第32話 出版社に相談する前にテレビで恋愛小説を書くと言ったが――

文字数 2,959文字

「お疲れ様です。今週も、イジられていましたね」
 日向が座椅子に座ると、桐島真理(きりしままり)が紙コップのコーヒーと預けていたスマートフォンをテーブルに置きながら言った。
「ありがとう。逆に助かってるよ。俺らは芸人さんと違って話術がないからね。それより、明日香(あすか)のほうに行っていいよ。俺はタクシーで移動するから」
 日向は言った。
 明日香は「日向プロ」所属のグラビアアイドルで、今日は「週刊プレイギャング」の撮影日だった。
 十五件のメールを受信していた。
 生放送の番組に出演すると、一年以上連絡を取っていなかった者達から多くのメッセージが入ってくる。
「カメラマンの都合で入りが二時間遅くなりましたから、社長を次の現場に運ぶ時間はあります」
 真理が言った。
「そうか。じゃあ、メールチェックして出るから、もう少し待ってて」
 日向は言いながら、気になるメッセージだけを開いた。
 
 どう見ても小説家には見えねえな 朝から場末のホストがテレビに出てるって思われてるかもな
店に顔を出せよ 暇だったら、新刊ヒットを祝ってやるよ

 大東(だいとう)からだった。
 素直ではないが、彼らしい気遣いだ。
 
 店が暇じゃないときなんてあったっけ?
 九時過ぎに行くよ

 日向は大東にメールを返した。
 
 お疲れ様です。「サンデーフラッシュ」見ています。
 恋愛小説の執筆、ついに決意したのですね!
 常に挑戦を続ける日向さんの姿勢を尊敬します。
 初の恋愛小説、愉しみにしています!

 磯川からもメールが来ていた。
磯川には、いつか恋愛小説を書きたいという思いを打ち明けていた。
 
 ――日向さんなら、黒も白も関係なく心に響く物語を書けると信じています。

 磯川は驚くことも止めることもなく、日向の眼をみつめながら力強く頷いた。
 
ありがとう!
その件で相談があるから、久しぶりに飲もう
 急だけど今夜はどう?

日向は磯川にメールを返した。
『無間煉獄』、『メシア』と「日文社」以外での出版が続いていたが、磯川とはマメに連絡を取り合っていた。
磯川は作家、日向誠の産みの親であり、同志でもあった。
「じゃあ、車を正面玄関に……」
真理の声に、ノックの音が重なった。
「お疲れ様でした~」
 真理がドアを開くと、番組チーフプロデューサーの稲葉(いなば)が作り笑顔で現れた。
 日向は本音の見えない稲葉のようなタイプが苦手だった。
「いやぁ、やっぱり、日向先生は根っからのエンターテイナーですねぇ。今日も、絵になってましたよ! 日向先生が座っているだけで華があるというか、説得力があるというか……とにかく、準レギュラーを引き受けていただき感謝しています。改めて、ありがとうございます」
 稲葉が恭(うやうや)しく頭を下げた。
 嫌な予感がした。
 稲葉がおべっかを使うのは珍しくないが、今日は度が過ぎている。
「いえいえ、私の著書もPRしてもらっていますから助かっています」
 日向は笑顔で言いながら、様子を窺(うかが)った。
「なにをおっしゃいます! ウチのほうこそ、日向先生のおかげで番組が盛り上がり大助かりです。そこで、折り入って日向先生にご相談したいことがあるのですが……」
 嫌な予感に拍車がかかった。 
「なんでしょう?」
「これ、来月に企画している特番のロケですが……」
 稲葉は言いながら、A4の用紙を日向に差し出してきた。
 
【特番企画】
『ベストセラー作家、日向誠率いる歌舞伎町(かぶきちょう)ホスト軍団とカリスマキャバ嬢、星乃(ほしの)きらり率いる歌舞伎町キャバ嬢軍団、フィーリングカップル五対五恋愛リアリティショーin鬼怒川(きぬがわ)温泉』

「もしかして、このロケに参加してほしいっていうことですか?」
嫌な予感は、現実になりつつあった。
「参加どころか、日向先生には男性軍のリーダーを務めていただきたいと思います」
「リーダー? いったい、なにをするロケですか?」
予想はついたが、日向は訊ねた。
「男性軍と女性軍が二泊三日の間に親交を深め、何組のカップルが成立するかというドキュメンタリータッチな大人の恋愛企画です!」
 稲葉が自信満々に言った。
 なにがドキュメンタリータッチだ。
 ようするに、温泉旅行でホストがキャバ嬢を口説く番組で男性軍のリーダーを務めろということだ。
「ご安心ください。日向先生の顔に泥を塗(ぬ)るような真似(まね)はしませんから」
 稲葉が意味深(いみしん)に言った。
「どういう意味ですか?」
「ここだけの話ですが、芽衣(めい)というキャバ嬢が読書好きで、日向先生の大ファンなんです。日向先生が口説けば、一発で陥落ですよ」
 稲葉が下卑(げび)た笑いを浮かべながら言った。
「そういうの、ヤラセっていうんじゃないんですか?」
「ご安心ください。彼女が日向先生のファンだと知ったのはキャスティングしたあとなので、これは仕込みではありません。つまり、ヤラセではないということです」
 稲葉が胸を張った。
「そうだとしても、この企画には参加できません。私、今月一杯で『サンデーフラッシュ』の準レギュラーを降りるつもりです」
「えっ……」
 稲葉が絶句した。
 ドアのそばで話を聞いていた真理も、驚いた顔で振り返った。
 近いうちに真理にも降板の意思を打ち明けるつもりだったが、稲葉に特番の企画を見せられたことで、予定よりも早く口にしてしまった。
 面白さと話題優先のバラエティ番組で色物タレントの烙印が押される前に、身を引いたほうが賢明だと判断したのだ。
「またまた、日向先生、冗談がきついですよ~」
 稲葉が我を取り戻し、揉み手をしながら言った。
「いえ、冗談ではありません。急ですみません。今月一杯が難しいということでしたら、そちらのキリのいいところまでは出演させていただきます」
 日向の都合で番組サイドに迷惑をかけるわけにはいかないので、必要とあらば来月一杯くらいまではオファーを受けるつもりだった。
「あの、番組的になにか失礼がありましたでしょうか? 改善していきますので、教えてください」
 真剣な顔で訊ねてくる稲葉に、日向は噴き出しそうになった。
 いま手にしている企画書が問題だということに、稲葉はまったく気づいていない。
「いえ、こちら側の都合ですから。最近、小説連載のオファーが増えてきて……すみません、勝手な理由で」
 日向は頭を下げた。
「サンデーフラッシュ」が悪いわけでもないので、降板を決意した本当の理由は言わなかった。
「残念です。日向先生のように作家さんでこんなにインパクトがあって弁が立つ人はなかなかいませんから……」
 本当に残念そうに、稲葉がうなだれた。
 番組が日向のキャラクターを押し出そうとすればするほど、暗黒小説以外を刊行するときマイナスになる可能性があった。
「すみません。短い期間でしたが、いい経験でした。もし、またの機会があればよろしくお願いします。では、次の打ち合わせがありますので失礼します」
 日向は腰を上げもう一度頭を下げると、真理を促し楽屋を出た。

(次回につづく)

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