第35話 初の恋愛小説『願い雪』が大ヒット! 評価も高まり――

文字数 2,449文字

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 「与那国屋書店」一位『願い雪』日向誠
 「四聖堂書店」一位『願い雪』日向誠
 「ブックセカンド」一位『願い雪』日向誠
 「パンク堂」一位『願い雪』日向誠
 「丸の内ブックセンター」一位『願い雪』日向誠

「日向プロ」のミーティングルームのテーブルには、全国の主要書店グループの売り上げデータの用紙が並べられていた。
「やりましたね! 都内の有力どころの書店の月間売上で、二ヶ月連続で一位です!」
 磯川が、我がことのように嬉(うれ)しそうな顔で声を弾(はず)ませた。
日向誠初の恋愛小説『願い雪』は、発売二ヶ月で三十万部を突破していた。
この数字は、デビュー五年目の六作目にして最高の売り上げだ。

日向誠、驚きの新境地!
暗黒小説の鬼才が、純愛小説に挑戦!
新作『願い雪』は別人の筆致! 日向誠は二人いるのか?
『阿鼻叫喚』『無間煉獄』『メシア』の作家と『願い雪』の作家は、同一人物なのか?

 小説誌、週刊誌、スポーツ新聞などで様々な書評家やライターが、これまでとは百八十度世界観の違う『願い雪』について、驚きの感想を載せていた。
「最後の雪に願い事をすれば叶(かな)うって、本当ですか……これ、本当は別の人が書いたとじゃなかね? 暴力といやらしか物語しか書けん社長が、こぎゃんピュアな物語ば書けるはずなかけんね~」
 いつものように勝手に同席していた椛(もみじ)が、毎度の憎まれ口を叩いてきた。
 日向が小説家デビューした五年前は十五歳の高校生だった椛も、二十歳になっていた。
 女優としてブレイクするまでに至ってはいないものの、連ドラや二時間ドラマの脇役の仕事は年に数回こなしていた。
「お前はもう、お酒も飲めて選挙権もある大人なのに、いつまでも小便臭いガキのままだな」
 日向も憎まれ口を返した。
「あ! レディに向かって、それはセクハラだけんね!」
 椛が日向を指差した。 
「レディ!?」
 日向は噴き出した。
「四十にもなって、デリカシーのなか男ばい。だいたい社長は……」
「さあ、そろそろですよ」
 磯川が椛を遮(さえぎ)り、テレビのボリュームを上げた。
 ミーティングルームには、所属タレントが出演しているドラマやバラエティ番組をチェックできるようにテレビを設置していた。 
 女子大生やOLに人気の情報番組、「女王のシエスタ」の「ブックランキング」のコーナーが始まるところだった。

『はい、では、一ヶ月の文芸書籍のトップ3を発表します! 第三位は……』
 人懐っこい笑みが人気の女子大生モデルの風鈴(ふうりん)が、フリップのシールを剝(は)がした。
『西崎健(にしざきけん)さんの「後ろの正面はボク」です! 第二位は、一橋聡(ひとつばしさとし)さんの「あなたに逢いたい」です! そして今月の一位は、日向誠さんの「願い雪」です!』
 風鈴がフリップのシールを剝がしながら言った。

「結果はわかっていましたが、改めてテレビで発表されると嬉しいものですね」
 磯川が、テレビに向かって拍手をしながら破顔した。
「『願い雪』ば書いとる作家が金髪ガングロ男って知ったら、読者は悲鳴ばあげるばい」
 相変わらず椛はかわいげのないことしか言わないが、表情からは嬉しさが伝わってきた。
「ギャップが素敵……って、キュンキュンするはずだ」
 日向は椛にウインクした。
「オエー!」
 椛が、喉に手を当て吐くまねをした。

『私、この本を読んで泣き過ぎて、翌日眼が腫れて大変でした。ちょうどオフだったからよかったですけど、撮影とか収録がある日は絶対にNGですよ!』
 風鈴が、『願い雪』の装丁をカメラに向けながら言った。
『私も読みました! ヒロインが飼っているワンちゃんが、もうかわいくてかわいくて、私も犬を飼いたい! って思いましたもん!』
 シエスタガールの一人が、頰を紅潮させて興奮気味に言った。

「それにしても、凄(すご)いですね。僕も長いこと編集者をやっていますけど、血みどろの暗黒小説を書いて有名になった作家が、真逆の世界観の純愛小説を書いて三十万部超えの大ヒットを記録して、お昼の若い女性向けの情報番組に取り上げられるなんて奇跡ですよ」
 磯川が、『願い雪』で盛り上がるシエスタガール達を見ながら、しみじみと言った。
「あんまり、褒(ほ)めんほうがよかですよ。すーぐ調子に乗りますけん」
 椛が茶々を入れてきた。

『本日は、「願い雪」の担当編集者であり「樹川書店」文芸部編集長、池内武史(いけうちたけし)さんにお越しいただきました!』
『どうも、池内です。よろしくお願いします』
 テレビに映し出された池内の顔は、緊張に強張(こわば)っていた。

「なんで社長が出んで、編集者の人が出とると?」
 椛が不思議そうに訊(たず)ねてきた。
「『願い雪』の原作者で俺がテレビに映ったら、読者がびっくりするだろう?」
「たしかに、それは言えとる!」
 日向が言うと、椛が手を叩いて大笑いした。
 冗談ではなく、本音だった。
 作家のテレビ出演が多くなり有名になり過ぎると、読者が思い描く物語の世界の邪魔をしてしまうというのが日向の持論だった。
 一昨年、準レギュラーで出演していた情報バラエティ番組を降板したのは、それが理由だ。

『日向さんがこれまで、アンダーグラウンドの世界を舞台にした小説でベストセラーを連発していた作家さんだと知って大変驚いたんですけれど、今回、どうして真逆の純愛小説を書くことになったのでしょうか?』
 風鈴が、興味津々(しんしん)の表情で質問した。
『えーっとですね、日向さんはもともといろんなジャンルの小説を書ける作家になりたかったらしく、デビューから五作品が暗黒系の小説だったのは出版社のリクエストが続いただけで、たまたまだったそうです』
 池内が、表情と同じ硬い声で説明した。

(次回につづく)

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