第58話 コンプライアンス無視の新連載だったが、待ったがかかる

文字数 2,960文字

『今度の新連載は、デビュー当時の黒日向作品を彷彿(ほうふつ)とさせるような問題作を書きたいんだよね』
「東京公論新社」の打ち合わせの際に、日向は担当の相川(あいかわ)局長に切り出した。
『どんな問題作ですか?』
『日本史に残る、凶悪殺人鬼同士の戦いを書こうと思っている』
『日向版「ジェイソンvs.フレディ」みたいな感じですね! 面白そうじゃないですか!』
『そうそう。だけど、重要なのはここからなんだ。設定だけ凶悪殺人鬼の戦いにしても、コンプラを意識した描写や展開だったら、炭酸とアルコールが抜けたビールみたいなものだからさ。麦茶みたいなビールを出したら、お客さんが怒るよね?』
『麦茶みたいなビール! うまいこといいますね! つまり、日向さんは初期作品の「阿鼻叫喚」や「メシア」みたいな問題作を書きたいわけですね?』
『うん。表現者である以上は、書きたいと思ったものを純度百パーセントで読者に届けたいな。最近の風潮では、あれダメこれダメで六対四の水割りって感じばかりの作品だからさ』
『やってみますか! ウチは帝京新聞が親会社ですけど、戦って企画通してみますよ!』

 相川局長の頑張りで、コンプライアンス無視の「僕の殺し方のほうが美しい」の連載を開始した。
 念願が叶(かな)ったはずだった。
 だが、満たされない自分がいた。
 物語はジェットコースター小説の異名(いみょう)通り、疾走感のある日向の持ち味の出たものになった。
 それなのに満たされない理由……欠けているパズルのピースがなにか、日向にはわかっていた。
 頭に浮かんだ磯川の顔を、日向は打ち消した。
 戻ってこない人間のことを考えても仕方がない。
 デスクの上のスマートフォンが震えた。
 ディスプレイには、相川局長の名前が表示されていた。
「お疲れ様。いま、二回目の連載原稿を執筆していたところだよ。久しぶりに、フルスロットルで書けているから気持ちいいよ」
『日向さん、その件でお話があるのですが、いま、お電話大丈夫ですか?』
「ああ、ちょうど、一息ついたところだから。なに?」
『「僕の殺し方のほうが美しい」の件ですが、親会社の役員から連絡がありまして。新聞社が経営する出版社の連載誌に、犯罪を助長するような小説を掲載してもいいのかと、購読者からクレームが殺到しているようでして……。大変申し上げづらいのですが、二回目から表現をソフトにしていただいてもよろしいですか?』
 言葉通り、相川が言いづらそうに切り出した。
「えっ! いまからシフトチェンジは無理だよ!」
 思わず、日向は大声を出した。
『そうですよね。私もかなり抵抗したのですが、どうしても説得できなくて……』
「だってさ、一回目の連載であれだけ過激な描写をしてるのに、二回目から急に変えたら整合性が取れなくなるよ」
『日向さんの言う通りです。なので、単行本にするときに一回目の原稿に手を入れて、二回目以降のソフトな描写に合わせていただきたいと……本当に申し訳ありません』
 相川の声は震えていた。
「突っ撥(ぱ)ねたら、連載中止になるわけ?」
 日向の質問に、沈黙が広がった。
「無言が、質問の返答か」
 日向はため息交じりに言った。
『……本当に、すみません。完全に、私の力不足です』
「君が謝る問題じゃないよ。親会社から言われたら、会社員としては従うしかないだろうしさ」
 やりきれない気持ち――日向は、ぶつけようのない怒りを吞み込んだ。
『いえ、私が企画を通すと約束して連載を始めていただいたわけですから、会社員云々(うんぬん)の言い訳は通用しません。とにかく、一度お会いして、直接お話しさせてください』
「わかった。ただ、今日はこれからイベントがあるから、明日でもいいかな?」
『もちろんです! 何時でも対応できるように空けておきますので、ご連絡お待ちしています! 申し訳ありませんでした!』
「じゃあ、また」
 日向は電話を切り、スマートフォンをデスクの上に放り投げた。 
 全身の毛穴から、エネルギーが抜け出していくようだった。
 日向は虚ろな眼で、ノートパソコンのディスプレイ……「僕の殺し方のほうが美しい」の第二回の原稿をみつめた。
 日向は大きな息を吐きながら手を伸ばし、削除キーをタップした。
                   ☆
「本日のゲストは、人間の闇と醜悪さにスポットを当てた黒日向作品、人間の光と良心にスポットを当てた白日向作品という、対極の世界観で文壇の二刀流として前代未聞(ぜんだいみもん)の活躍をする日向誠さんです!」
 スキンヘッド、ホワイトフレームの丸眼鏡(まるめがね)、苺(いちご)がプリントされたアロハシャツ――MCの高田真(たかだしん)が紹介すると、サブカルチャーの聖地と呼ばれている渋谷のイベントスペース、
「エンタボックス」に集まった客から、パラパラと拍手が贈られた。
 高田真は『ムカデ人間』や『食人族』などのB級グロ系映画専門の評論家で、サブカル系の住人の間では絶大な支持を集めている。
 毎週土曜日に開催される「NGなしで教えて!」のコーナーは、芸能人、文化人、経営者などをゲストとして招き、タイトル通りに観客からのNGなしの質問に答えてもらうという過激な内容のイベントだ。
 先週のゲストは、情報番組のコメンテーターとしても有名な弁護士の志村栄太(しむらえいた)だった。
 日向は参考のために「YouTube」で観たのだが、「弁護士はどうして殺人者を擁護するのですか?」「志村さんの奥さんや子供を殺した犯人が、判断能力がないからと無罪になったらどうしますか?」などの辛辣(しんらつ)な質問が飛んでいた。
 日向が刊行している複数の出版社にオファーが入ったのだが、それぞれの担当編集者からは口を揃えて「断ったほうがいいです」と言われた。
 理由としては、テレビ番組と違い出演しても書籍の売り上げに繫(つな)がらない、悪意に満ちた質問が多い、メジャーな活躍をしてきた作家が出るべきステージではない……などがあった。
 言われなくても、日向にはわかっていた。
 それでも日向が出演を決めたのは、初心を取り戻すためだ。
 作家生活十七年で七十作を超える小説を上梓(じょうし)し、数々のベストセラー作品を生み出してきた日向にたいして、率直な意見や疑問を口にする編集者はいなくなった。
 けなされたいわけでも否定されたいわけでもないが、彼らからみた〝リアル〟な日向誠を把握しておきたかった。
 先生の作品は最高です! 面白くてページを捲(めく)る手が止まりません! どうしてこんなにアイディアが湧き出てくるんですか?
 多くの作家は、編集者に褒(ほ)められると気持ちがよくなる傾向にある。
 多くの編集者は、作家の機嫌を損ねないように気持ちよくなる言葉を選ぶ傾向にある。
 それを否定する気はない。
 日向も、否定されるよりも肯定されるほうが……酷評されるより絶賛されるほうが嬉しい。
 だが、作家としてのキャリアと実績を重ね、耳に痛いことを言ってくれる人間がいなくなると、現状に満足して向上心を失ってしまう。

(次回につづく)

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