第18話 黒作品と白作品、ふたつの道を進もうと宣言する日向に……

文字数 2,739文字

「黒作品の『阿鼻叫喚』と、真逆の世界観の作品だよ。恋愛小説とか、動物小説とかさ」
「お前が恋愛小説!? 無理無理無理無理!」
 大東が顔の前で手を振りながら大笑いした。
「なんでだよ?」
「だってさ、放送禁止用語と差別用語がオンパレードの小説を書いているお前が恋愛小説だって!? 頼むから、笑わせないでくれ……」
 悪ふざけでも演技でもなく、大東の眼には涙が浮かんでいた。
「私は、そうは思わないけどな。誠は恋愛小説でも動物小説でも家族小説でも、どんなジャンルでも書ける……っていうか、もしかしたらそっちのほうが得意かもしれないわ」
 真樹が真顔で言った。
「え!? 真樹ちゃん、それ、本気で言ってんの!?」
 大東が素頓狂(すっとんきょう)な声で真樹に訊ねた。
「もちろん。誠の才能は、大東君より私のほうがよく知ってるから」
 真樹が得意げに言った。
「なんだなんだ、こんなところでノロケか?」
 大東が眉間に皺(しわ)を刻み、下唇を突き出した。 
「でも、大東君の言うことも一理あるわ。いまの黒作品のイメージがつき過ぎると、誠がどんなに素敵な恋愛小説を書いても読者は買う気が起こらないと思うの。だって、ゲテモノ料理の専門店がスイーツ店を始めても、女性は敬遠するんじゃないかな。ヘビやサソリのから揚げが頭に浮かんで、パンケーキやパフェって気分じゃなくなるもの」
 真樹が唇をへの字に曲げた。
「俺の小説がゲテモノ料理って……ひどいな」
 日向は苦笑いした。
「ひどくないわよ。恋愛小説が好きな女性読者からすれば、『阿鼻叫喚』を読んだらゲテモノ料理を見たときと同じくらいの嫌悪感を覚えるんじゃないかしら」
 真樹が淡々とした口調で言った。
「泥酔したおっさんがゲロ吐いたグラスでどんなに洒落(しゃれ)たカクテルを作っても、飲みたくねえのと同じだな」
 大東が悪戯(いたずら)っぽい顔を日向に向けた。
「お前らな、俺の小説をゲテモノだのゲロだの言いたい放題だな」
 日向は渋い顔で、大東と真樹を交互に見た。
「大東君のたとえはひどいけど、私の言いたいことと同じよ。ねえ、誠。二作目からは描写と表現を少しソフトにして、白作品を買ってくれる読者を取り込んで行こうよ」
「真樹は、俺にミリオンセラー作家になってほしいんだろ?」
「そうだよ」
「『阿鼻叫喚』の売り上げが伸びて、最終的に十万部まで売れたとしよう。それでも、百万部には九十万部届かない。裏を返せば、『阿鼻叫喚』を買ってない読者がそれだけの数いるということさ」
「なにが言いたいの?」
 真樹が怪訝(けげん)な顔になった。
「俺は、黒作品と白作品の読者はまったく別物だと思っている。だから、『阿鼻叫喚』の読者に白作品を買って貰おうなんて思わない。恋愛小説や動物小説を出版するときは、『阿鼻叫喚』を買っていない九十万人の読者をターゲットにするつもりだ。もちろん、黒作品も白作品も好きって読者も大歓迎だけどね」
 日向は言うと、グラスのビールを飲み干した。
「お前さぁ、その根拠のない自信はどこからくるんだよ?」
 大東がため息を吐きながら訊ねてきた。
「誠の言いたいことはわかるけど、わざわざ遠回りすること……」
「遠回りじゃなくて、近道なんだよ」
 日向は真樹の言葉に言葉を重ねた。
「え? どういうこと?」
 真樹が驚いた顔で日向をみつめた。
「女性読者を獲得するために作風をマイルドにしたら、せっかくついてくれたファンが離れてゆく。それに、作風をマイルドにした二作目を五万人の女性読者が買ってくれる保証はない。どっちつかずの中途半端な作品になってしまったら、五万部どころか五千部も売れなくなるかもしれない。いま俺がやるべきことは、『阿鼻叫喚』の読者をしっかり摑(つか)んで離さないこと……日向ワールドを確立して中毒者を増やすことだよ。白作品に挑戦するのは、それからの話さ」
 この瞬間、日向は作家として生きゆく肚(はら)を決めた。
 真樹の気持ちはわかっていた。
 なぜ、比喩や表現をソフトにしてほしいかを。
 女性読者を獲得する、ということだけが理由ではない。
 眼を背けたくなる暴力描写、口汚いセリフの数々、女性を性の対象にしか見ていない男達。
 鬼畜、下種(げす)、カス、変態、倒錯者、サディスト……最低最悪の登場人物達。
 真樹は、日向が世間で叩(たた)かれることを危惧(きぐ)しているのだ。
 その危惧は、ネット上で現実になった。
 そして真樹自身、『阿鼻叫喚』を嫌悪している。
「日向ワールドっていうのは、世の中の女性を口汚く罵って性の捌(は)け口にする登場人物だらけの世界観のこと?」
 真樹が皮肉っぽい口調で言った。
「『阿鼻叫喚』が女性ウケしない作品だってことはわかってるさ」
「女性ウケしないどころか、敵に回していると言ってるの!」
 真樹が強い口調で言った。
「日向が女性の敵だっていうことはわかってるけど、そこまではっきり言うとかわいそうだぜ」
 大東が冗談めかして、ピリつく空気を和ませようとした。
「突き抜けた作品にしないと、デビュー作でここまで目立つことはできずに埋もれていたよ」
「悪目立ちなら、埋もれていたほうがましだったかもよ」
 相変わらず、真樹の言葉には棘(とげ)があった。
「悪目立ち! 日向、お前にぴったりだな!」
 険悪な空気にしないために、大東が茶々を入れてきた。
「俺の小説が個人的に好きじゃないって、はっきり言ったらどうだ?」
 日向は単刀直入に言った。
 ネットの批判なら笑って受け流すが、真樹は違う。
 生涯を共にするであろう妻の理解を得られなければ、執筆に集中できなくなる。
「おいおい、日向、なにマジになってんだよ。真樹ちゃんがお前の小説を好きじゃないわけないだろうが。な? そうだろ? 真樹ちゃん」
 大東が慌てて二人を執り成した。
「嫌いよ。正直、私の夫にこんな作品を書いてほしくない。でも、個人的な感情だけで言ってるんじゃないの。誠の将来を考えてのことよ」
「いままで、真樹を信じてきた。今度は、俺を信じてくれないか?」
 日向は思いを込め、真樹の瞳をみつめた。
「わかった。あなたの販売戦略は信じるわ。じゃあ、個人的なお願いなら聞いてくれる?」
 真樹が切実な瞳で言った。
「個人的なお願いってなに?」
 日向は真樹に訊ねた。
「妻として、夫にこんな小説は書いてほしくない……ってお願いよ」
 真樹が視線を逸らさずに言った。
「すぐに答えは出せないし、約束もできない。少し、考えさせてくれ」
 日向は真樹から視線を逸らして言った。 

(次回につづく)

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