第29話 女性週刊誌は、有名な女優と新刊をめぐる対談をさせたいようだが

文字数 2,716文字

「理由を聞かせてもらってもいいですか?」
 ライターが挑むような眼を向けてきた。
「小林美鈴さんほどの知名度のある方が、メジャーな週刊誌で私の作品を取り上げてくれたんです。たとえ酷評であったとしても、読んでくれた上で日向誠の名前と『無間煉獄』のタイトルを出してくれたわけですからね。広告費に換算したら数千万円に値すると言ってもいいでしょう。作家や芸能人みたいな知名度に左右される職業は、取り上げられないことが一番つらいものですから」
 痩せ我慢ではなかった。
 批判は賛辞と同じ褒め言葉というのが、日向の考えだった。
「そうですか。では、日向さんと小林さんの対談を組ませていただいても……」
「お断りします」
 日向はライターを遮(さえぎ)り言った。
「え? 小林さんの感想を褒め言葉として受け取るとおっしゃっていませんでしたか?」
 ライターが肩透かしを食らったような表情で訊ねてきた。
 大物女優と文壇界の異端児の対立構図を作り直接対決に持ち込むという目論見(もくろみ)がはずれそうになり、ライターの顔から焦りが窺(うかが)えた。
「言いましたよ。でも、対談となると話は違ってきます。小林さんは『無間煉獄』の文体に否定的発言をするでしょう。しかし、私はそれを否定も肯定もしません。作品をどう評価するかは、読者が決めることですから。週刊誌的には私と小林さんの討論を期待するのでしょうがね。ということで、小林さんとの対談はお断りします」
「つまり、小林さんの言いぶんを認めるということですか?」
 なんとか日向に対談を受けさせようと、ライターが挑発的に言った。
「さっきも言いましたが、『無間煉獄』を好きも嫌いも読者の判断ですから。小林美鈴さんが嫌いだということは認めるのではなく、わかりました、ということです。そろそろ切り上げさせていただいてもいいですか? これ以上インタビューを続けても、生産的な話はできそうにありませんから」
 日向は席を立ちながら言った。
「あ、日向さん……」
「あとは『美冬舎』の君島さんと話してください。では、今日はありがとうございました」
 日向は一方的に言い残し、ライターに頭を下げて店を出た。
                   ☆
 青山の骨董(こっとう)通り沿いのビルの前に立っていた磯川が、タクシーから降りた日向を認めて歩み寄ってきた。
「大変でしたね」
 開口一番、磯川が労(ねぎら)いの言葉をかけてきた。
 磯川には移動のタクシーの車内から電話をかけ、「週刊マダム」での一件を話していた。
「参ったよ。井澤って女性のライターだったんだけど、端(はな)から喧嘩(けんか)腰でさ。海外で試合するボクサーみたいな完全アウェー状態だったよ。美冬舎の君島さんにも、簡単に報告したけどね」
 日向は苦笑いしながら肩を竦(すく)めた。
 予想はしていたが、日向作品と女性読者の相性は最悪だった。
 だが、先々のことを考えると女性読者を増やす必要があった。
 映画の大ヒットの条件は、女性客をターゲットにすることだ。
 小説も同じで、ミリオンセラーを狙うなら最低でも女性読者が六割はいなければならない。
「与那国屋書店」のデータによれば、これまでの日向作品はすべて男性読者が八割以上を占めている。
 女性読者を増やす策は考えてあった。
 これまでの日向作品と真逆の世界観……純愛小説を書くつもりだった。
 もちろん、編集者は大反対し書店員は失笑するだろう。
 暴力、セックス、騙(だま)し合いばかりを書いてきた作家の純愛小説など売れるわけがない、と考えるのが普通だ。
 しかし、日向は常識という尺度を信用していない。
「世界最強虫王決定戦」の大ヒット然(しか)り、高校中退の身で作家デビューしたこと然り、放送禁止用語連発の作風でベストセラー作品を生み出したこと然り……日向は常識に背を向けた挑戦を続け、数々の成功をおさめてきた。
 今回の純愛小説への挑戦も同じだ。
 向かい風を追い風に変える自信はあった。
 だが、いまではない。
 白作品に移るには、あと一作……街金融もの以外の黒作品を書いてからだ。
 いまのままでは、日向誠は実体験のある街金融を舞台にした小説しか書けないというレッテルを貼られる恐れがあった。
「担当編集者がアクシデントでこられなかったのは不運でしたね」
 磯川が慰めるように言った。
「まったくだよ。日向誠VS.小林美鈴の犬猿関係を作り上げて部数を伸ばす作戦があったと知ったら、君島さんもびっくりするだろうね。もう到着しているみたいだから、とりあえず行こう」
 日向はエレベーターに乗り、三階のボタンを押した。
「びっくりしてくれたらいいんですが」
 磯川が呟(つぶや)いた。
「え? どういうこと?」
 日向は訊ねた。
「いえ、なんでもないです」
 磯川が微笑みで日向の質問を躱(かわ)した。
「気になる……」
 日向の言葉を遮るように扉が開いた。
 バー「アジト」の電飾看板の立つドアを開けると、ジャズのBGMが流れてきた。
「日向先生、お待ちしていました」
 ボックス席に座っていた百八十センチをゆうに超える長身で筋肉質の男……君島が立ち上がり、爽やかに白い歯をこぼしながら日向と磯川のほうに歩み寄ってきた。
 君島は日向と同年齢の三十二歳で、高校のときに柔道の全国大会でベスト4に入ったほどの有望株だったらしい。
稽古(けいこ)中に靭帯(じんたい)を損傷したことが引き金になり、大学で柔道の強化選手を目指す夢を断念したという。
体育会系として有名な「美冬舎」は、君島にぴったりの職場かもしれない。
「こちらは『美冬舎』の君島さん、こちらは『日文社』の磯川さん」
 日向は二人の間に立ち、互いを紹介した。
 磯川と君島が名刺交換を終わらせると、ボックス席に移動した。
「先生、奥へどうぞ」
 君島が日向を上座に促した。
 日向が席に腰を下ろすと、下座の正面に君島が、君島の隣に磯川が座った。
「改めまして、君島です。孤高の編集者。磯川さんのお噂(うわさ)は、かねがね聞いてますよ。お会いできて光栄です」
 君島は体育会系のイメージと違い、口がうまく処世術に長(た)けていた。
 いや、上の命令は絶対の体育会系の世界に身を置いてきたからこそ、立ち回りがうまいのだろう。
「孤高なんて、そんなにかっこよくないですよ。孤独が好きなだけです。それより、今日は『美冬舎』さんの打ち上げに部外者の私が図々しく参加してすみません」
 磯川が謙遜し、君島に頭を下げた。

(次回につづく)

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