挨拶の初日だった。
 磯川が大阪の「日文映像」に異動してから、四年が経っていた。
『願い雪』の次に刊行した『僕がママを探す旅』は映像会社とのコラボレーション企画の作品だったので、既に資金は確保してあり、執筆中にメインクラスのキャスティングが決まった。
 刊行した月にクランクインし、今日の試写会に至る。
 プロダクションの主導権争いでなかなか座組が決まらず、いまだに映画化されていない『願い雪』とは対照的なスピードだった。
「それでは、これから『僕がママを探す旅』の舞台挨拶を始めます! 琴絵(ことえ)役の白坂凛(しらさかりん)さん、琴絵の夫の宗司(そうじ)役の田辺健斗(たなべけんと)さん、二人の息子、寛太(かんた)役の南蒼(みなみあおい)さん、お入りください!」
 MCの女性アナウンサーに促され、俳優陣がステージ中央に歩み出た。
 白坂凛は元タカラジェンヌで、清楚で気品のある美しさとたしかな演技で二十代の頃はもとより四十代になったいまでも、映画やドラマで主役を張り続けるトップ女優だ。
 夫役の田辺健斗は、コミカルな演技からサイコパスまで演じ分ける実力派の性格俳優だ。
 息子役の南蒼は、今回の映画のために行われたオーディションで、五百人の中から選ばれた期待の新人子役だ。
 客席から湧き起こる拍手と歓声が、日向の緊張に拍車をかけた。
 日向の前に並んでいる監督の吉井英雄(よしいひでお)は舞台挨拶に慣れているのであろう、緊張しているふうもなく落ち着いていた。
『僕がママを探す旅』は家族ものの小説なので、同じ白日向作品でも恋愛ものの『願い雪』とは違うタイプだった。

 物語は、小豆島の診療所に勤務している母、琴絵から届いた手紙を宗司と寛太が読んでいるシーンから始まる。
 琴絵は五年前……寛太が四歳のときに、それまで勤務していた都内の病院から小豆島の診療所に転職した。
 寛太の楽しみは、月に一度、小豆島から届く母の手紙だった。
 幼い頃は純粋に母からの手紙を楽しみにしていたが、小学生になったあたりから、寛太の胸に素朴な疑問が芽生え始めた。
 なぜ、母は戻ってこないのか?
 寛太は父に訊ねるが、仕事が忙しいからだよ、と繰り返されるばかり。
宗司は、真実を言えなかった。 
 琴絵が五年前に若年性アルツハイマー型認知症を発症し、息子のことを忘れてゆく母の姿を見せたくなくて、小豆島の療養所に入所したことを。
月に一度の小豆島から送られてくる母の手紙は、琴絵の妹が書いているということを。
 だが、寛太は宗司に置き手紙を残し、愛猫のきなことともに小豆島に母探しの旅に出るのだった。
 
 日向が初めて家族の絆を描いた『僕がママを探す旅』は、ミリオンセラーになった『願い雪』には遠く及ばないが、それでも実売が十五万部に達した。
 
 日向には、いくつの引き出しがあるんだ!
 家族小説でも泣かせるなんて、日向誠には毎作品驚かされている。
 どろどろの犯罪小説を書いている人と同じ作者とは思えない! こんな作家、過去にいただろうか?
 恋愛ものでヒットしたから今度は家族ものか? 日向もあざといな。
 日向の書く家族愛なんて読みたくもない。
日向誠はデビュー当時の犯罪者と変態しか出てこないような暗黒小説を書くべき。
 なんか、児童文学みたい。本も薄いし字は大きいし、日向も連載が増えてやっつけになってるんじゃないの?
 
 読書スレッドには称賛のコメントが数多く並んでいたが、それと同じくらいの批判コメントも書き込まれていた。
 白日向作品でやっつけと言われるのは、想定内だった。
 どんなに完成度の高い作品に仕上がっても、ディープな黒日向作品の読者が白日向作品を受け入れることはない。
 だが、黒日向作品でやっつけ仕事だと言われるのはつらかった。
『僕がママを探す旅』の次に刊行した「日文社」の新刊、磯川の後任の早瀬が担当した『絶対犯罪』の書評は散々だった。
「続いて、吉井英雄監督、原作者の日向誠先生、お入りください!」
 MCの声に、日向は開きそうになった暗鬱(あんうつ)な記憶の扉を閉めた。
「先生、行きましょう」
 吉井監督が振り返り笑顔で頷(うなず)くと、ステージに足を踏み出した。
 日向もあとに続いた。
 右手と右足が一緒に出る滑稽(こっけい)な歩きかたにならないように気をつけた。
 日向はバミの貼ってある位置を確認して立ち止まり、顔を上げた。
 五百人を収容できる館内は、満席だった。
 膝が震えた。
 これまで数々のバラエティ番組に出演してきたが、こんなことは初めてだった。
 落ち着け、落ち着くんだ。
 日向は己に言い聞かせた。
 こんなときに、磯川がいてくれたらどんなに心強いことだろう。
「では、まず最初に、本作の原作者である日向誠先生、皆様へのご挨拶をお願いいたします」
「原作者の日向誠です。本日は、『僕がママを探す旅』の試写会に足を運んでいただき、ありがとうございます!」
 不思議と、喋(しゃべ)り始めると噓(うそ)のように緊張が解けた。
「本作は私にとって初めて映像化された作品で、今日、ここにきてくださったみなさんの顔を生涯忘れることはないでしょう……と言いたいところですが、残念なことに私の記憶力と視力では五人くらいしか覚えられません」
 日向のジョークに、会場は笑いに包まれた。

(次回につづく)

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