第14話 三ヶ月先にトップ3と張り合うカギは〝消化率〟!?

文字数 3,824文字

 タイトルと著者名の横には、それぞれ数字が並んでいた。
「これ、なんですか?」
「各作品の初版部数と各作家の刊行点数です。『下町』の初版部数は十五万部、『堕天』と『無双』はそれぞれ十万部、『阿鼻叫喚』は一万五千部です。『下町』は『阿鼻』の十倍の部数です。つまり、単純に全国の書店に十倍の点数が並んでいるという計算になります。『堕天』と『無双』も十倍とまではいかなくても似たようなものです。十倍のハンデがあるので、トップ3に勝てないのは当然の結果です」
 磯川がディスプレイをペン先で指しつつ、コンピューター音声のように抑揚のない口調で説明した。
「くわえてこれまでに、名倉さんは三十三冊、東郷さんは五十二冊、風間さんは四冊の刊行点数があり、一方の日向さんの刊行点数はゼロです。三人には少なくとも五万人の固定読者がついています。特別な広告を出さなくても、書店に並べさえすれば五万部前後の売れ行きが見込めるという計算です。一方の日向さんの固定読者はゼロです。読者にとって、新人の小説に手を出すのはリスクがあります。千数百円をドブに捨てることになるかもしれないからです。だから、多くの読者は慣れ親しんだ作家の小説を手に取ります。その逆境の中で二十八位というのは、お世辞抜きに凄いです。現に、日向さんと同じ今月がデビュー作の新人が二人いるのですが、ベスト100にも入っていません」
 磯川の説明は淡々としているだけでなく、長台詞(ながぜりふ)の脚本をNGなしにこなす俳優のように流暢(りゅうちょう)だった。
「説明してくれたおかげで、二十八位という数字が大健闘だとわかりました。でも、大健闘じゃ嫌なんです。初版部数は俺の力じゃどうしようもないし……トップ3と張り合うのは無理ってことですか?」
 日向は訊ねた。
「正直、いますぐには無理です。でも、三ヶ月先なら可能性はあります」
 磯川が日向を見据えた。
「どういうことですか!?」
 日向は身を乗り出した。
「二刷、三刷、四刷、五刷と版を重ねるんです。版が重なれば全国の書店に本が行き渡りますし、書店員の印象もよくなり積極的に目立つ場所に並べてくれたり、お手製のPOP、つまり広告を作ってくれます。読者が増えれば『阿鼻叫喚』の評判が口コミでさらに広がり、実売部数がネズミ算式に増えてゆきます。仮に一作目でトップ3に近づけなくても、二作目からは『阿鼻叫喚』で獲得した固定読者がいるので、売れ行きの初速が違ってきます。初版部数も増えているでしょうし、トップ3の牙城(がじょう)の一角を崩すことも十分に可能です。現時点でも、消化率では負けてませんからね」
 言葉を切った磯川がタブレットのディスプレイをフリックすると、本のタイトルと赤と緑の数字が並ぶ表が現れた。
「日向さんとベストセラー作家と呼ばれる方々の消化率を比較しました。『阿鼻叫喚』の『与那国屋書店新宿本店』の横に、赤で70とあるでしょう? これは、仕入れた冊数の七十パーセントが売れているということを表しています。消化率が五十パーセント以下なら、緑の数字で表示します。新宿本店は五十冊仕入れているので、三十五冊売れています。新宿南口店の消化率は七十二パーセント、渋谷店は七十五パーセント、池袋店は六十八パーセント……全五十店舗の『阿鼻叫喚』の平均消化率は七十一パーセントです。見てください。四店舗を除いて数字が真っ赤でしょう」
 磯川の言葉通り、『阿鼻叫喚』の表はほとんどが赤の数字で埋め尽くされていた。
「七十一パーセントは、そんなにいい数字なんですか?」
 日向は各店舗の消化率を視線で追いながら訊ねた。 
「凄いですよ。一万冊仕入れたら、七千百冊売れている計算ですから。しかも固定読者がいない新人の、発売十日目ですからね。普通の新人のデビュー作なら、消化率が四十パーセントもいけば大健闘です。その証拠に……」
 磯川がディスプレイをフリックした。
「これは一位の『下町ブルジョワ娘』の消化率で平均七十五パーセント、これは二位の『堕天狼』の消化率で平均七十四パーセント、これは三位の『無双検事』の消化率で平均七十二パーセント……どうです? 『阿鼻叫喚』の消化率とほぼ同じでしょう?」 
「たしかに! なんだか、自信が湧いてきました」
 磯川に言った通り、消化率でトップ3と互角という事実は日向を勇気づけた。
「水を差すわけではありませんが、これで日向さんがトップ3の作家と互角というわけではありません」
「わかってますよ。版を重ねて部数を増やす必要があるんですよね?」
「もちろんそうですが、三万部、四万部と部数が増えたときに、いまと同じ消化率を保てるかが重要です。消化率はトップ3と同じ七十パーセント台でも、分母は『阿鼻』が一万五千部にたいして、『下町』は十五万部、『堕天』と『無双』は十万部です」
「つまり、俺の作品が増えたら消化率が下がる可能性があるというわけですね?」
 日向が訊ねると磯川が頷いた。
「分母が増えれば消化率は下がるのが普通です。ある洋菓子店で一日に百個売れるプリンを千個作ったら、同じように完売すると思いますか? もしかしたら完売するかもしれません。じゃあ、一万個は? 奇跡的に完売するかもしれません。でも、十万個となったら無理でしょうね。それだけの数を売るには、洋菓子店のネームバリューを全国区にしなければ不可能です。十万部、二十万部のベストセラー作家になるには、一にも二にも日向誠と『阿鼻叫喚』の存在を広く知らしめる必要があります」
 磯川の説明は、日向の心にすっと入ってきた。
「話は変わりますけど、磯川さんは芸能プロを立ち上げても成功するでしょうね。タレントの長所を伸ばしてテレビ局に売り込む仕事なんて、ドンピシャですよ」
 お世辞ではなく本音だった。
 もし作家と担当編集者としてではなく別の形で出会っていれば、「日向プロ」にスカウトしただろう。
「いえ、絶対に無理です」
 にべもなく磯川が即答した。
「なぜです?」
「興味がない物事には、一ミリもやる気が起きませんから」
 磯川が涼しい顔で言った。
「あ、そうでしたね」
 日向は苦笑した。
「話を戻しますけど、知名度を上げるにはテレビは効果的ですよね? 仕事柄、テレビ局に太いパイプがありますから。どんな番組が効果的ですか?」
「テレビに出演できれば最高です。ただし、跳ねる番組と跳ねない番組があります。僕の経験では、視聴率が高くても本とは関係のないバラエティ番組はね跳ねないことが多いですね」
「本に興味のない百万人の視聴者より、本に興味のある十万人の視聴者ということですね?」
 日向が確認すると、磯川が大きく頷いた。
「理想を言えば『王妃(おうひ)のシエスタ』のブックコーナーで『阿鼻叫喚』を取り上げて貰(もら)えたら最高ですが、内容的に昼の番組は難しいでしょうね。いつも取り上げられているのは、恋愛小説や感動系の小説ばかりです」
 磯川が渋い顔で言った。
「女子大生と二十代の働く女性をターゲットにした番組ですからね。しかもMCの夏井紬(なついつむぎ)は大手のモデル事務所所属の看板タレントですから、放送禁止用語がバンバン出てくる小説を紹介させるわけにはいかないでしょうし」
 日向も渋い顔で言った。
 日向が所属タレントを『王妃のシエスタ』にキャスティグしようとしたときに、プロデューサーから男性誌に水着で掲載された過去を指摘されて断られてしまった。
「『王妃のシエスタ』より視聴率は格段に落ちますが、テレ関の『小説バー』でもいいですか?」
 テレビ関東には何人か親しくしているプロデューサーがいて、その中の一人が『小説バー』の担当だった。
「いいと思います。あの番組は時間帯も夜ですし、本読みとして有名な女優さんがMCを務めているので、本好きな読者からの支持を集めていますからね。是非、お願いします」
 磯川が日向を後押しした。
「わかりました。打ち合わせが終わったら、『小説バー』のプロデューサーに連絡を取って会ってきます」
「あ、言いそびれていましたが、午後一時にさくら出版で『週刊現実』のインタビューの予定が入ってます」
「他社の週刊誌のインタビューですか?」
 日向は怪訝な顔で訊ねた。
「『阿鼻叫喚』の見本を書評家やマスコミ関係者に百冊以上献本していたのですが、そのうちの何社かの週刊誌やスポーツ新聞の記者から、インタビューの申し込みがありました。『週刊現実』は文芸部ではないので、出版社の垣根はないんですよ。事後報告になりましたが、大丈夫ですよね?」
「もちろんです。俺と著書の認知度を広めなければなりませんからね。じゃあ、テレ関に行くのはインタビューが終わってからにします」
「ありがとうございます。あと、読者は『阿鼻叫喚』の話がどこまで事実に基づいて書かれているのかに興味がありますから、日向さんの金融時代の話を訊かれると思います……もしまずいようなら僕のほうからNGを出しておきますが?」
 磯川は日向に選択肢を与えてはいるものの、本当はNGなしでインタビューを受けてほしいはずだ。
 記者もまた、有害図書に指定されてもおかしくないほど過激な問題作を生み出した著者に興味を持ち、オファーしたに違いない。

(次回につづく)

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