第21話 テレビ番組の収録を終える日向を持っていた編集長の言葉は――

文字数 2,629文字

 日向は、自分の書きたいテーマより読者が求めているテーマを書く作家でありたかった。
「日向さんの懐の深さに救われました」
 森崎芳恵が、ばつが悪そうに言った。
「本当のことですから、気にしないでください」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて踏み込んだ質問をさせて頂きますね。『阿鼻叫喚』は熱烈なファンがいる一方、書評家やアンチの方々から手厳しいコメントも数多く寄せられています。日向さんは、インターネットのコメント欄を読まれたりするんですか?」
「ええ、読みますよ」
「正直、腹が立ったり落ち込んだりしますか?」
「いえ、それはないです。もちろん、嬉しくはないですけどね。批判するっていうことは読んでくれているわけですから読者です。だから、次はファンにしてやろうと燃えますね」
 日向は笑い飛ばした。
 その後、『阿鼻叫喚』が実話か否か、作家になって変わったこと、意識する作家、次作の構想、と流れるように質問が続いた。
「本日は興味深いお話をありがとうございました。最後に、恒例の締めの質問をさせて頂きます。作家日向誠の夢はなんですか?」
 森崎芳恵が、お決まりのセリフを口にした。
「私の夢は、ミリオンセラー作家になることです。そして、それは夢ではなく目標です」
「はいカットー! お疲れさまでしたー!」
 ディレクターの声がスタジオに鳴り響いた。
                      ☆
「小説バー」の収録を終えた日向は、次作の打ち合わせのために「テレビ関西」の近くのカフェラウンジに移動していた。
 椛もついてきたがっていたが、日向が強制的に帰した。
 あの調子で憎まれ口ばかり叩かれたら、打ち合わせどころではなくなる。
「いい収録でしたね。お疲れ様でした」
 磯川の隣に座る文芸第三編集部の編集長の羽田(はた)が、ビールのグラスを宙に掲げた。
「お疲れ様です」
 日向もビールのグラスを掲げ、羽田と磯川のグラスに触れ合わせた。
 収録終盤にスタジオに顔を出した羽田も、日向に一杯奢(おご)りたいと磯川との打ち合わせに参加することになったのだ。
「まだ三時なのに、お酒を飲むなんて背徳感がありますね」
 日向はグラスをみつめながら言った。
「作家の特権ですよ。サラリーマンと違って、売れる原稿さえ書いていれば朝から飲んでも誰からも責められませんから」
 羽田が上機嫌に言うと、喉(のど)を鳴らしながらビールを流し込んだ。
「なにかと理由をつけて、自分がお酒を飲みたいだけですから」
 磯川が茶々を入れてきた。

 ――ウチの編集長は仕事もできて作家さんからの評判もよく、酒さえ飲まなければ完璧な上司なんですけどね。

 磯川の苦笑いが脳裏に蘇った。
 磯川の話では羽田は、仕事中も水筒に入れた水割りを飲みながら原稿を読んでいるらしい。
 だが、羽田が編集長になってからの文芸第三編集部は、それまでの三倍の収益を上げるようになったという。
「まあ、否定はできないな」
 羽田はそう言うと、あっという間にビールを飲み干した。
「同じのにしますか?」
 すかさず磯川が訊ねた。
「いや、とりあえずいまはいい。日向さんに、大事な話があるからね」
 羽田が真顔で言った。
「改めて、『阿鼻叫喚』をウチで出してくれてありがとうございます。発売一ヶ月で五万部なんて、ここ数年ありませんでしたから」
 羽田が頭を下げた。
「いえいえ、磯川さんのおかげです。頭を上げてください」
 日向は慌てて言った。
「いえ、このまま一つお願いがあります」
 羽田が頭を下げたまま言った。
「なんですか?」
「単刀直入に言います。二作目は、表現をもうちょっとソフトにしていただきたいのですが……」
 羽田が申し訳なさそうに切り出した。
「え……。文芸第三編集部は、文芸第二編集部に比べて自由に書かせてくれると、磯川さんに聞いてましたけど。未来文学新人賞の最終候補を辞退してホームズ文学新人賞でデビューしたのも、俺の個性を殺さずに自由に書かせてくれるというのが決め手でした」
 日向は正直な思いを口にした。
「編集長、日向さんの言う通りです。日向さんの個性を殺しませんと、僕は約束しました。結果も出しているわけですし、いまさらそういうことを言われるのは納得できません」
 磯川が日向を擁護(ようご)した……というより、言葉通り納得できないといった感じだった。
「『阿鼻叫喚』の表現について、人権団体からクレームがきているんだよ」
 羽田がため息を吐きながら、磯川に言った。
「どういうクレームですか?」
 磯川が訊ねた。
「『阿鼻叫喚』の闇金業者が取り立てのときに言う、『てめえみたいな貧乏人は首がないのと同じだ。つまり、貧乏人は死人と同じだ』と、『お前みたいな不細工な女とやってやるだけ感謝しろ』というセリフが、人権を蹂躙(じゅうりん)していると言ってきてね。一ヶ月以内に『阿鼻叫喚』を書店から回収しなければ訴訟を起こすと脅(おど)してきたんだ。なんとかそれは説得して納得して貰ったが、二作目にも同じ感じの描写があれば今度こそ裁判沙汰になるだろう。日向さん。僕は『阿鼻叫喚』の容赦(ようしゃ)ない描写が大好きです。ただ、出版差し止めみたいな事態になったら本末転倒なので、二作目は描写をソフトにしてほしいとお願いした次第です」
 羽田が顔を上げ、日向をみつめた。
「編集長に迷惑かけるわけにはいかないので……」
「裁判上等、受けて立ちましょう」
 日向を遮り、磯川が言った。
「どういう意味だ?」
 羽田が怪訝な顔で磯川に訊ねた。
「言葉のままですよ。日向さんみたいに突き抜けた小説を書く作家さんに丸くなれ、というのは致命傷です。それに、そういう輩は一つの要求を受け入れたら味をしめて、次、となります。編集長。僕が入社した頃に、なんと言ったか覚えてますか? 編集者の仕事は、作家さんに最高の物語を書いて貰える環境作りをすることだ。そのためには、どんな犠牲をも厭(いと)わない精神でいなさい。そう言われました。だから僕は裁判沙汰になろうとも、日向さんにいまのままのスタイルで二作目も書いて貰います」
 磯川が羽田を見据え、きっぱりと言った。
 羽田にたいして信念を貫く磯川を見て、未来文学新人賞を選んだことに間違いはなかった、と日向は改めて思った。

(次回につづく)

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