第17話 読者の感想をみながら、小説家としての未来像を考える日向は――

文字数 2,847文字

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 ページを捲(めく)る手が止まらなくて、一気に読んでしまいました! 登場人物がひとでなしとろくでなしばかりで誰にも感情移入できない小説でしたが、不思議と読後はスッキリ爽快な気分になりました。
 日向誠の二作目が、いまから待ち遠しくて仕方ありません。

『阿鼻叫喚』。このおどろおどろしいタイトルを見たときに、反射的に手に取っていた。暴力、セックス、裏切り、変態、サディスト……タイトルに負けない地獄絵図の連続で、何度も吐き気を催したがトイレに行くのも忘れて読了!
 暗黒小説界に、新しいスターが誕生した。

 最悪。始まりから終わりまで残酷でエログロなシーンのオンパレード。風間玲や東郷真一に比べて、文章が下品でご都合主義の展開に終始。
 この本を買って後悔。時間と金の浪費だ。

 下劣な登場人物、突拍子もないストーリー、悪い意味での劇画チック。闇金業者の残虐(ざんぎゃく)さばかりを出そうとして、登場人物に魅力が感じられなかった。
 風間玲の小説に出てくる登場人物も極悪人だが、言動に哀愁が感じられ感情移入ができる。
 文学としては間違いなく風間玲が上であり、『阿鼻叫喚』は出来の悪いVシネといったところだ。

 この人の小説には賛否両論あるだろうが、俺は好きだ。
 アンチの人が書いている、登場人物がひど過ぎて感情移入できないというコメントは、日向誠の作家性をわかっていない証(あかし)だ。
 そもそもこの作家は、自身の経験した闇金融の世界をリアルに書くのが目的だ。『阿鼻叫喚』に善人が一人も登場しないのも、ひとでなしやろくでなしばかりなのも、現実の闇金融の住人がそうだったのだろう。
 逆に言えば風間玲や東郷真一の書く闇世界はリアリティに欠け、手ぬるく感じてしまう。一つだけ言えるのは、日向誠は好き嫌いが分かれる極端な作家ということだ。

 生理的に無理。文壇の品位を落とすから、一作で消えてほしい。

『阿鼻叫喚』を読むと、ほかの犯罪小説は噓(うそ)っぽくて読めない。お世辞にも文章はうまい作家とは言えないが、ジェットコースターストーリーから眼を離せない。

「なにこれ? 生理的に無理とか品位を落とすとか、好き放題書いちゃって!」
 細長い店内に低く流れるBGMのシャンソンを、憤然とした真樹の怒声が搔(か)き消した。
「エルミタージュ」のカウンター席――日向と真樹は、ノートパソコンで読者の感想を読んでいた。
 日向は苦笑しながら、ビールのタンブラーグラスを傾けた。
「なになに? そんなにひどいことを書かれてんのかよ?」
 カウンターの奥でグラスを磨いていた大東が、身を乗り出してノートパソコンのディスプレイを覗(のぞ)き込んだ。
「下品な比喩、吐き気がする描写、稚拙(ちせつ)な表現……たしかに、罵詈雑言(ばりぞうごん)のオンパレードだな。でもさ、罵(ののし)られているのと同じくらいにべた褒(ぼ)めしてる人もいるから、いいんじゃねえか?」
「だからって、こんなにアンチがいたらだめよ! 食べログとかでもさ、五つ星がついても同じくらいに一つ星をつけられたら平均が二・五になっちゃうでしょ? 読者の人は星の数を参考にするから、売れ行きに影響しちゃうんだって」
 真樹が大東に反論した。
 真樹の言う通り『阿鼻叫喚』の百を超えるコメントは、五つ星と一つ星がほぼ半々で平均は二・八という微妙な数字だった。
「だけど、誠の本は売れてるんだろ?」
 大東が日向に視線を移した。
「ああ。発売一ヶ月で実売五万部を突破したらしい」
「与那国屋書店」の週間ランキングで『阿鼻叫喚』は、風間玲の『堕天狼』、東郷真一の『無双検事』、名倉さゆりの『下町ブルジョア娘』に次いで四位だった。
 発売十日目の週間ランキングが二十七位だったことを考えると、大躍進と言えよう。
 だが、相変わらずトップ3は強く、順位こそ入れ違ってはいるものの三作品の牙城を崩すことはできなかった。
「五万部!? 真樹ちゃん、聞いたか!? 五万部って言えば、東京ドームをほぼ満員にできる数だぜ! 凄(すご)くないか?」
 大東が興奮気味に言った。
「だから言ってるの。ここまで尖(とが)った小説だと読者を選んじゃうから、爆発的には広がらないじゃない。二作目は少し柔らかくしたほうがいいよって言ってるんだけど、頑固になって聞いてくれないのよ」
 真樹が不満げな顔で唇を尖らせた。
 真樹は、日向にミリオンセラーの作品を生み出すような作家になってほしいと願っていた。
 そのためには女性読者を増やす必要があり、いまの日向の過激な作風では難しい。
 全国区の作家になるために前向きな妥協をしてほしい、というのが真樹の言いぶんだった。

 ――豆に凝(こ)ったコーヒー専門店もいいけどさ、日本中の人に飲んで貰(もら)う店にするにはチェーン店の要素も必要なんじゃないかな?

 脳裏に蘇(よみがえ)る真樹の言葉。
 これまでがそうであったように、真樹の言いぶんは正しいだろう。
 だが、今回は日向なりの考えがあった。
 豆に凝ったコーヒー専門店でありながら、全国の人に飲んで貰える店にする方法を思いついていた。
「お前が真樹ちゃんの言うことを頑固に拒否するなんて、珍しいじゃねえか。真樹ちゃんの番犬なのに」
 大東がジントニックのグラスを手に、茶化すように言った。
「せめて忠犬って言えよ……って、冗談はさておき、別に頑固になってるわけでも拒否してるわけでもないさ。ところで、お前、本当に読んだのか?」
 日向はさりげなく話題を変えた。
「なんだ? 疑ってんのか? 読んだに決まってるだろ」
 大東がムッとした顔で言った。
「疑ってないわよ。誠は話を逸(そ)らしたいだけだから。でしょ?」
 真樹がマンゴーカクテルのグラスを傾けながら、日向を睨(にら)みつけてきた。
「真樹の前では、俺の心はスケルトンだな」
「いよっ、さすが小説家!」
 大東が合いの手を入れてきた。
「真面目に話して。もう少しソフトな描写にしたほうが読者が増えるっていう私のアドバイスを受け入れるの? それとも拒絶するの?」
 真樹は場を和(なご)ませようとする大東を無視して、日向に詰め寄ってきた。
「二者択一の片方が拒絶って言いかた、プレッシャーだからやめてくれよ。まったく、勘の鋭さと勝負どころの瞬発力は豹(ひょう)みたいだな」
 日向は真顔で言った。
 比喩で茶化したわけではなく本音だった。
「ほら、またそうやって話をはぐらかす……」
「白作品を書こうと思ってる」
 日向は真樹を遮(さえぎ)り言った。
「白作品? なにそれ?」
 すかさず真樹が訊(たず)ねてきた。

(次回につづく)

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