第10話 「ホームズ文学新人賞」でのデビューを決めた日向は、磯川と――

文字数 3,214文字

「お前、真樹と仕組んだな?」
 日向は大東を睨みつけた。
「おいおい、変な言いがかりつけるんじゃねえよ。俺はさっき、小説デビューのことを真樹ちゃんから聞いたと言っただろう?」
「店にきてるとは、言ってないだろう!?」
 日向は抗議した。
 真樹に隠し事をする気はないが、男同士で話したいときもある。
「店にきてないとも、言ってないだろう?」
 大東が人を食ったように、両手を広げて肩を竦(すく)めた。
「屁理屈ばかり……」
「誠。いいじゃない! 久しぶりに三人で飲むのもさ!」
 真樹が言いながら、日向の隣のスツールに腰を下ろした。
「いや、でも……」
「わあ! 美味しそう!」
 真樹が顔を輝かせ、「スプリングキッス」のカクテルグラスを手にした。
「お前に作ったんじゃないって、わかったろ?」
 大東が勝ち誇ったように言った。
「じゃあ、誠の『ホームズ文学新人賞』受賞を祝して……」
「ちょ……ちょっと待った! まだ、どっちにするか決めてないからさ」
 日向は慌てて真樹の乾杯の音頭を制した。
「だったら、どっちにするか訊いてみて」
 真樹がカクテルグラスを宙に掲げたまま言った。
「ん? 誰に?」
 真樹が日向の左胸を指差した。
「え? どういう意味?」
 日向は言葉通りに、意味がわからず訊ねた。
「自分の胸! 誠の中では、もう決まってるんでしょ?」
 真樹が日向の心を見透かしたように言った。
 図星だった。
 迷っていると言いながら、磯川と会った時点で心は決まっていた。
「改めて、誠の『ホームズ文学新人賞』受賞に乾杯!」
「高校中退の星にかんぱーい!」
 真樹が掲げるカクテルグラスに、大東がバドワイザーの小瓶を触れ合わせた。
 真樹と大東が、日向をみつめて無言の圧力をかけてきた。
 日向は苦笑しながら、タンブラーグラスを持つ腕を上げた。

                  3

 パーティションで囲まれたミーティングルームのデスクには、五パターンの装丁のラフが並べられていた。
「未来文学新人賞」の最終候補を辞退し、文芸第三部からデビューすると磯川に告げてから一ヶ月が過ぎた。
 その間に、著者校正を初めて経験した。
 著者校正とは、校閲と編集者が原稿の誤字、脱字、文法の間違い、物語の矛盾などをチェックして鉛筆を入れた原稿を著者に確認して貰う作業のことをいう。
 間違いではなくても、こっちの表現にしたほうがいいのではないか? ここは漢字より平仮名にしたほうがいいのではないか? などの提案が鉛筆で入っている場合がある。
 磯川の話では、ゲラに指摘を入れると激怒する作家も少なくないという。
 誤字を指摘されても認めずに怒り出すのは、大御所の作家に多いらしい。
 磯川は約束通り、日向の独特な表現や過激な描写は活(い)かしてくれた。
 
 ――さすがの編集長も日向さんの原稿を読んで、のけ反ってましたよ。飢(う)えた五十女のとろろ納豆を啜(すす)るような下品なフェラを……という表現と、「このババアのマンコをクンニするくらいなら、ゴキブリの死骸を食ったほうかましだぜ!」のセリフをもう少し柔らかくできないかと相談されました。僕が文芸第三部の編集者になって五年になりますが、編集長にそんなことを言われたのは初めてですよ。もちろん、却下しました。

 編集長とのやり取りを、愉快そうに語る磯川の顔が脳裏に蘇(よみがえ)った。
 有言実行――上司に逆らってまで、磯川は日向節を守ってくれた。
「日向さんはこのAからEまでの五パターンの中で、どのデザインがいいと思いますか?」
 磯川が装丁候補のラフを見渡しながら訊ねてきた。
 Aはゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」、Bが死神と悪魔が睨(にら)み合うイラスト、Cが閻魔(えんま)大王のイラスト、Dがサタンのイラスト、Eが闇に浮かぶ数百個のデスマスクだった。
「とりあえずAはないです」
 すぐに日向は言った。
「理由はなんです?」
 すかさず磯川が訊ねてきた。
「Aを装丁に使うと、小説というよりも絵画のイメージになってしまいます」
 日向が説明すると、磯川が涼しい顔で頷いた。
 試されている。
 気の抜けない男だ。
「では、次に脱落する装丁はどれですか?」
「BとDです。死神も悪魔も西洋のイメージが強く、仏教用語をタイトルにした『阿鼻叫喚(あびきょうかん)』の装丁には似合いません」
 日向は即答し、続けて候補から外した理由を説明した。
「ここまでは私も同意見です。残るはCの閻魔大王とEのデスマスクですね」
 磯川がふたたび満足げに頷きながら、好奇心に満ちた顔で言った。
「Eが一番だと思います。『阿鼻叫喚』は主人公が生き地獄に落ちてゆくという物語なので、地獄に落とす側の閻魔大王よりデスマスクの海のほうがイメージに合います」
 日向がEを推す理由を説明すると、磯川が右手を差し出してきた。
「え?」
 意味がわからず、日向は首を傾(かし)げた。
「僕達、感性が合いますね。やっぱり日向さんは、『ホームズ文学新人賞』でデビューして正解でした」
 磯川が得意げに言った。
「俺は芸能プロや『世界最強虫王決定戦』シリーズでいろんなヒットを飛ばしてきましたが、周囲のスタッフにはいつも反対されてきました。感性が合うなんて言われたのは、磯川さんが初めてです」
 日向は磯川の手を握りながら言った。
「それは光栄です。でも、私は単なる変わり者ですから。日向さん、献本は何冊くらい必要ですか?」
 磯川が微笑(ほほえ)みながら訊ねてきた。
「献本ってなんですか?」
「献本というのは、お世話になった方や著書を紹介してくれそうな方に出版社から郵送する本のことです」
「ただですか?」
「はい。五十冊くらいまでなら大丈夫です。それ以上になると、著者に七掛けで購入して頂きます」
「なるほど。俺の場合は芸能関係者がほとんどですから、五十冊もあれば十分です。ドラマのプロデューサーや映画監督に優先的に献本します。『阿鼻叫喚』が映像化になったら、販促に繋がりますよね? あと、交流のある芸能プロダクションの社長にも贈ります。売れてる俳優がブログとかで取り上げてくれれば、効果的だと思うんですよね」
 日向は過去に、プロデューサーや俳優が原作者に媚(こ)びている姿を何度も眼にしていた。
 日向自身も所属タレントをキャスティングして貰うために、原作者を接待したことが何度かあった。
 もちろんそういう扱いを受けるのは売れている作家にかぎるが、日向もベストセラー作家になればプロデューサーの態度が変わり、「日向プロ」の所属タレントの仕事を取りやすくなり一石二鳥だ。
 そういう立場になるには、「阿鼻叫喚」を売らなければ話にならない。
「さすが日向さんですね。助かります。作家さんは書くのが仕事なので、販促に協力してくれる人はほとんどいませんからね。それに協力したくても、日向さんみたいに芸能界やテレビ業界に人脈もないでしょうから」
「たまたま芸能事務所をやっているだけのことです。せっかくだから、使える武器はなんでも使いますよ!」
 日向は力こぶを作ってみせた。
「心強いかぎりです。献本する人の名前と送付先は名刺のコピーでも大丈夫ですから、僕のPCにメールを送ってください。それから帯の推薦文の件ですけど、ご希望の人はいますか?」
 磯川が訊ねてきた。
「『阿鼻叫喚』を勧めてくれる人ですか?」
「はい。書評家、文化人、芸能人……作家さんによって、希望は様々ですけど」
「芸能人なら頼めそうな人は何人かいますけど、『阿鼻叫喚』は暴力描写とセックス描写のオンパレードで、映像化になってもR18は間違いないでしょう。事務所がOKを出さない可能性が高いですね」

(次回につづく)

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