第33話 テレビでの発言を知った樹川書店の編集者の反応は……
文字数 2,943文字
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日向は待ち合わせ場所の青山の骨董(こっとう)通り沿いのカフェに入ると、パリの街角にあるような白と赤を基調とした店内に視線を巡らせた。
窓際の席に座る、サイドバックに流した髪に薄いグレイのサングラスをかけた、業界風の男……池内が立ち上がった。
「遅れてすみません! 思いのほか道が混んでいて……」
日向は腕時計に視線を落としながら、池内の席に駆け寄った。
約束の午後二時を五分過ぎていた。
「こちらこそ、お急がしいところをすみません。さっきまでテレビで見ていた人が目の前にいるのは、なんだか妙な感じがしますね」
池内が苦笑しながら、正面の席に右手を投げた。
「同じものを」
日向は池内のテーブルに置いてあるホットコーヒーを指し、女性スタッフに告げると席に着いた。
「何時くらいから、スタジオ入りしているんですか?」
池内が訊ねてきた。
本当は、別のことを口にしたいに違いない。
「俺はメイクなしなので、オンエアの一時間前……だいたい、九時くらいですかね」
「そんなに早く入るんですか?」
「台本のチェックもありますし所属タレントがいますから、各部署のプロデューサーに挨拶もありますので」
「サンデーフラッシュ」の出演日にはマネージャーに変身し、ドラマ制作部のプロデューサー達に宣材写真を持参して挨拶回りをするので、三十分は費やしてしまう。
「タレントの挨拶回りも、やってるんですか!? そんなの、マネージャーにやらせればいいじゃないですか?」
池内が驚きの表情で言った。
日向が挨拶に現れると、どのプロデューサーもいまの池内と同じ表情をする。
「一時間後に『サンデーフラッシュ』の生放送に出演する、作家であり所属タレントの事務所社長が自ら挨拶に行くから効果があるんですよ」
日向は涼しい顔で言った。
「さすがは、実業家の一面を持っている日向さん……いや、作家の一面を持っているといったほうがしっくりきますかね?」
池内が冗談めかして言いながら、コーヒーカップを傾けた。
「それより、池内さん、俺に言いたいことありますよね? たとえば、生放送で次作は恋愛小説を執筆予定だとフライング発言したこととか」
日向は、自ら本題を切り出した。
避けては通れない話題なのだ。
「実は、そうなんです。営業部と販売部もテレビを見ていたようで、説明を求められて大変でした」
池内が苦笑いした。
予想通り、「樹川書店」ではちょっとした騒ぎになっているようだった。
「やっぱり『樹川書店』的には、日向誠の恋愛小説は反対なんですね?」
日向が訊ねると、池内が遠慮がちに頷いた。
「池内さんも同じ考えですか?」
日向は質問を重ねた。
営業部や販売部も無視することはできないが、作家にとっては担当編集者の意見が一番大事だ。
「……僕個人は、正直なところ、九対一で反対です」
硬い表情で、池内が言った。
「想像はつきますが、理由を聞かせてもらってもいいですか?」
「はい。まず、アンダーグラウンドのジャンルで書いた日向作品がデビューから五作連続でベストセラーとなり、とくに四作目の『無間煉獄』が十八万部、五作目の『メシア』は二十万部超えの大ヒットとなってます。この好調な流れで、敢えて初めての恋愛小説で冒険する必要があるのか? というのが本音です」
池内の言いぶんは、もっともだった。
出版社側が確実に利益の見込める作品を刊行したいというのは、当然の意見だ。
「でも、一割は賛成してくれているんですね。賛成の理由も、聞かせてもらっていいですか?」
「僕は物事に百パーセントと〇パーセントはないと思っている派ですから。もしかしたら、日向さんの恋愛小説が大ヒットするかもしれない、という気持ちもあります。ですが、それはあくまでも一割の可能性であり、大ヒットの可能性が九割あるアンダーグラウンド小説を書いていただきたいというのが本音です」
池内が、それまでの遠慮がちな物言いから一変してきっぱりと言った。
「出版社的にも池内さん的にも、その選択は理解します。でも、俺は、恋愛小説がこれまでの作品の中で一番売れるような予感がするんですよね」
日向も、自分の思いをはっきりと口にした。
「根拠はありますか?」
すかさず、池内が訊ねてきた。
「正直、ありません。根拠のない自信というやつです」
日向は即答し、運ばれてきたコーヒーを口にした。
「根拠のない自信ですか……」
池内がふたたび苦笑した。
「だめですか?」
日向はストレートに訊ねた。
「だめということはないのですが、ヒットが読める作品で勝負させていただきたいです」
池内が、懇願の瞳で日向をみつめた。
「俺は、『樹川書店』で未知の可能性に賭けてみたいです」
日向も譲らなかった。
恋愛小説を書くなら、「樹川書店」が読者層的に一番向いていた。
「できるなら、未知の可能性に賭けるのはほかの出版社でお願いしたいです。すみません、こんな言いかたしかできなくて」
池内が申し訳なさそうに言った。
「恋愛小説を書いて、一番ヒットしそうな出版社が『樹川書店』なんです。恋愛小説で勝負させてもらえませんか?」
日向は執拗(しつよう)に食い下がった。
「因みに、どういった内容ですか?」
池内が訊ねてきた。
「ざっくりと書いたプロットです」
日向は立ち上げたノートパソコンの「願い雪プロット」のフォルダをタップして、池内の前に置いた。
小学生の少女が春の公園の茂みで、蹲(うずくま)り鳴いている子犬をみつける。
子犬は前肢(まえあし)を怪我(けが)して出血していた。
すみません! 誰かいませんか!?
少女は子犬を抱き上げ、大声で呼びかけた。
少女が戸惑い動揺していると、季節外れの雪が降ってきた。
少女は幼い頃に大好きだった祖母から聞かされた話を思い出した。
春の日に降る雪に願い事をすると必ず叶えてくれるからね。
祖母の言葉を信じて、少女は空から舞い落ちる雪に願った。
神様……お願いします! この子を助けてください!
少女は、何度も何度も天を仰いで叫んだ。
どうしたの?
誰かが少女に声をかけてきた。
少女は声のほうを振り返った。
高校生の青年が歩み寄ってきた。
見せてごらん。
青年は子犬を抱き上げ、傷口をチェックした。
木の枝で、引っ搔いたみたいだね。
この子死なない?
大丈夫。傷はそんなに深くないから。僕の家に連れて行って治療するから、一緒においで。
お兄ちゃんの家に?
うん。僕の家は動物病院なんだ。だから安心して。
青年が優しく微笑(ほほえ)んだ。
少女は小雪(こゆき)、青年は優斗(ゆうと)。子犬はミカエル。怪我の治ったミカエルを小雪は飼うことにした。
幼い頃に両親を交通事故で失い叔母夫婦に育てられた小雪にとって、ミカエルはかけがえのない親友になった。
小雪とミカエルと青年は、公園で遊ぶことが日課になった。
出会って一ヶ月が過ぎたとき、いつものように公園に行くと少女が沈んだ顔でベンチに座っていた。
(次回につづく)
日向は待ち合わせ場所の青山の骨董(こっとう)通り沿いのカフェに入ると、パリの街角にあるような白と赤を基調とした店内に視線を巡らせた。
窓際の席に座る、サイドバックに流した髪に薄いグレイのサングラスをかけた、業界風の男……池内が立ち上がった。
「遅れてすみません! 思いのほか道が混んでいて……」
日向は腕時計に視線を落としながら、池内の席に駆け寄った。
約束の午後二時を五分過ぎていた。
「こちらこそ、お急がしいところをすみません。さっきまでテレビで見ていた人が目の前にいるのは、なんだか妙な感じがしますね」
池内が苦笑しながら、正面の席に右手を投げた。
「同じものを」
日向は池内のテーブルに置いてあるホットコーヒーを指し、女性スタッフに告げると席に着いた。
「何時くらいから、スタジオ入りしているんですか?」
池内が訊ねてきた。
本当は、別のことを口にしたいに違いない。
「俺はメイクなしなので、オンエアの一時間前……だいたい、九時くらいですかね」
「そんなに早く入るんですか?」
「台本のチェックもありますし所属タレントがいますから、各部署のプロデューサーに挨拶もありますので」
「サンデーフラッシュ」の出演日にはマネージャーに変身し、ドラマ制作部のプロデューサー達に宣材写真を持参して挨拶回りをするので、三十分は費やしてしまう。
「タレントの挨拶回りも、やってるんですか!? そんなの、マネージャーにやらせればいいじゃないですか?」
池内が驚きの表情で言った。
日向が挨拶に現れると、どのプロデューサーもいまの池内と同じ表情をする。
「一時間後に『サンデーフラッシュ』の生放送に出演する、作家であり所属タレントの事務所社長が自ら挨拶に行くから効果があるんですよ」
日向は涼しい顔で言った。
「さすがは、実業家の一面を持っている日向さん……いや、作家の一面を持っているといったほうがしっくりきますかね?」
池内が冗談めかして言いながら、コーヒーカップを傾けた。
「それより、池内さん、俺に言いたいことありますよね? たとえば、生放送で次作は恋愛小説を執筆予定だとフライング発言したこととか」
日向は、自ら本題を切り出した。
避けては通れない話題なのだ。
「実は、そうなんです。営業部と販売部もテレビを見ていたようで、説明を求められて大変でした」
池内が苦笑いした。
予想通り、「樹川書店」ではちょっとした騒ぎになっているようだった。
「やっぱり『樹川書店』的には、日向誠の恋愛小説は反対なんですね?」
日向が訊ねると、池内が遠慮がちに頷いた。
「池内さんも同じ考えですか?」
日向は質問を重ねた。
営業部や販売部も無視することはできないが、作家にとっては担当編集者の意見が一番大事だ。
「……僕個人は、正直なところ、九対一で反対です」
硬い表情で、池内が言った。
「想像はつきますが、理由を聞かせてもらってもいいですか?」
「はい。まず、アンダーグラウンドのジャンルで書いた日向作品がデビューから五作連続でベストセラーとなり、とくに四作目の『無間煉獄』が十八万部、五作目の『メシア』は二十万部超えの大ヒットとなってます。この好調な流れで、敢えて初めての恋愛小説で冒険する必要があるのか? というのが本音です」
池内の言いぶんは、もっともだった。
出版社側が確実に利益の見込める作品を刊行したいというのは、当然の意見だ。
「でも、一割は賛成してくれているんですね。賛成の理由も、聞かせてもらっていいですか?」
「僕は物事に百パーセントと〇パーセントはないと思っている派ですから。もしかしたら、日向さんの恋愛小説が大ヒットするかもしれない、という気持ちもあります。ですが、それはあくまでも一割の可能性であり、大ヒットの可能性が九割あるアンダーグラウンド小説を書いていただきたいというのが本音です」
池内が、それまでの遠慮がちな物言いから一変してきっぱりと言った。
「出版社的にも池内さん的にも、その選択は理解します。でも、俺は、恋愛小説がこれまでの作品の中で一番売れるような予感がするんですよね」
日向も、自分の思いをはっきりと口にした。
「根拠はありますか?」
すかさず、池内が訊ねてきた。
「正直、ありません。根拠のない自信というやつです」
日向は即答し、運ばれてきたコーヒーを口にした。
「根拠のない自信ですか……」
池内がふたたび苦笑した。
「だめですか?」
日向はストレートに訊ねた。
「だめということはないのですが、ヒットが読める作品で勝負させていただきたいです」
池内が、懇願の瞳で日向をみつめた。
「俺は、『樹川書店』で未知の可能性に賭けてみたいです」
日向も譲らなかった。
恋愛小説を書くなら、「樹川書店」が読者層的に一番向いていた。
「できるなら、未知の可能性に賭けるのはほかの出版社でお願いしたいです。すみません、こんな言いかたしかできなくて」
池内が申し訳なさそうに言った。
「恋愛小説を書いて、一番ヒットしそうな出版社が『樹川書店』なんです。恋愛小説で勝負させてもらえませんか?」
日向は執拗(しつよう)に食い下がった。
「因みに、どういった内容ですか?」
池内が訊ねてきた。
「ざっくりと書いたプロットです」
日向は立ち上げたノートパソコンの「願い雪プロット」のフォルダをタップして、池内の前に置いた。
小学生の少女が春の公園の茂みで、蹲(うずくま)り鳴いている子犬をみつける。
子犬は前肢(まえあし)を怪我(けが)して出血していた。
すみません! 誰かいませんか!?
少女は子犬を抱き上げ、大声で呼びかけた。
少女が戸惑い動揺していると、季節外れの雪が降ってきた。
少女は幼い頃に大好きだった祖母から聞かされた話を思い出した。
春の日に降る雪に願い事をすると必ず叶えてくれるからね。
祖母の言葉を信じて、少女は空から舞い落ちる雪に願った。
神様……お願いします! この子を助けてください!
少女は、何度も何度も天を仰いで叫んだ。
どうしたの?
誰かが少女に声をかけてきた。
少女は声のほうを振り返った。
高校生の青年が歩み寄ってきた。
見せてごらん。
青年は子犬を抱き上げ、傷口をチェックした。
木の枝で、引っ搔いたみたいだね。
この子死なない?
大丈夫。傷はそんなに深くないから。僕の家に連れて行って治療するから、一緒においで。
お兄ちゃんの家に?
うん。僕の家は動物病院なんだ。だから安心して。
青年が優しく微笑(ほほえ)んだ。
少女は小雪(こゆき)、青年は優斗(ゆうと)。子犬はミカエル。怪我の治ったミカエルを小雪は飼うことにした。
幼い頃に両親を交通事故で失い叔母夫婦に育てられた小雪にとって、ミカエルはかけがえのない親友になった。
小雪とミカエルと青年は、公園で遊ぶことが日課になった。
出会って一ヶ月が過ぎたとき、いつものように公園に行くと少女が沈んだ顔でベンチに座っていた。
(次回につづく)