第15話 初の著者インタビュー。デビュー作を気に入ってくれた記者に――

文字数 3,939文字

「大丈夫です。『週刊現実』のインタビューで爪痕(つめあと)を残せれば、俺も『阿鼻叫喚』も注目を浴びますからね」
 磯川に言った通り、最初が肝心だ。
 日向が一年かけて出演を決めたバラエティ番組で、所属タレントが爪痕を残せなければプロデューサーから呼ばれることは二度とない。
「日向さんが協力的な作家さんで、本当に助かりました」
「自分の本を売るのに、協力的でない作家なんているんですか?」
「いくらでもいますよ。書店にたくさん並べれば売れるだろ? みたいな考えの作家さんは多いですからね。ま、どうぞお好きに、って感じです」
 磯川が肩を竦めた。
「興味がない作家には一ミリも労力を使いたくない、って感じですか?」
 日向は冗談めかして言った。
「僕のことをよくご存じで」
 磯川が軽妙に切り返してきた。
 束の間、顔を見合わせた二人は同時に噴き出した。
                    ☆
 銀座のさくら出版の五階……雑誌部の応接室のソファに日向と磯川は並んで座っていた。
 応接室は十坪ほどの縦長のスペースで、雑然とした雑誌部のフロアとは対照的にすっきりと整頓されていた。
「では、スイッチを入れさせて貰います」
 記者の奈須田(なすだ)が、テーブルにボイスレコーダーを置きながら言った。
 奈須田の陽焼けした筋肉質の体に、ポロシャツにデニムというラフな服装が似合っていた。
 年は日向よりいくつか下……二十代後半に見えた。
「早速ですが、『阿鼻叫喚』、とても面白かったです! これまでもノワール作品、暗黒小説と呼ばれるものを数多く読んできましたが、こんなに衝撃を受けたことはありません!」
 奈須田が頰を上気させ、声を弾ませた。
 これが演技なら、たいした役者だ。
「ありがとうございます」
「まず一番驚いたのは、圧倒的なスピード感と暴力とセックスの容赦(ようしゃ)ない描写です。『阿鼻叫喚』は二段組みで四百六十ページの長編ですが、息をつかせぬ展開に三時間で完読しました。暴力シーンで骨や歯が折れた描写はよくありますが、腹をナイフで刺したときに黄白色の脂肪や便が溢れ出してくる描写には、うわっ! って声を出しました。あと、二十一歳の兄と十八歳の妹の近親相姦のシーンですが、わざと両親の寝ている隣でセックスし、妹の愛液を父親の寝顔になすりつけるシーンには声を失いました。普通、そんなシーンを思いつきますか? 思いついたとしても、読者に引かれるんじゃないかと懸念して書かないですよね? ほかにも、五十過ぎの女は腐った卵と同じで食ったら食中毒を起こして死んじまう、ブスは化粧すればするほど吐き気を催すから風俗で金貯めて整形しろとか、日本中の女性を敵に回すような文章を書くときに躊躇(ちゅうちょ)しませんか!? 躊躇しないとしたら、それはどうしてですか!? 『阿鼻叫喚』は最高に面白く中毒になるような小説ですけど、絶対に文学賞の候補にはなりませんよね!?」
 奈須田が身を乗り出し、真っ赤に充血した眼を見開き、口角泡を飛ばしながら日向を質問責めにした。
「奈須田さんの最後の言葉が、質問の答えですよ」
 日向は微笑(ほほえ)みながら言った。
「え? 僕の最後の言葉が答えって、どういう意味ですか?」
「担当の磯川さんに、最初に言われたんですよ。文学賞を狙うなら、いまの文章ではだめだって。でも俺は、文学賞より麻薬のように中毒性のある作品を書きたいって答えたんです。一度読み始めたら、奈須田さんみたいな中毒者が続出するような小説をね」
「なるほど! アンチが出てくるのは計算のうちっていうわけですね」
 奈須田が感心したように言った。
「まあ、好んで敵を作りたいわけじゃないですけどね。リアリティを追求した結果、敵が増えるなら仕方がないって感じです」
 日向は苦笑した。
「リアリティを追求する……もう少し詳しく教えて貰えますか?」
「『阿鼻叫喚』に出てくる登場人物は、ひとでなしとろくでなしばかりです。現実に彼らのような人間がいたら、もっとひどく汚い言葉を口にし、非道な行いをしてると思うんですよ。たとえば、『女子高生コンクリート詰め殺人事件』を知ってますか? 四人の不良少年グループが、通りすがりに当時十七歳の女子高生を拉致(らち)、輪姦して、四十日以上監禁、暴行、強姦を繰り返し行った挙句、殺害してコンクリート詰めにした死体を東京湾に遺棄した事件です。現実には、こんなに残酷な少年達がいるんです。モラルがどうの描写がどうのと気にしていたら、この事件を書くことはできないでしょう。つまり、小説が現実を超えられないということです」
 日向は言葉を切り、奈須田に出されたミネラルウォーターで喉を潤した。
「小説が現実を超えられない……ですか。もう少し、詳しくお願いできますか?」
 奈須田が瞳を輝かせた。
「母親にくそ婆(ばば)あと毒づく思春期の少年、若い女と浮気し、長年連れ添った妻を浮気相手の前で糞味噌にけなすサラリーマン、数千万円以上貢がせた女性の金が底を尽くと切り捨てるホスト……現実世界では、犯罪者じゃなくてもひどい行為をしたり汚い言葉を使う人間は大勢います。通学路で無差別に児童を刺し殺す通り魔、老人を虐待する介護士、猫の首を切り犬の皮を剝(は)ぐ動物虐待……現実世界には、眼を覆いたくなるような事件を起こす人間が大勢います。『阿鼻叫喚』は、底辺に蠢(うごめ)く卑劣と下劣が服を着たような人間達を描いた物語です。読者や書評家からの批判を恐れたり、文学賞を取れなくなるからという理由で、描写やセリフにブレーキをかけたひとでなしやろくでなしにリアリティはありません。現実の極悪人を超えられない小悪人しか出てこない暗黒小説もどきを、誰が面白いと思いますか? これが、批判を覚悟でリアリティに拘(こだわ)る理由です。こんな感じで、答えになってますか?」
 日向は訊ねた。
「めちゃめちゃ納得です! 日向さんが物語の世界観同様に振り切った人で安心しました!」
 奈須田の顔は赤みが増していた。
「本当は、少し心配していたんです。これ、作家あるあるなんですけど、作品のイメージと真逆過ぎて会わなければよかったと後悔するケースが多々あるんですよ」
 奈須田の言わんとしていることは、日向にもわかった。
 たとえば純愛をテーマにした恋愛小説で有名な作家が、実生活の男女関係で二股も三股もかけていたり、酒と煙草(タバコ)が似合う主人公が活躍するハードボイル小説で有名な作家が、下戸で嫌煙派だと読者が知ったら少なからず幻滅するだろう。
 だからといって、作家が物語の主人公のイメージ通りであるべきとは思わないし、また、不可能だ。
 外科医、弁護士、ピアニスト、ボクサー、ヤクザ、猟奇殺人犯……作家の書く物語は、九十パーセント以上は未体験の世界をテーマにしている。
 そもそも、物語のイメージを壊さない作家でいろというのが無理な話だ。
「これが一番訊きたかった質問です。『阿鼻叫喚』には、取り立て屋の過激な追い込みのシーンが出てきますが、日向さんの金融時代の実体験ですか?」
 奈須田が、さらに身を乗り出し訊ねてきた。
「実体験の場合、実体験ではない場合、中間の場合があります。たとえば借金を踏み倒した不良債務者を追い込むときに、子供の通う小学校に行くシーンがあります。取り立て屋は子供のクラスに授業中に乗り込み、お父さんにお金を返すように伝えて、と伝言します。このシーンでいえば、不良債務者の息子の小学校に行ったのは実話で、子供のクラスに乗り込み伝言したというのは創作です。子供の小学校の正門の写真を撮って、債務者にメールしたというのが実話です」
「うわっ……それでも、十分に怖いですよ。でも、日向さんはじっさいにそういう経験をしているから、取り立てのシーンにリアリティがあるんですね!」
 奈須田が興奮気味に言った。
「ありがとうございます。でも、実体験を基に書くシーンにリアリティがあるのは、作家としては当然だと思っています。体験したことのないフィクションを、あたかも体験したことのあるように読者に信じ込ませる……それが真の作家だと思います。イカサマ宗教団体の教祖を主人公にした小説を書けば、日向はどこかの宗教団体で信者を洗脳していたんじゃないのか? 天才ピアニストを主人公にした小説を書けば、日向は過去にピアニストを目指していたのかもしれないな、殺人犯を主人公にした小説を書けば、日向はもしかして……と、作品を出すたびに読者にそう思わせるような作家になるのが理想です」
「阿鼻叫喚」は日向のバックボーンをテーマにした物語なので、書評家や読者からリアリティがあると称賛されても真の成功とは言えない。
 日向誠の作家としての真価が問われるのは、金融業界以外のテーマの小説を書いたときだ。
「じゃあ、人を殺すシーンを書くときは、ドラマや映画を参考にするんですか?」
「いや、ドラマや映画の殺人犯は偽物なので参考にはしません。ノンアルコールビールを飲んで、酔ってる演技をするのと同じですからね」
「でも、リアリティを出すために人を撃ったり刺したりできないわけですし、なにを参考にするんですか? まさか……」
 奈須田は芝居がかった表情で、言葉を吞(の)み込んだ。
「そんなわけないじゃないですか。そういう経験のある方に、取材してるんですよ」
 日向は苦笑いしながら言った。
「え!? 殺人犯に取材してるんですか!?」
 奈須田が素頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。

(次回につづく)

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