第5話 牙を抜かれ毒を失った小説? それと文学賞に関係があるのか

文字数 3,692文字

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「磯川さんの言ってる意味がわからないんですけど? どうして俺が『未来文学新人賞』を受賞したら、一作だけで世間から忘れ去られるような鳴かず飛ばずの作家になるんですか? この賞は新人作家の登竜門と言われてて、受賞者から数多くのベストセラー作家を輩出してますよね?」
 日向は素朴な疑問を口にした。
「菊池啓(きくちけい)さん、川島(かわしま)かおりさん、日野聡(ひのさとし)さん、村山凛(むらやまりん)さん、藤堂修一(とうどうしゅういち)さん。『未来文学新人賞』からは、日向さんの言うように多くのベストセラー作家が生まれています」
「ですよね? だったら、どうしてそんなことを言うんですか?」
「日向さん、『アカデミックプロモーション』という芸能プロダクションの、『国民的プリンセスコンテスト』を知っていますか?」
 不意に、磯川が訊(たず)ねてきた。
「もちろん、知ってますよ。俺も、芸能プロをやってるので」
「では、質問します。これまでに三十人を超えるプリンセスと準プリンセスが生まれていますけど、いまでも映画やドラマのメインキャスト級で活躍している女優さんを調べてみたら、プリンセス受賞者は一人しかいないのにたいし、準プリンセス受賞者は十三人もいます。ご存じでしたか?」
 磯川が炭酸水をグラスに注ぎながら訊ねてきた。
「そうですね。『アカデミックプロ』の『国民的プリンセスコンテスト』出身の女優は、準プリンセスのほうが売れるというのは有名な話です」
 日向はそう言うと、ブラックのホットコーヒーを喉に流し込んだ。
「その理由はなんだと思いますか?」
 磯川がワクワクした顔で質問を重ねた。
 クールなビジネスマンに見えたり、無邪気な少年に見えたり……磯川には、対照的な二つの表情がある。
「運と才能じゃないですか? 芸能界で売れるには、この二つが重要ですから」
「でも、その理由だとプリンセスの人に運と才能がなくて、準プリンセスの人にだけ運と才能があるということになります。それはそれで、おかしな話ですよね?」
「あ、たしかに! じゃあ、なんでだろう?」
 日向は首を捻(ひね)った。
「実は、以前に『アカデミックプロ』のモデルさんのエッセイを担当したことがあるんですけど、マネージャーと飲みに行ったときに興味深い話を聞きました。『アカデミックプロ』には、プリンセスを受賞した女優は品格を保つために正統的な仕事しか受けず、準プリンセスを受賞した女優は、悪役でも汚れ役でも個性を伸ばすこと優先の仕事を受けるという社長の方針があるということでした」
 磯川が、相変わらずワクワクしたような表情で言った。
「そうだったんですね。初めて知りました! でも、それと俺の『未来文学新人賞』の話に関係があるんですか?」
 磯川の話の意図が摑(つか)めずに、日向は訊ねた。
「『アカデミックプロ』にたとえれば、『未来文学新人賞』の受賞者はプリンセスで、ウチの賞の受賞者は準プリンセスです。つまり、日向さんが文芸第二部でデビューしてしまえば、『未来文学新人賞』の受賞者に相応(ふさわ)しい正統派の小説、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の小説を書くように教育されます。日向さんが『阿鼻叫喚』で書いたような残酷な描写、下品な比喩、劇画的な文章はすべて否定されてしまうでしょう。牙を抜かれ毒を失った小説は、安心して読める物語に仕上がり文章も美しくなっているでしょうけれど、刺激がなく印象に残らない作品になると思います。受賞作なら興味本位で買ってくれる人も多いでしょうが、この作家の二作目も読みたいと思わせるような魅力はなくなるでしょうね」
「そんなに口出ししなきゃならないような作品なら、受賞させないんじゃないですか?」
 日向は一笑(いっしょう)に付した。
「いえ、編集者は手直しのいらない完成された作品より、未完成な作品を好む傾向にありますから」
 磯川が薄笑いを浮かべながら言った。
「じゃあ、文芸第二部と磯川さんのところは、なにが違うんですか?」
「さっきも言いましたが、文芸第三部は『アカデミックプロ』の準プリンセスと同じで、作家の個性を最優先に伸ばすことを考えます。日向さんの短所には眼を瞑(つむ)り、長所を伸ばします。もちろん誤字脱字は直しますが、日向さん独特の癖のある過激な文章や品性に欠ける下劣な比喩についてはそのまま刊行します。もちろん、批判が殺到するでしょう。批評家からは酷評もされるでしょう。ですが、批判と同じくらいに称賛されるでしょうし、酷評と同じくらいに絶賛されるでしょう。日向誠という作家は誰からも愛されるタイプではなく、大嫌いというアンチと大好きという熱烈なファンに分かれるタイプの作家です。ウチの文芸第三部からデビューすれば、日向さんは間違いなく文壇に新風を吹き込むことでしょう」
 磯川が楽しそうに言った。
 日向は驚きを隠せなかった。

 ――日向誠という作家は、誰からも愛されるタイプではなく大嫌いというアンチと大好きという熱烈なファンに分かれるタイプの作家です。

 磯川の言う日向誠の作家像は、百人が異論を口にしない完成度の高い小説より、九十九人が批判しても一人が中毒になる麻薬のような小説を書きたいという、日向の目指す作家像と一致していた。
 だからと言って、すぐに「未来文学新人賞」の最終選考を辞退する気にはなれなかった。
「なんだか素直に喜べない複雑な気分ですが、褒(ほ)めてくれてありがとうございます。でも、少し考える時間をください」
「もちろんです。ただ、あまり長くはお待ちできません。『未来文学新人賞』の受賞者が決定するのは十日後です。日向さんが辞退するなら、それまでに決めなければなりません。もし受賞してから気が変わっても、さすがにウチに鞍替(くらが)えさせるわけにはいきませんからね。なので、一週間で決断してください。ベストセラー作家になりたいなら、『未来文学新人賞』よりウチでデビューすることをお勧めしますけどね」
 磯川が憎らしいほど自信満々に言い残し、伝票を手に取り席を立った。
「ありがとうございました。一週間で結論を出してご連絡します」
 日向も席を立ち、頭を下げた。
 磯川が足を止め、振り返った。
「日向さん以外の候補者の四人は、多分、喉から手が出るくらいに賞金の一千万円を必要としていると思います。ですが、既に事業で成功をおさめている日向さんはそこまで必要としていませんよね? 団子はほかの四人に譲って、日向さんは花を取ってはいかがですか? では、ご連絡をお待ちしています」
 磯川の遠ざかる背中を見送る日向は、軽く太腿(ふともも)を抓(つね)った。
 どうやらこの夢みたいな展開は、現実のようだった。
                      ☆
「ここでいいです」
 南青山の住宅街――レンガ造りの外壁のマンションの前でタクシーを降りた日向は、エントランスに足を踏み入れた。
 二つのオートロックを抜け、エレベーターに乗った。
 真樹と結婚した十一年前……十九歳の頃から住んでいる、このマンションの住人の中で、日向は一番の古株になっていた。
 同じ棟に三部屋借りており、八階が夫婦の住居、二階が真樹のアトリエ、明かり取りがある地下が日向の書斎となっていた。
 エレベーターを八階で降りた日向は、回廊を時計回りに歩き自宅のドアの前で立ち止まると、高揚している気持ちを静めるように深呼吸を繰り返した。
 真樹にはまだ、磯川の話をしていなかった。
 電話ではなく、直接、顔を見て話したかったのだ。
 昔から、迷ったときは真樹に相談していた。
 真樹には、将来を見通す不思議な力があった。
 それは超能力という意味ではなく、真樹には世の中の流れやその人間の持つ資質を見通す力があった。
 真樹が日向に小説家になることを勧めてきたときは一笑に付したが、いままさに彼女の言葉通りになろうとしていた。
 日向はインターホンを鳴らし、モニターカメラに顔を向けた。
 ほどなくして解錠の音に続きドアが開いた。
「『未来文学新人賞』の三次審査通過おめでとう!」
 弾ける笑顔で言いながら、真樹がカバンを受け取った。
 百六十五センチの長身、セミロングの髪、彫の深い目鼻立ち、茶色がかった瞳……真樹は日本人離れしたビジュアルで、よく欧米系の親がいると間違われた。
 真樹は見た目でよく外国人から道を訊ねられるが、英語ができないので答えられないのがストレス、というのが口癖だ。
 だが、そう嘆きながら一向に英語を覚えようとしないところも彼女らしかった。
 真樹は趣味の絵を描くときはアトリエに籠りきりになり、三食抜いてトイレにも行かずに没頭するほどの集中力を発揮するが、興味のないことには一秒たりとも割かない極端な性格をしていた。
 言ってみれば、真樹は典型的な芸術家肌だった。

(次回につづく)

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