第30話 磯川は、週刊誌のインタビューが仕組まれていたことを見抜き……

文字数 2,564文字

「部外者なんて、とんでもない。日向さんがいつも言ってます。磯川さんは小説家日向誠の生みの親だと。だから、『無間煉獄』を世に出せたのは磯川さんのおかげでもあるんです」
 君島の言っていることは間違いではないが、口がうま過ぎて心に響かない。
「『無間煉獄』の大ヒットは日向さんの実力と君島さんのサポートがあったからですよ」
 ふたたび磯川が謙遜した。
 注文を取りにきたスタッフに、君島がグラスのシャンパン、日向と磯川が生ビールを頼んだ。
「では、生みの親と育ての親が揃ったところで、乾杯といきましょう」
 君島が掲げるシャンパングラスに、日向と磯川は生ビールのタンブラーを触れ合わせた。
「日向先生。本日はインタビューに立ち会えず、大変失礼しました。『週刊マダム』の編集長に、きつく抗議しておきましたから、今後、このようなことがないように気をつけます」
 君島が神妙な面持(おもも)ちで頭を下げた。
「今日はおめでたい場だから、その話はもういいよ。自分の主張もできたし、結構楽しかったしさ」
 日向は笑い飛ばした。
「日向先生にそう言って貰えると助かります。そう言えば、今日、女優の小林美鈴さんとの対談のオファーがあったんですよね?」
 君島が思い出したように言った。
「対談というか、バトルだよ。俺と小林さんを見せ物にして、売り上げを伸ばしたいんだろうね」
 腹立ちはなかった。
 タレント同士を対立させて番組を盛り上げるやりかたは、テレビ業界ではよくある話だ。
 日向も所属タレントをブレイクさせるためなら、喜んで放送作家のシナリオに協力することだろう。
だが、日向は「週刊マダム」のテレビ的な演出に乗る気はなかった。
 芸人やバラエティアイドルは美味(おい)しい思いをするかもしれないが、作家にとってはマイナスにしかならない。
「週刊誌の編集者が考えそうなことですね。断ったんでしたよね?」
 君島が訊ねてきた。
「もちろん。アンチの女優とのバトルなんて、俺にはなんの得もないからさ」
 日向は言うと、つきだしのアーモンドを口に放り込んだ。
「日向先生、私なりに考えてみたんですが、逆利用しませんか?」
「逆利用? なにを?」
 日向は怪訝な顔を君島に向けた。
「敢(あ)えて、『週刊マダム』の戦略に乗っかるんですよ。小林美鈴さんは知名度抜群の大女優です。バトルという形でも、彼女と絡めるのは日向先生にとっても宣伝効果を考えるとかなりのプラスです。日向先生は弁も立ちますし、討論になってもマイナスの展開になるとは思えません。小林美鈴さんが非難すればするほど、『無間煉獄』の宣伝になります。どうです? いい方法だと思いませんか?」
 君島が身を乗り出した。
「いや、悪いけど対談は受けないよ。作家は芸能人と違って、名前は売れても顔は売れないほうがいいんだ」
 日向は迷わずに言った。
「なぜです?」
 君島が不思議そうな顔で訊ねてきた。
「作家がテレビや雑誌に出まくると、読者が小説を読んでいるときに顔が浮かぶから世界観が壊れるんだ。主人公が男性の場合も女性の場合も、このガングロ金髪が浮かんだら興ざめするからさ。たとえば、セクシーな女の子が主人公の漫画家が脂(あぶら)ぎったおやじだったら君島さんも萎えない?」
 日向は冗談めかして笑ったが、本音だった。
 いままでの闇社会をテーマにした作品なら日向の顔が浮かんでもダメージは少ないかもしれないが、純愛小説となると話は違ってくる。
「たしかに、萎えますね。でも、日向先生の場合はノワール作品なので、その風貌がマイナスに働くことはないでしょう。私を信じて、対談を受けてみませんか?」
 執拗に小林美鈴との対談を勧めてくる君島を見て、日向の心に疑念が過った。
もしかしたら、『週刊マダム』と君島は……。
「もう、そのへんにしませんか?」
 それまで黙っていた磯川が、穏やかな口調で口を挟んできた。
「え? なにをですか?」
 君島が訝(いぶか)しげに磯川に訊ねた。
「今回の件は、君島さんと『週刊マダム』のシナリオですよね?」
 日向は、弾かれたように磯川を見た。
 磯川は気づいていたのか?
「まさか。機を見るに敏……私は、流れに乗じて日向先生の知名度を上げようと閃(ひらめ)いただけです。仮に私のシナリオだったとしても、『無間煉獄』の部数が飛躍的に伸びるのは日向先生にとってプラスになるわけですから問題ないでしょう?」
 悪びれる様子もない君島の言動に、日向は確信した。
「ありますよ。有名女優との犬猿ネタで一時的に『無間煉獄』が売れても、それは日向誠の読者ではなくゴシップ好きな『週刊マダム』の読者です。週刊誌効果で部数が一万部伸びたとしても、その一万人の中で次の作品を買ってくれる人は百人がいいところでしょう」
 磯川が口調は穏やかながら、厳しい眼で君島を見据えながら反論した。
「百冊でも売れればプラスじゃないですか」
 間髪(かんはつ)をいれずに、君島も切り返した。
「いいえ、トータルでみればマイナスになります。これまでの四作品で日向さんの読者になった人達が、小林美鈴さんとのバトル対談の影響で離れる可能性があります。加えて、これから日向作品の読者になるかもしれない人達にも悪影響は及ぶでしょう。女性を冒涜する作品の是非を問う対談を女性誌でやるわけですから、読者のすべてが小林美鈴さんを支持すると考えて間違いありません。スキャンダラスな話題作りで『無間煉獄』の部数を一時的に伸ばすために、日向誠の作家生命を縮めるようなことは僕が許しません」
 自分のために他社の編集者にたいしてここまで……。
 磯川の言葉に、日向の胸は熱くなった。
 君島はもう反論することもなく、硬い表情でシャンパングラスを傾けていた。
「すみません。おめでたい場をシラケさせてしまいましたね。口直しに、改めて乾杯しましょう。私達、出版社は違っても日向号に乗る運命共同体ですから。では、日向号のさらなる躍進を願って乾杯!」
 磯川が何事もなかったように、笑顔でタンブラーを掲げた。
 日向は磯川のタンブラーにタンブラーを触れ合わせつつ、この恩を何倍にもして返すことを誓った。

(次回につづく)

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