第12話 ついにデビュー作『阿鼻叫喚』が店頭に。客の動きに一喜一憂するが

文字数 3,346文字

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 日向はガイドブックを選ぶふりをしながら、三、四メートル先の文芸作品のコーナーで小説を物色する客達を注視した。
「置いて行こうとしても無駄ばい!」
 アイドル誌を手にした椛(もみじ)が、日向の隣にきた。
「お前……どうしてここにいるんだ!?」
「社長こそ、こぎゃんとこでなんばしよっと?」
 椛がキャスティングされた映画のロケが、新宿の歌舞伎町で正午から始まる。
 マネージャーとして帯同した日向は、「与那国屋書店」本店に立ち寄るために早めに新宿入りしたのだ。
 今日は待ちに待った「阿鼻叫喚」の発売日だった。
 椛を移動車に残して「与那国屋書店」にきたのだが、あとをつけられていたようだ。
「この書店で、俺の本が売られてるんだよ」 
「え!? 社長の小説がこの本屋で売られとると!?」
 椛が大声で訊ねてきた。
「馬鹿……静かにしろ」
 日向は椛の唇に人差し指を立てて睨みつけた。
「こぎゃん大きか本屋に、社長の小説が置かれとるはずがなか。見に行ってくるけん!」
「だめだって。いま、俺の本を手に取ろうかどうか迷ってる人がいるんだよ。お前が行ったら、立ち去ってしまうだろ」
 日向は椛の腕を摑(つか)んだ。
「は? もしかして社長、自分の小説を買われるところば見にきたと!?」
 椛が円らな瞳をさらに大きく見開いた。
「悪いか? 我が子の初登校を見守るようなものだ」
「キモキモキモキモ! 自分の小説を買う人ば盗み見しとる変態!」
 椛が大袈裟に顔を歪(ゆが)めながら、日向を指差した。
「誰が変態だ。お前こそ仮にも女優なんだから、変装しないで本屋に立ってたらパニックになるくらい売れてみろ」
 日向は憎まれ口を返した。
「私ば大女優にするとは、社長の仕事ば~い」
 椛が上から目線で言いながら、日向の肩を叩いた。
「もういい。お前は車に戻ってろ」
 日向は、ため息混じりに命じた。
「嫌ばい。私も『SMAP』の写真集ば買う……」
「シッ!」
 日向は椛の言葉を遮った。
 三十代と思しきサラリーマン風の男性が、『阿鼻叫喚』を手に取り帯文を読み始めた。
「買え……買え……買え……」
 日向は呟きながら、男性に念を送った。
 カムフラージュするために、読むふりをしていたガイドブックを持つ手に力が入った。
「マジにキモか。こぎゃん変態作家、日本中探してもおらんばい」
 椛の毒舌が耳を素通りした。
 日向の意識は、男性の一挙一動に向けられていた。
 男性は『阿鼻叫喚』を裏返し、帯に書かれているあらすじに視線を走らせているようだった。
「お! いいぞ! そのままレジに持って行け! 早く! 歩け!」
 日向の心臓の鼓動が早鐘を打ち始め、握り締める掌が汗ばんだ。
「人にうるさか言うとったくせに、自分のほうがうるさかばい」
 椛が呆れたように言った。
 男性の足が動いた。
「よし! 貰った……え?」
 日向は振り上げようとした握り拳を途中で止めた。
 男性が『阿鼻叫喚』を平台に戻し、左隣の本を手に取った。
 あの位置には、風間玲(かざまあきら)の小説が並んでいたはずだ。
 風間玲は日向より五年早くデビューした作家で、暗黒小説の超新星として注目を集めた。
 デビュー作の『闇人』はいきなり五十万部の大ベストセラーとなり、二作目、三作目と立て続けにベストセラー作品を連発した。
 平台に並んでいる風間玲の作品は四作目の『堕天狼(だてんろう)』で、大手配給会社の全国ロードショーが決定している話題作だ。
 発売前に重版が決まり、「毎朝新聞」の朝刊の全五段広告には十万部突破と書かれていた。
「嘘……」
 男性の次に現れた青年も、迷わずに『堕天狼』を手に取りレジに向かった。
 日向が張り込みを始めて僅(わず)か十五分あまりで、『堕天狼』は二冊も売れていた。
 まだ、オープンしたばかりだというのに……。
「うわっ、ダサ! 社長の小説がフラれたばい!」
 椛がケラケラと笑いながら、アイドル誌のフロアに駆けて行った。
 別の男性客が書店に入ってくるなり、『阿鼻叫喚』の右隣の小説を手に取りレジに向かった。
 右隣りはハードボイルド界の重鎮(じゅうちん)と言われる、東郷真一(とうごうしんいち)の『無双検事』シリーズの最新作だ。
『無双検事』は二十年以上に亘り続く人気シリーズで、多くの読者が新作の発売を待ち侘(わ)びている。
 その後十五分の間に、『堕天狼』と『無双検事』がさらに一冊ずつ売れた。
『阿鼻叫喚』は一冊も売れていないというのに、『堕天狼』は三冊、『無双検事』は二冊売れていた。
 風間玲と東郷真一に共通しているのは、日向と違い多くのファンがついていることだ。
 知名度と固定ファンの有無の差……頭ではわかっていたが、ジンをストレートで一気飲みしたように胃が熱くなりキリキリと痛んだ。
 日向は幼い頃から並外れた負けず嫌いで、父や兄に将棋やオセロゲームで負けたら勝つまで何度でも挑んでいた。
 エステティックサロンの街頭セールスでライバルに抜かされ売り上げが二位に落ちたときは、真夜中まで新宿の路上を歩き回りながら客を探した。
 日向は文芸作品のフロアに足を向けた。
 左に『堕天狼』が二十面、右に『無双検事』が二十面……二作品の間に肩身が狭そうに二面の『阿鼻叫喚』が挟まれていた。
 二十面とは、二十冊の表紙が見えるように平台に並べられていることを言う。
 売れる作家の作品は書店も多くの面数を並べ、売れない作家の作品は平台に並べても貰えない。
 その意味では、二面とはいえ平台に並べて貰えているだけ日向は恵まれている。
 だが、満足したらそこで終わりだ。
 不満を垂れるのと現状に満足しないのは意味が違う。
 常に上を目指してゆくというのが、日向の生き方だった。
「十倍か……。これがいまの俺の評価か」
 日向は歯がみした。
 平積みされている小説の面数が、日向と二人の実績と認知度の差を如実に物語っていた。
 平積みの面数だけではなく、『堕天狼』と『無双検事』にはそれぞれ書店員の手書きの推薦ポップが立っていた。
 
 ――誰の本を買うか決めていないお客さんが、参考にするのは書店員の推薦する本です。日向さんも、早く書店員に推薦される作家になってくださいね。

 磯川の言葉が脳裏に蘇(よみがえ)った。
 日向の眼の前で、『堕天狼』と『無双検事』が一冊ずつ売れた。
「くそっ……」
 日向は無意識に六冊の『阿鼻叫喚』を手に取ると、『堕天狼』と『無双検事』の三面を潰(つぶ)した。
「これで俺の本が八面、二人の本が十七面」
 日向は満足げに独(ひと)り言(ご)ちた。
「うわっ、セコっ!」
 背後から椛の声が聞こえた。
「なんだお前? まだいたのか?」
「人の本の上に、自分の本ば載せるなんてありえん!」
 椛が信じられない、といった表情で言った。
「もう、いいから早くあっちに……」
 日向は言葉の続きを吞み込んだ。
 五十代と思(おぼ)しき男性が『阿鼻叫喚』を手に取ると、本を裏返して、あらすじを読み始めた。
 買え! 買え! 買ってくれ!
 今度は、心で念を送った。
「またフラれるけん、期待せんほうがよかばい」
 椛が日向の耳元で囁(ささや)いた。
「お前はどうして憎まれ口ばかり……」
 日向は、ふたたび言葉を吞み込んだ。
 男性が『阿鼻叫喚』を手にレジに向かった。
「おいっ、見たか!? 俺の本が売れたぞ!」
 日向は歓喜に小躍りし、椛に抱きついた。
「うわうわっ……みなさん、変態が女子高生にセクハラばしとります!」
「馬鹿っ……」
 日向は慌てて椛から離れ、周囲に首を巡らせた。
「慌てとる慌てとる! 痴漢した罰たい!」
 椛が昭和の子供のようにあかんべーをし、文芸作品のフロアから駆け出した。
「あいつ、ふざけやがって……」
 言葉とは裏腹に、椛の遠ざかる背中を見送る日向の口元が綻(ほころ)んだ。
 たった一冊……だが、この一冊はベストセラー作家になるための記念すべき第一歩となるだろう。
 
(次回につづく)

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