第47話 新担当編集者と磯川を、つい比べてしまう日向だが……

文字数 2,620文字

「磯川さんなら、たしかにそうでしょう。だからこそ、日向先生の担当を外れることになったんじゃないですか?」
「どういう意味だ?」
 早瀬の婉曲(えんきょく)な皮肉に、日向は気色(けしき)ばんだ。
「お気を悪くしたなら謝ります。ですが、磯川さんのやりかたでは、これからの時代は日向先生への風当たりが強くなります。それに、日向先生の過激さは魅力的な反面、読者を選んでしまいます。マニアックな作品しか書けない作家さんなら別ですが、日向先生はメジャーな作品も書けるということを『願い雪』の大ヒットで証明しました。僕を信じて、もう一つ上のステージを目指してみませんか?」
 早瀬が自信満々の表情で言った。
「白の読者のために文章をソフトにすると、物足りなく感じて黒の読者は離れてしまう。そして、文章をソフトにしても刺激が強過ぎて白の読者も離れてしまう。二兎(と)を追う者は一兎も得ず、だよ」
 日向は怒りを鎮めて、冷静な口調で説明した。
 ここで早瀬を怒鳴りつけても仕方がない。
「なにを言ってるんですか! 日向先生は、白日向作品、黒日向作品で既に二兎を得ているじゃないですか! 並みの作家と、不世出の天才作家を比べるわけにはいきません」
 すかさず、早瀬が日向を持ち上げた。
 口先だけというのが透けて見える男……磯川とは、すべてにおいて正反対の男だ。
「それは、二兎を全力で追った場合だ」
「え? どういう意味ですか?」
「白も黒も手を抜かずに全身全霊をかけて書いたから、二兎を得ることができたのさ。早瀬君が言うようなやりかたでは、最悪、二兎とも逃してしまう。ということで、君の提案には乗れない。『絶対犯罪』は、連載当時のままで行くから。悪いな。読者をがっかりさせたくないから」
 日向は、早瀬を見据えて言った。
「すみません。本当のことを言います」
 早瀬は言いながら、書類鞄からファイルを取り出した。
「これを、見てください」
 早瀬が日向にファイルを差し出してきた。

(青少年の犯罪心理を助長するような書籍を置くなと、お客様からのクレームが殺到しています)大星堂(たいせいどう)書店 日立店

(中高生が手に取れる書店に、日向先生の小説を平積みにするのは相応しくないのではないかと、PTA団体から抗議のメールが入りました)葉山(はやま)書店 逗子(ずし)本店

(差別用語と暴力描写に満ちた書籍を取り扱う書店にたいして不買運動を行います、というようなメールが月に何件も入ります)明宝堂(めいほうどう)書店 札幌店

(教育書を扱うスペースで、女性蔑視をするような作家の本を堂々と置くのは大問題ではありませんか? との苦情が人権団体から寄せられています)椿屋(つばきや)書店 武蔵小金井(むさしこがねい)店

 ファイルには、書店からの苦情のメールをプリントアウトしたものが二十枚ほど入っていた。
「日向先生にはお伝えせずに対処しようかと思っていたんですが、ウチのホームぺージにも毎日のように読者の方からのお叱りメールが入っていまして……」
 早瀬が、言いづらそうに切り出した。
「何件くらい入ってるの?」
 日向は訊ねた。
「月に多いときで、二十件以上入ります」
「二千部しか売れていない本なら多いかもしれないけど、二十万部売れている本ならそれくらいくるんじゃないの?」
 日向は、ため息を吐きながら言った。
 日向作品についてのクレームは、デビュー当時から入っていたはずだ。
 日向の耳に入らなかったのは、磯川が大事(おおごと)にせずに対処していたからだろう。
 つまり、日向の筆が鈍らないように、余計な雑音をシャットアウトしてくれていたのだ。
「それはそうですが、書店のほうからもこれだけの苦情が入っていますし、もし、日向先生の作品を並べないなんて言い出したら大変だと思い、描写に関してのご相談をさせていただきました。もちろん、白日向作品の読者を取り込もうという考えは本当です。僕としては、今回の提案で一石二鳥を狙ったつもりなのですが……」
 早瀬が俯(うつむ)き、唇を嚙んだ。
 
 保身だろ?

 口には出さなかった。
 口に出したところで、話の通じる相手ではない。
 早瀬には、日向の作家性などどうだっていいのだ。
 彼の頭にあるのは、自分の担当作家が問題を起こさないかどうかだけだ。
 もし、担当作家が人権団体や教育委員会に版権回収の訴訟など起こされてしまったら、経歴に傷がついてしまうと危惧(きぐ)しているのだろう。
「売れれば売れるほど、クレームも増えるものさ。アンチが多いのも叩(たた)かれるのも、日向作品の持ち味だ。俺の個性を理解してくれないか?」
 日向は、敢(あ)えてあっけらかんとした口調で言った。

 じゃあ、ほかの出版社で出すから。

 これ以上気分を害すると、そう口走ってしまいそうだった。
 いまの日向の作品なら、どこの出版社も競うようにほしがるだろう。
 だが、それはしたくなかった。
 日向は信じていた。
 磯川が戻ってくることを……。
「わかりました。編集長と相談しますから、いったん持ち帰らせてください。明日までには、ご連絡します。では、これで失礼します」
 早瀬が頭を下げ、書斎を出た。
 日向はため息を吐きながら、スマートフォンを手にした。
 検索エンジンに、日文映像・磯川と打ち込んだ。

『陽はまた沈む』(東郷真一原作)が、公開三十一日間で興行収入三十八億円、観客動員数二百七十万人を突破した。
 今年公開された邦画の興収でナンバー1となった。
 制作プロデューサーの磯川氏は、去年の年間邦画興収ナンバー2の『人情坂』(名倉さゆり)も手掛けていたヒットメーカーだ。
 磯川氏は系列会社の「日文社」から「日文映像」に転籍して三年間で、二本のヒット作を飛ばした。
 冬の時代と言われる邦画界で立て続けにヒット作を生み出す秘訣を、磯川氏に訊いてみた。

 磯川 秘訣なんてありません。映画化したら面白そうだな、と思った原作を企画会議にかけただけですよ。

「磯川さんは、相変わらずだな」 
 日向の口元が綻(ほころ)んだ。
 磯川の活躍は嬉しかった。
 だが、複雑な気持ちもあった。
「戻ってくるよね?」
 日向は、ネット記事に掲載された磯川のプロフィール写真に語りかけた。

(次回につづく)

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