第44話 大御所作家とのトラブルで、磯川の進退はどうなる?

文字数 2,821文字

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「エルミタージュ」のカウンター――日向はいつもの場所に座り、テキーラの「ドン・フリオ」をショットグラスで飲んでいた。
「珍しいな。お前がビール以外の酒を飲むなんて。しかも、テキーラときた。狙っていた女にでも、フラれたか?」
 カウンター越し……グラスを磨きながら、大東(だいとう)がからかうように言った。
「今日は、お前の軽口につき合う気分じゃない」
 日向は三杯目を飲み干し、ショットグラスに四杯目を注いだ。
「おいおい、ビールみたいに飲むんじゃねえよ。いくら上物の酒でも、そいつは四十度近くあるんだぞ」
「大丈夫だ」
 日向は言った。
 飲み過ぎた日向が酔い潰(つぶ)れることを心配しているのなら、それは大東の杞憂(きゆう)に終わるだろう。
 今夜は、何杯飲んでも酔えそうになかった。

 ――最善の道って、文芸編集部を辞める気? 磯川さんはなにも悪くない。責任取る必要なんかないって!
 ――さっきも言いましたが、僕を信じてください。
 ――信じる信じないじゃなくて、磯川さんが今回の件で編集部を辞めるのはおかしいって言ってるんだよ! 悪いのは東郷さんだろう!
 ――夜、僕に時間をください。そのときに、お互いに納得行くまで話をしましょう。
 
「さっきからずっと、眉間に皺寄せてなにを考えてるんだよ? デビュー作からベストセラーを連発して、初の純愛小説がミリオンを狙えそうな勢いなのに、悩み事なんてあるのか?」
 大東が怪訝(けげん)な顔で言った。
 ベストセラー作家になれたのも、磯川との出会いがあったからだ。
 常識に囚われない奔放(ほんぽう)で型破りな日向の作風を、磯川はすべて受け入れてくれた。
 短所には眼(め)を瞑(つむ)り、徹底的に長所を伸ばすやりかたで自由に書かせてくれたおかげで、いまの日向がある。
 四作目の『メシア』と五作目の『願い雪』は「日文社」の作品ではなかった。
 だが、「日文社」の三作品で日向ワールドが確立できたからこそ、他社作品の大ヒットに繫(つな)がったのだ。
 デビュー作の担当者が磯川ではなくほかの人間だったら、いまの日向はいなかったはずだ。
「お前みたいに、単純な思考じゃないんだよ」
 日向は大東に言った。
「なんだなんだ? 若い頃は俺と無茶苦茶なことをやってたくせに、すっかり大作家先生気取りか?」
 大東が冗談めかして言った。
「なあ、俺の小説どう思う?」
 日向は大東に訊(たず)ねた。
 大東は日向作品をすべて読んでいるが、感想を聞いたことはなかった。
「なんだよ? いきなり」
「いや、急にお前の感想を聞きたくなったんだよ。早く言えよ」
「勝手な奴だ。一言で言うなら、小説とは思えねえな」
「強烈なダメ出しだな」
 日向は苦笑した。
「勘違いするな。いい意味で言ってるんだ。面白いドラマを観ているような、次が気になって仕方がない……そんな気分になるのが、お前の小説だ。俺もいろんな作家の小説を読んできたけど、こんなにぺージを捲(めく)る手が止まらなくなったのは初めてだ。お前よりうまい文章の作家はたくさんいるけどな」
 大東がニヤリと笑った。
「褒(ほ)められてんのかけなされてんのか、わからないな。まあ、でも、お前の感想を聞いて、俺らしい作品を書けてるってことが再認識できて嬉(うれ)しいよ」
 本心からの言葉だった。
 やはり、磯川と二人三脚でやってきたことに間違いはなかった。
「俺の感想なんて聞かなくても、お前はもう立派な……いらっしゃいませ」
 大東が言葉を切り、ドアに視線をやった。
「遅れてすみません」
 磯川が日向の隣のスツールに座った。
「時間通りだよ」
 日向は、午後八時を表示するスマートフォンのディスプレイを磯川に向けた。 
「編集者にとって、ジャストタイムは遅刻と同じです。最低でも五分前には到着しないといけません」
 磯川が柔和に微笑(ほほえ)みながら言った。
「あれ、テキーラですか? 珍しいですね」
「俺も同じこと言ったんですよ。なんだか、悩み事があるみたいで」
 大東が含み笑いしながら磯川に言った。
「お前は口を挟まないで、酒を作ってろよ。磯川さん、なに飲む?」
 日向は大東を軽く睨(にら)みつけ、磯川に訊(き)いた。
「僕は生ビールをお願いします」
「ここのマスターは、ビールを頼むと嫌がるんだよ。凝(こ)ったカクテルに拘(こだわ)ってる店だから、ビールを飲みたいならそのへんの居酒屋に行けよってね」
 日向が皮肉たっぷりに言った。
「おいおい、話を盛るな。さすがは小説家だな。それに、一般のお客さんにはそんなこと言わないので、気にしないで好きなお酒を楽しんでください」
 大東が日向に皮肉を返し、磯川に微笑んだ。
「俺も一般のお客様だよ」
 日向が言い返すと、磯川がクスリと笑った。
「ん?」
「すみません。お二人の掛け合いが、息の合った漫才師みたいで」
 日向の訝(いぶか)しげな視線に気づき、磯川が言った。
「息が合ってるかどうかはわかりませんが、日向とは十代の頃からのつき合いですから。腐れ縁ってやつですかね」
 大東が、唇をへの字に曲げ肩を竦(すく)めた。
「腐れ縁も、こんな空気感ならいいものですね」
 磯川が微笑を浮かべて、日向と大東をみつめた。
「大東の話なんてどうでもいいから、あれからどうなったか教えてよ。局長達と話したんんでしょ? まさか、『日文社』を辞めようなんて考えてないよね?」
 日向は、気にかかっていることを訊ねた。
「大東の話なんてどうでもいいから……って、ひでえ言い草だな」
 大東がぶつぶつ言いながら、生ビールのタンブラーを磯川の前に置いた。
「日向さんの『願い雪』大ヒットに乾杯!」
 磯川は言うと、タンブラーを宙に掲げた。
「あ、ああ……ありがとう」
 日向は、ショットグラスを磯川のタンブラーに触れ合わせた。
「で、『日文社』をやめないよね?」
 日向は、スルーされた形の質問を繰り返した。
「お前さ、分離不安症の犬みたいだな。ほら、飼い主の姿が見えなくなると精神が不安定になる犬」
 大東が茶化すように言った。
「お前な、マジに黙ってろ。でも、当たらずとも遠からずってやつだな。作家と編集者は競走馬と騎手の関係だ。ヒュウガインパクトがこれまで好成績を残せているのは、磯川騎手の手綱(たずな)捌(さば)きのうまさと二人の相性のよさがあったからだ。競走馬にとっちゃ、騎手が誰に替わるかは死活問題なんだぞ!」
 日向は熱っぽい口調で訴えた。
「でも、『日文社』以外の出版社の小説も売れてるじゃん。お前のたとえだと、違う騎手が乗ってるわけだろ?」
 大東は茶々を入れてきたというより、本当に疑問に思っていることを口にしたという感じだ。

(次回につづく)

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