第59話「NGなしで教えて!」というイベントに出演したが――

文字数 3,076文字

「日向誠です。こう見えて、初めて風俗に行った待合室の童貞君のようにドキドキしていますので、みなさん、お手柔らかにお願いします!」
 日向の下ネタ的な冗談交じりの挨拶に、観客の微妙な笑い声が聞こえた。
 笑いの渦に包まれないところが、会場にいる百数十人が日向作品のファンばかりでないことを証明していた。
「初めて風俗に行った待合室の童貞君! まるで、黒日向作品の描写を読んでいるようです! 僕、今日は珍しく緊張しています。実は、『阿鼻叫喚』で日向さんがデビューした頃からのファンなんです! オファーしたものの、まさか、本当に出演していただけるとは思っていませんでした。どうして、こんなマニアックなイベントに出てくださったんですか?」
 高田が興味津々の表情で訊ねてきた。
「前から『YouTube』で観ていて、出演したいと思っていたんです」
「え? チャンネル間違ってません? ウチは、これまでに数々の出演者を震え上がらせてきた『NGなしで教えて!』ですよ? ゲストの方は、その質問はちょっと、と断ることはできません」
「はい、もちろんわかってます。作家という職業柄、読者の声を生で聞く機会は滅多にありませんから、今日を楽しみにしていました」
「みなさん、聞きましたかー? 今日は、思う存分日向さんに質問を浴びせてください!」
 高田が観客を煽(あお)った。
「それでは、教えてタイムに入る前に、みなさんに注意事項をお伝えします。日向さんの個人情報に関する質問は、例外としてNGとさせていただきます。ほか、僕が不適切だと判断した質問もNGとさせていただく場合があるのでご了承ください。さあ、それではみなさん、教えてタイムに入ります! 質問のある方は挙手してください!」
 高田が促すと、八割ほどの観客が手を挙げた。
「前列右端の白いセーターを着た女性の方」
「私は『願い雪』を読んで日向さんのファンになりました。一度、知らずに黒日向作品を読んだことがあるのですが、あまりにも違う残酷な文章に驚きました。日向さんは、どうしてこんなに対照的な世界観の作品を書こうと思ったのでしょうか?」
「最初がファンの方でよかったですね~。でも、僕もこの質問には興味があります。一歩間違えれば両方のファンから顰蹙(ひんしゅく)を買う可能性のあるリスクを冒してまで、白作品、黒作品を書こうと思ったのかを教えてください」
 高田が、身を乗り出した。
 日向のファンだというのは、リップサービスではないようだった。
「正直、たいした理由はなくて。もともと、小説家になったら書きたいテーマがいくつかあったんです。ノワール小説でデビューしたのは、若い頃にやっていた街金融の話を書いたら面白いなっていうのが理由で。ありがたいことにデビュー作が売れたので、好きなテーマを書けるようになったというのが理由ですね」
「黒作品が何作かヒットしたあとに白作品を出すことに、不安や躊躇(ためら)いはなかったですか?」
 高田が質問を重ねた。
「ないですね。過去に取材でも答えてきたんですけど、俺の中では白作品も黒作品も同じ世界観なんですよ。愛し合って結婚した二人が数年後に泥沼の離婚裁判をしたり、殺してしまったり……現実に、そういうことはあたりまえに起こってるじゃないですか? だから、白作品も黒作品も同じ世界観というのはそういうことです」
「では、次の方……後列中央の黒のニットキャップの男性の方、質問をどうぞ」
「日向さんが、大嫌いな作家さんはいますか?」
「おお~いきなり、強烈な爆弾が投下されましたね~。日向さん、これは言える範囲で構いませんよ~。でも、日向さんのキャラならズバッと言ってほしいですね~」
 高田が煽(あお)るように言った。
「東郷真一さんです」
 間を置かず日向が言うと、観客がどよめいた。
「うわうわうわ、そんなにはっきり言っちゃって大丈夫ですか~っていうか、ついでに理由を教えてもらってもいいですか?」
「あっちが、俺のことを嫌ってるからですね。この質問は終わりです!」
 日向は笑いながら言った。
 東郷を気遣ったわけではないが、磯川の話になるのは避けたかった。
「ということなので、次の方……二列目中央の紺色のジャケットの男性の方、質問をどうぞ」
「日向さんは芸能プロをやっていたり、原作が映画になったり芸能人の方との交流も多いと思いますが、つき合った女優さんがいたら教えてください」
 紺色ジャケットの男性の質問に、ふたたび観客がどよめいた。
「おおおおー! 今日のお客さんは、いつにも増して過激だね~。これは、答えてもらえるんでしょうか!?」
 言葉こそ疑問形だが、高田の眼が暴露してほしいと訴えていた。
「イエスかノーで言えば、イエスです。連ドラで主役経験者の方ですが、お相手の仕事に影響しますから実名は勘弁してください」
「連ドラの主役経験者! 気になりますね~。まあ、でも、これ以上突っ込むとプロダクションの怖い大人が出てきそうなので、次に行きま~す! 前列の左から三番目のツインテールの女性の方」
「私、メンヘラ系地下アイドルをやってるんですけど、黒日向作品……とくにディープブラック作品が大好きで、三十冊以上読んでます! めちゃめちゃファンだからこそ教えてほしいんですけど、どうして最近、ギトギトのグログロのドロドロの作品を書いてくれないんですか?」
 やはり、来た。
 覚悟はしていた……というより、この手の質問を待っていた。
「正直、昔に比べてコンプライアンスの問題で、過激な表現や比喩を使えなくなっているという側面はあります。でも、最近の日向作品が『阿鼻叫喚』や『メシア』のときのようにギトギトグログロドロドロでなくなったのは、それだけが理由じゃありません。物語に必然性があれば、コンプラが厳しくてもギリギリの線まで攻めた過激な文章を書きます。料理でたとえれば、旦那さんに唐揚げを褒められたからといって、毎日出し続ければ飽きられるでしょう? ハンバーグがあってカレーがあって刺身があって煮物があっての唐揚げだから、飽きずに美味(おい)しい美味しいと言って食べ続けてくれるわけです。芸人のネタでも同じことが言えます。ブレイクするきっかけとなったネタを二年、三年とやり続けたら飽きられて、やがて消えてしまいます。第一線で活躍し続けるには、次々と新しいネタを生み出さなければなりません。小説家も、同じだと思います」
 日向は、観客にたいして、というよりも自分の心と対話しながら思いを口にした。
 綺麗(きれい)ごとではなく、本音だった。
 だが、消えることのないこの虚無感は……。
「なるほど。たしかに、ギトギトグログロドロドロばかりじゃ胃もたれしちゃいますよね。僕も、最近の日向作品は薄味になったなと感じることがありました。物足りないという意味ではなく、味付けが変わったという意味です。初期の日向作品が、ブートジョロキアやハバネロをぶち込んだ背脂(せあぶら)たっぷりの豚骨(とんこつ)ラーメンなら……」
「いまの日向さんの作品は、水で薄めた豚骨ラーメンみたいです」
 高田の言葉を遮(さえぎ)りツインテール女子が言うと、会場の空気が凍(い)てついた。
「ちょ……ちょっと、それはいくらなんでも言い過ぎですよ。ギトギトグログロドロドロじゃなくても、日向作品はページを捲る手が止まりませんから」
 高田が、慌てて場を取りなした。

(次回につづく)

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