第43話 編集者人生を懸けて日向を守る磯川の驚きの答えとは?

文字数 2,467文字

『お前の能書きなんて聞く気はない! どんな理由があっても、編集者のお前が「日文社」の大恩人の東郷先生に謝罪を促し動画で脅すなんてことが、許されると思っているのか!? これまでに東郷先生がウチで刊行した十九作品はすべてベストセラーになり、利益はゆうに二十億を超えている。ここまで言えばわかるだろう? さあ、早く東郷先生に詫びるんだ!』
 局長が磯川に謝罪を命じた。
『それとこれとは話が違います。僕が東郷さんに謝ることは、日向さんへの侮辱を認めたことになります。局長にとって東郷さんが大切な作家さんだというのと同じで、僕にとって日向さんは大切な作家さんです』
 磯川の言葉に、日向の胸が熱くなった。
 従わなければ解雇されるかもしれないという状況でも、磯川は日向を守ろうとしてくれている。
 頼む、謝ってくれ……。
 日向は必死に念じた。
『もういい! 局長、「日文社」ほどの歴史ある出版社に、こんな身の程知らずの無礼な編集者を置いておくつもりか? 俺も鬼じゃないから、クビにしろとまでは言わない。ただ、文芸編集部では見たくない顔だな』
 東郷が局長にたいして婉曲(えんきょく)な恫喝をした。
 我慢の限界――日向は原稿室を飛び出した。
「日向先生っ、まずいです……」
 制止しようとする菊池を振り切り、日向は会議室のドアを開けた。
「日向さん……」
 円卓に座っていた磯川が立ち上がり、絶句した。
 磯川の両隣に座っていた局長と編集長の羽田(はだ)も、驚いた顔で立ち上がった。
 円卓の最奥……東郷だけが、椅子にふんぞり返ったまま日向を睨(にら)みつけていた。
「いま、大事な話中だ。どこまでも無礼な奴だな。出ていけ」
 東郷が、ドアを指差し日向に命じた。
「お前が出ていけ! お前が泥酔して俺に絡んできたのを、磯川さんが注意しただけの話だろうが!」
 日向は、東郷に怒声を浴びせた。
「ひゅ……日向先生、落ち着いてください!」
 羽田が顔を強張らせ、慌てて駆け寄ってきた。
「あんたもあの場にいただろう!? 東郷さんの傍若無人な振る舞いをみていたのに、どうして好き勝手に言わせている!? あんた達がそんなふうだから、作家が暴君みたいになるんだろう!」
 日向は、羽田に怒声を浴びせながら東郷を指差した。
 言い過ぎかもしれない……わかっていた。
 だが、編集者人生を懸けて守ってくれた磯川の窮地に黙っていられなかった。
 日向は作家だから暴言を吐いてもお咎(とが)めなしだが、磯川は違う。
「暴君だと!? 局長! こんな侮辱は初めてだ! この編集者を文芸編集部から外すだけで許そうと思ったが、もう我慢ならん! こいつと同じ出版社で、今後書く気はない! 東郷真一の作品がほしいなら、今後二度と『日文社』でこいつの作品を出すな!」
 東郷は、局長に一方的に命じると出口に向かった。
「待て! なんでお前にそんなこと決める権利があるんだ! こんなむちゃくちゃなことごり押しして、磯川さんに悪いと思わないのか! 編集者あっての作家だろうが!」
 日向は東郷の行く手を遮り詰め寄った。
「俺のどこが悪い? それに、俺の担当編集者には、こいつみたいに歯向かってくる身の程知らずはいない。もう一つ。いつ、俺に決める権利があると言った? 俺は局長に要求しただけだ。要求を呑むかどうかは、局長次第だ。まあ、十九作もベストセラーで利益をもたらしている俺と、ビギナーズラックのお前のどっちの言葉を重く受け止めるかは考えるまでもないがな。どけ!」
 東郷は傲慢な態度で憎々しげに言うと、日向の肩を押した。
「おいっ……」
 東郷を呼び止めようとした日向の視界に、人影が過(よぎ)った。
「先日の無礼をお許しください」
 日向は眼を疑った。
 磯川が東郷の足元に土下座して詫びた。
「磯川さんっ……」
 磯川が日向に伸ばした左手に、踏み出しかけた足が止まった。
「私は責任を取り、文芸第三編集部から外れます」
 日向は耳を疑った。
「編集部をやめる!? なにを言って……」
「二度と東郷さんの前には現れませんから、今回の件は、これで終わりにしてください」
 磯川が日向を遮り、東郷に懇願(こんがん)した。
 目の前で平伏し、東郷に許しを乞うているのは本当に磯川なのか?
「まさか……」
 日向は絶句した。
 自分を救うために磯川は東郷に……。
 磯川が東郷に平伏した理由がわかり、日向は心臓を引きちぎられたような気分になった。
 会議室に踏み込み磯川を守ろうとしたつもりが、さらに窮地に追い込む結果になってしまった。
 込み上げる後悔――奥歯を嚙(か)み締めた。
 日向は、磯川の恩を仇(あだ)で返すことになった己の愚(おろ)かさを呪った。
「ふん。いまさら土下座したところで、俺の怒りがおさまると思ってるのか? あとは局長に任せる。局長の判断次第で、お前のことを許すかどうかを決める。局長! 俺が納得する処分を期待してるぞ」
 東郷が横柄に言い残し、会議室を出た。
「編集部をやめないよね!? 噓だよね!?」
 日向は、平伏したまま動かない磯川の背中に願いを込めて訊ねた。
 磯川がゆっくりと立ち上がり、日向に無言で頭を下げた。
「なにそれ? どういう意味だよ?」
 胸騒ぎがした。
 磯川が目の前から消えてしまうのではないかという胸騒ぎが……。
「僕を信じてくれますか?」
 磯川が、唐突に訊ねてきた。
「もちろん、信じてるさ!」
 日向は即答した。
「だったら、この言葉も信じてください。日向さんは、僕がいなくても十分にやっていけます」
 磯川が微笑んだ。
「ちょっと、いったい、なにを考えて……」
「これも信じてください。僕の決断は、すべてにおいて最善の道だと」
 日向を遮り磯川が言った。
「磯川さん……」
 日向は、磯川をみつめた。
 わかっていた。
 磯川の決断を。
 わかっていた。
 磯川が決断を変えないということを。

(次回につづく)

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