第3話 経験を糧に、小説誌の新人賞に応募し、最終選考に残るも

文字数 3,496文字

 七三男は、瞳同様に冷え冷えとした声で言った。
『えっ……子供の小学校に!? それは困ります!』
 女性申込者が血相を変えた。
『だから、返済が遅れなければいいんですよ。もし遅れたら、クラスの担任の先生に会って、教え子のお母さんが貸したお金を返してくれないと相談させて頂きますよ』
 七三男の嗜虐(しぎゃく)的な言葉に、女性申込者が顔色を失った。
『てめえこらっ、今日は何日だと思ってんだ! おお! すみませんじゃ済まねえんだよ! 期日は昨日だろうがっ、くそボケが! 元金十万と十日分の利息の三万の計十三万! 耳を揃えて一時間以内に持ってこい! 一円でも足りなかったり一秒でも遅れやがったら、てめえの大学生の娘をソープに沈めるぞ! うらっ!』
 デスクに両足を載せたオールバックにサングラスをかけた男が、受話器を耳に当て巻き舌で怒声を飛ばしていた。
『おいっ、どこに行く? 早く座れや』
 回れ右をしようとした氷室に、大男がカウンターの椅子を指差した。
 氷室は引くに引けずに、言われるがまま椅子に座った。
『見ての通り、ウチはどこに行っても金が借りられねえクズどもが集まる高利貸しだ。ウチでやることは二つだ。金を貸すことと、貸した金はどんな手を使ってでも取り立てること。ほかに何百万も借金してるクズどもに貸した金を、真っ先に取り立てなきゃなんねえから簡単な仕事じゃねえ。だがよ、学歴関係なしに実力で偉くなれる世界だ。結果を出せば、月に五十万以上稼ぐことだってできる』
『五十万ですか!?』
 氷室は思わず大声を張り上げた。
「五十万ですか!?」
 日向の背後から、小説の中の氷室と同じセリフが聞こえてきた。
 日向はノートパソコンを折り畳み、弾かれたように振り返った。
「社長! もしかして、小説ば書いとると!?」
 眼を真ん丸にした椛が、素頓狂な声で訊ねてきた。
「なんでもいいだろ。そんなことより、お前はセリフを覚えてろ」
 日向は「小説未来」を手に席を立つと、出入り口に向かった。
「高校中退の社長が小説家なんて無理ば~い!」
 椛の嘲笑(ちょうしょう)から逃げるように、日向はフロアを出た。
「まったく、うるさい奴だ」
 日向は苦笑いしながら階段に腰を下ろすと、栞(しおり)を挟んだページに指を入れて眼を閉じた。
「阿鼻叫喚(あびきょうかん)」は、日向が十代の頃に勤務していた闇金融での経験をベースにしたノワール小説だった。
 整った文章より、個性的な文章を心がけた。
 美しい文章より、粗削りでも印象に残る文章を心がけた。
 百人が異論を口にしない完成度の高い小説より、九十九人が批判しても一人が中毒になる麻薬のような小説を目指した。
 大反対の裏に大成功があるというのが、日向の考えだった。
『世界最強虫王決定戦』のときもそうだった。
 
 ――誰がサソリやムカデのグロテスクな戦いを見たいと思いますか?
 ――体液が飛び散ったり殺し合ったりするような動画なんて、売れるどころかクレームが殺到します。
 ――そもそも、虫の対決するDVDなんてマニアック過ぎて分母が小さ過ぎます。作るなら、購買層が確立している人間の格闘技で行くべきです!

 日向の企画を聞いたすべてのスタッフ、すべての知人が反対、または否定的な意見を口にした。
 日向の心は折れるどころか、逆に『世界最強虫王決定戦』の大成功を確信した。
 たしかに、虫の対決するDVDは人間の格闘技界に比べて分母が小さい。
 だが、逆に言えば競争相手が少なく一人勝ちできる可能性があるということだ。
 その逆も、また然りだ。
 人間の格闘技ビジネスは全国区の認知度と成功例がある一方で、競争相手が多く勝ち抜くのは容易ではない。
 小説の世界も同じだ。
 誰もが安心して読める小説、誰もが共感できる小説を書けばリスクも低い。
 だが、それは多くのライバル達の作品の中に埋もれるという別のリスクを生み出す。
 毎月数千……年間にして数万冊が刊行される文芸小説の中でベストセラーになるためには、誰も読んだことのないような筆致、表現、展開の小説でなければならない。
 もちろん、机上の空論で終わる可能性のほうが高かった。
 それでもパンチを打たなければ身長百三十センチの小学生も倒せないが、自分を信じて拳を放てば二メートルの格闘家を倒せるかもしれないのだ。
 日向は眼を閉じたまま、「小説未来」を開いた。
 恐る恐る眼を開けた。

 三次選考通過者五名
 相原亮子、佐竹真一、中島友彦、西村美恵、日向誠
「あった!」
 日向は大声を張り上げ、勢いよく立ち上がった。
 夢は繫(つな)がった……。
 日向は安堵(あんど)の吐息を漏らし、誌面に視線を戻した。
自分の名前を確認すると、ふたたび日向は長い息を吐いた。
「なんね? 大声ば出してうるさかね」
 ドアが開き、椛が怪訝(けげん)そうな顔で日向をみた。
「椛っ、ほら、これ見ろ!」
 日向は「小説未来」の三次選考通過者のページを椛に尽きつけた。
「なんね?」
「俺の名前があるだろう? 日本の出版社で一番大きな『日文社(にちぶんしゃ)』の新人賞の最終選考に残ったんだ! 応募総数千数百人の中から、わずか五人の中に残ったのさ! どうだ! 凄いだろ!?」
 日向は得意げに言った。
「最終選考に残っただけでしょ? 自慢するとは、作家になってからにしてくれんね? これだけん、精神年齢の低か人は相手にできんばい」
 大袈裟に肩を竦め、椛がドアに向かった。
「一応、おめでと」
 椛が振り返りぶっきら棒に言うと、フロアに戻った。
「やれやれ」
 日向は苦笑いすると、携帯電話を取り出した。
 妻の真樹(まき)の番号を呼び出し、通話ボタンを押した。
 一回目が鳴り終わらないうちに、コール音が途切れた。
『どうだった!?』
 いきなり、真樹が訊ねてきた。
 真樹は今日が、「未来文学新人賞」の三次選考の発表ということを知っている。
 すべての始まりは、真樹だった。


 ――あなたさ、昔から小説を読むの好きなんだから、いっそのこと書いてみたら?

 初めて真樹に小説家になることを勧められたのは三年前……日向が二十七歳のときだった。

 ――え!? 俺が!? そんなの、無理に決まってるじゃん!

 真樹のあまりの突拍子もない申し出に、日向はソファで飲んでいたコーヒーをこぼしそうになった。
 
 ――どうして無理なの?
 ――どうしてって……小説が好きでも、読むのと書くのは違うって。野球観戦が好きだからって、野球選手になれないのと同じだよ。
 ――人間にできないことはない。不可能と思った瞬間に不可能になる……が口癖のあなたが、やる前から弱気なことを言うのは珍しいね。
 ――だって、俺は高校中退して闇金融で働いたりしてたんだから小説家なんて……。
 ――いままで、私の言ったことで間違っていたことあった?

 弱音を吐く日向を遮り、真樹が自信満々の表情で言った。
 真樹とは小学校時代からの幼馴染で、二十歳で結婚した。
 十代の頃に軽い気持ちで働き始めた闇金融で成績を伸ばし、幹部候補生として期待されていた日向を説得して翻意(ほんい)させたのは真樹だった。
 
 ――あのときだって私が止めなきゃいま頃、あなたは『仁義なき戦い』の人達みたいになってたわよ。
 ――それとこれとはさ……。
 ――まあ、とりあえず書いてみなよ。別に、だめならだめでも損することないんだし。やる前から結論出すのは、誠らしくないでしょ?

『もしかして、だめだった?』
 真樹の声で、日向は回想の扉を閉めた。
「ベスト5に残ったよ!」
 日向は弾む声で言った。
『おめでとう! ね!? 言ったでしょ? あなたは小説家になれるって!』
 受話口から、真樹の歓喜の声が流れてきた。
「いやいや、気が早いな。まだ、最終選考が残ってるからさ」
『イケるイケる! 誠なら新人賞取るって!』
「まあ、俺もそう思ってるけどね」
『そうそう、その根拠のない自信が誠の武器だから』
 嬉しそうに言う真樹の声に、プップップッという電話が入ったことを報せる信号音が混じった。
「キャッチが入ったから切るよ」
 日向は電話を切り替えた。
『もしもし? 日向誠さんですか?』
 聞き覚えのない男性の声が、受話口から流れてきた。
 声の感じでは、日向と同年代のように思えた。
「はい、そうですけど。どちら様ですか?」

(次回につづく)

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