第49話 『僕がママを探す旅』は大ヒットするが、気になるのは

文字数 2,257文字


「お疲れ様でした! 素晴らしい挨拶でしたね。日向先生が、誰よりも笑いを取ってましたよ」
 版元の「大海(たいかい)出版」の担当編集者である前島(まえしま)が、日向を楽屋に先導しながら持ち上げた。
「喋る前までは、ガチガチだったんだけどさ。膝も笑っていたからね」
 日向は苦笑した。
「え!? そんなふうには、全然見えませんでしたよ! どうぞ」
 前島が楽屋のドアを開けた。
「『月刊シネパラ』と『ダビデ』の取材がそれぞれ一時と二時から、隣の『インペリアル日比谷ホテル』で入っていますが、その前に軽くお昼を食べますか?」
 前島が伺いを立ててきた。
「いや、腹は減ってないから、君はどこかで昼を摂ってきなよ。俺はここで締め切りをちょっとやって、ホテルに移動するから」
 日向はロングデスクに置いたノートパソコンを開きながら、前島に言った。
「わかりました。因(ちな)みに取材のテーマは二誌とも、『僕ママ』の映画についてです。では、のちほど」
 前島がドアを閉めると、日向はお気に入りリストから「日向誠を語るスレ」を呼び出した。

 本虫 『絶対犯罪』、久々の黒日向作品だったから期待していたのに、がっかりだな。
 アッチ 「日文社」って、日向のデビューした出版社だろ?
 歌舞伎町 デビュー作の『阿鼻叫喚』は名作だな!
 悪童 『阿鼻叫喚』や『メシア』のときの放送禁止用語と差別用語連発の衝撃はどこに行ったんだ?
 本虫 そうそう。デビュー当時の日向作品は、お世辞にも文章がうまいとは言えないけど、グイグイと引き込むスピード感と圧倒的な筆力があって、登場人物もストーリーも骨太だったよな。
 通りすがり 『願い雪』で金持ちになりハングリー精神消滅
 悪童 日向作品は荒々しい文章とハチャメチャな展開が面白かったのに、『絶対犯罪』は妙におとなしいというか中途半端というか……。
 ラーメンマン 俺も読んだけど、全然薄味だな。『阿鼻叫喚』がギトギトの豚骨ラーメンなら、『絶対犯罪』はさっぱり塩ラーメンみたいな感じ?
 アッチ お前、あちこちのスレに顔出してるけど、ラーメンでたとえたいだけだろ?
 通りすがり 『僕がママを探す旅』が全国ロードショーになり金持ちになったからハングリー精神消滅
 本虫 何作もベストセラーを出して知名度が高くなると、好感度を気にして守りの姿勢になってしまうのかな?
 悪童 デビュー四作目までの台風のような怒濤(どとう)のストーリー展開が懐かしい。
 柴犬 白作品を出してから女性読者も増えただろうから、意識して作風を変えたんじゃない?
 ビッケ 女子受け狙いのヘタレ作家に転落(笑)
 書店員 日向先生は連載小説を10本抱えているので、物理的時間が足りず結果的にやっつけになっているのではないかと思います。
 通りすがり 連載十本で金持ちになりハングリー精神消滅
 ラーメンマン 連載十本で大忙しか。昔の日向作品が一晩かけて煮詰めた出汁(だし)から作ったラーメンなら、いまの日向作品はインスタントラーメンみたいな感じ?
 アッチ だから、ラーメンのたとえはいらないって!
 マック でも、別人が書いたみたいな黒と白の対照的な作品がそれぞれベストセラーになる作家なんて、過去にいなかったでしょ? それだけでも物凄(ものすご)いことじゃない?
 永ちゃん おっと、日向本人が自己擁護降臨(笑)
 チンパン だけどさ、日向作品は漫画みたいな小説だから過去の文学と比較はできないって。
 本虫 まじめな話、日向にはデビュー当時のエネルギーを忘れないでほしいよな。『絶対犯罪』みたいなやっつけ小説は今回限りにしてほしい。
 悪童 禿(はげ)しく同意。容赦(ようしゃ)ないエグさと倫理観無視の世界観をこれでもかと読ませてくれたからこそ、日向作品は単行本でも買う価値があったわけだから。こんなやっつけ小説なら、図書館で十分だわ。

 日向はため息を吐(つ)きながら、ノートパソコンをシャットダウンした。
 もともと日向は、自身のことをボロクソに書かれてもショックは受けずに、面白がってエゴサーチするタイプだった。
 だが、『絶対犯罪』に関しての書き込みは笑い飛ばせなかった。
 理由――描写や比喩(ひゆ)をセーブしたという自覚があるから。
 デビュー当時のように、批判を恐れずに書いた結果叩(たた)かれるのであれば少しも堪(こた)えない。
 むしろ、もっと過激に書いてやろうという戦闘意欲が湧いてきた。
 今度の批判は、そのときとは状況が違う。
 日向自身、疚(やま)しく思っていた部分を叩かれたのだ。

『いまのままの生々しい描写や放送禁止用語のオンパレードでは、女性読者は手を出してくれません。僕からの提案をさせていただきます。「絶対犯罪」を刊行するに当たって、表現をソフトにしませんか?』
『それじゃ、そこらの小説と同じだ。日向誠がベストセラー作家になれたのは、過去の暗黒小説とは一線を画した作風だからだよ。過激で、生々しく、下品で、常軌を逸した文章や比喩が読者には衝撃的で、コアなファンを獲得できたわけさ。白日向作品の読者を取り込むために表現をソフトにするなんて、本末転倒の自殺行為になる』
『すみません。本当のことを言います』
『日向先生にはお伝えせずに対処しようかと思っていたんですが、ウチのホームぺージにも毎日のように読者の方からお叱りのメールが入ってまして……』

(次回につづく)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み