第60話「あと一冊しか小説を出せないとしたら」そう問われ……

文字数 2,994文字

「ファンだからこそ、本当のことを言ってるんです! 日向作品の持ち味は文章の美しさより荒々しさ、物語の完成度よりも、なにが飛び出してくるかわからないハラハラ感にあります! いまみたいに落ち着いた作風なら、普通の作家と変わりません! 日向作品は麻薬だと……読者を中毒にさせると、日向さんも雑誌のインタビューで言ってたじゃないですか! 売れたから、知名度が上がったからって、私達日向中毒患者を見捨てないでください!」
 ツインテール女子が、瞳を潤(うる)ませ叫んだ。
「お嬢さん、少し落ち着きましょう……」
 高田が、引き気味にツインテール女子を宥(なだ)めた。
「いや、大丈夫です。こういう質問に答えるために、オファーを受けたわけですから。まず最初に、これだけは言っておきます。俺は応援してくれた読者を、見捨てたりしてません。第二に、いまでも俺は麻薬を出しています。ただし、種類の違う麻薬です。覚醒剤もヘロインも、使用し続けると耐性がついて使用量が増えてゆきます。そして、いつの日か致死量を摂取することになります。死ぬのは、読者じゃなく俺です。みんなを喜ばせようと、もっと過激に……さらに過激にと突っ走って行くうちに、物語は破綻(はたん)します。その作品は、あなたが中毒になった『阿鼻叫喚』や『メシア』とは比べ物にならない駄作になるでしょう。あなたが望んだはずの日向作品とは、程遠い駄作です。そして、あなた達の心から日向誠はいなくなります……つまり、死ぬということです。俺は、これからもずっとあなた達を中毒にするつもりです。幸い、俺は多作です。いろんな麻薬を試しているので、あらすじを読んで自分好みの作品と出会ってください」
 日向は、思いが伝わるように根気よく懇切丁寧な説明をした。
 これが、ずっと読者に言いたかったことだ。
 言い訳をしたかったわけではない。
 文章が過激でなくなったことイコール、手を抜いたわけではないということを読者に伝えたかった。
 だが、売れ線のテーマや出版社の意向を気にせずに、思いのままに好きな作品を書いていた、あの頃の自分の熱量に敵(かな)わないという現実にも気づいていた。
 七本から十本の連載に七十作を超える著書……失うものがなく、情熱の赴くままにガムシャラに書いていた、あの頃の自分には戻れないこともわかっていた。
「耐性がつくから、違う種類の麻薬を出しているですか! いやいや、さすが売れっ子小説家は言葉選びのセンスがいいですね~! まあ、たしかに、真面目な話、刺激にはどんどん麻痺していきますからね。日向さんが十作も二十作も『阿鼻叫喚』みたいな小説ばかり出し続けていたら、十七年も第一線で活躍できていたかどうかわかりませんよね。途中で『願い雪』に代表される白日向作品や動物小説や純文学系の小説を書いたことで、作品の幅と読者層が広がり、いまの日向さんがあるんだと思います。ということで、この質問は終わりにして次の質問に移ります。三列目の、ドジャースのキャップを被った男性の方どうぞ」
 高田が話をまとめ、次の質問者を指名した。
 高田は無責任に煽っているようで、場の空気を読みながら絶妙な塩梅(あんばい)で観客をコントロールしていた。
「僕もデビュー当時からの黒日向作品のファンです。僕が教えてほしいのは、白作品についてです。高田さんが、白作品を出したおかげで日向さんの作品の幅と読者層が広がったと言ってました。たしかにそれはあるかもしれませんが、黒日向ファンの僕は、正直『願い雪』とか出してほしくありません。前に、日向さんは雑誌のインタビューでこう言ってました。作家がテレビに出過ぎて有名になると、作品の世界観が壊れて読者を失望させてしまうからやめたほうがいいと。白作品を出すのをやめてほしいのも、日向さんのイメージが崩れてしまうからです。『願い雪』の甘ったるい文章を読んだあとに、黒日向作品を読んでも物語に入っていけません。僕の周りの黒日向ファンも、同じ意見です。日向さんは、僕達黒日向ファンの考えが間違っていると思いますか?」
「いえ、間違っているとは思いません。俺もデビュー前に夢中で読み漁っていた好きな作家さんの、いつもと全然違う作風の小説を読んだときはがっかりしたものです。でも、自分が書く立場になって思ったんです。暗黒小説が好きな人もいれば恋愛小説が好きな人もいる。家族小説が好きな人もいれば動物小説が好きな人もいる。日向誠の作品だからといって新刊が出るたびに買うんじゃなくて、自分の好きなジャンルのものだけを読めばいい……そうすれば、失望も腹立ちもないですから。こんな感じの説明で大丈夫ですか?」
 日向は、ドジャースキャップの男性に訊(たず)ねた。
「はい、大丈夫です」
 ドジャースキャップの男性が、渋々引き下がった。
「これまでに、日向さんみたいに極端に違う世界観の小説を同時進行で書いた作家さんはいないから、読者のみなさんが戸惑うのもわかります。では次の方……最後列の左端の、バケットハットを被った男性の方、どうぞ」
「日向誠さんの一ファンとしてお訊ねします。人生であと一冊しか小説を出せないとしたら、どんな物語を書きたいですか?」
 聞き覚えのある声……。
 日向は後方の客席に視線をやった。
 黒のバケットハットにサングラスをかけた男性を見た日向は、息を吞んだ。
「凄(すご)く個性的な質問ですね。答える前に、逆に訊いてもいいですか? どうして、その質問をしたんですか?」
 日向は、バケットハットの男性に訊ねた。
「これだけたくさんの小説を上梓してきた作家さんが、一番書きたい小説ってなんだろうって思ったんです」
「最後の一冊ですか……」
 日向の頭の中には、はっきりと浮かんでいた。
 いつか書きたいと思っていた。
 彼との出会いを。
「俺が主人公の、自伝的小説ですかね」
 日向が言うと、観客がざわついた。
「日向さんの自伝的小説、凄く面白そうですね! いつ書く予定ですか?」
 バケットハットの男性が、弾む声音(こわね)で訊ねてきた。
「さあ、どうでしょうね」
 日向は曖昧(あいまい)に言葉を濁した。
「書かないんですか?」
「書きたいんですけど、適任の担当者がいなくて」
 日向はバケットハットの男性の瞳を、サングラス越しにみつめた。
「適任の担当者がいれば、書くのですか?」
 バケットハットの男性が質問を重ねた。
「もちろん」
 日向は即答した。
「じゃあ、書きましょうよ」
 男性が、バケットハットを脱いだ。
「なにをですか?」
 わかっていながら、日向は訊ねた。
「『直木賞を取らなかった男』というタイトルはどうでしょう?」
 男性がサングラスを外しながら言った。
「きてくれていたんだ。みなさん、ご紹介します。彼は僕をデビューさせてくれた、『日文社』の担当編集です!」
 日向が紹介すると、観客が一斉に後方を振り返った。
「すみません、お騒がせしてしまって。一つ訂正があります。担当編集の前に元がつきます」
 磯川が照れ臭そうに頭を掻いた。
「おかえり、磯川君……で、いいんだよね?」
 日向は冗談めかして訊ねた。
「さあ、どうでしょうね」
 今度は、磯川が曖昧に言葉を濁した。

(次回につづく)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み